- Amazon.co.jp ・本 (688ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022578730
感想・レビュー・書評
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Kindleで購入して、読了。恐らく再読だと思うが。。。
改めて読むと、これほどまでにアイヌの悲劇に焦点を当てた小説であり、かつ、三郎の没落が哀しく描かれていたのかと驚かされる。また、札幌農学校が重要な役割を果たしていたりして、個人的には嬉しく読んだ。
Kindleで少しずつ小説を読むという行為は、なかなかよろしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アメリカではヨーロッパの入植者が大陸とネイティブアメリカンを侵害していったように、北海道では和人が北海道とアイヌを侵害していった。
鮭や鹿を取りつくし、アイヌを安く働かせ、アイヌの土地を我が物顔で侵食していく和人。山奥へ追い出され、枯渇していく食糧、貧しくなっていくアイヌ。
明治初年、食い扶持を失った旧徳島藩淡路島の士族たちが、新たな暮らしの場を求めて北海道静内へ移転した。そこで少年期を過ごした三郎、志郎兄弟はアイヌと友達になる。
三郎は青年となり農業・牧畜の知識を得、少年期からの知り合いアイヌとともに、遠別で馬牧場を開く。動物の扱いはアイヌが優れ、優良馬を産出することとなる。
宗形牧場はアイヌが安心して暮らせるアイヌ中心の牧場であり、三郎は日本向けの窓口だ。この牧場が成果を上げていることに対して、次第に和人の嫉みや嫌がらせ、のっとり計画に至るまで軋轢が大きくなっていく。
●強いものが弱いものを取る。力ずくで取る。それが世の掟だというのなら、アイヌにはもう言うことはない。そのような世には住みたくないと言えば、それ以上は言う事がない。
欧米の植民地政策に巻き込まれた日本でさえかくのごとし。食うか食われるかのなかで、人はどこまで貪欲になれるのだろう。それは自滅するまでなのか。 -
北の大地に住むアイヌと南からこの地に入った和人の話。
和人とは、アイヌが自分たちと考え方の違う人間につけた「名前」だ。シャモと呼ぶ。日本人のことだ。
アイヌの歴史は長い。しかし、江戸時代、日本人が侵入してきてからの歴史は短い。その短い中で、アイヌは潰され、アイヌプリ(人間らしい生き方)は壊され、日本人への同化が強制された。
この話は、そんな歴史の中のひとつの出来事が語られている。
正に「語られている」ことに、魅力がある。それは、アイヌのユカラに通じていくものがある。
歴史は勝者の記録によって、多くが作られていることを考えると、語り継がれていくものの重要さを作者は意識していたのだと思う。
時代は、維新の世の中。北海道は、蝦夷地と呼ばれていた。
お国の事情で、遠く淡路から集団移住してきた武士と、北海道で、シャモに「土人」と呼ばれているアイヌとの出会いから始まる。
その時、子供だった三郎は、はじめてアイヌと会った。他の者が「ドジン」「蛮人」と蔑んだ見方をしていたのと違い、三郎と弟の志郎は、とても早く進む丸木船とそれを操るアイヌの力強さ、堂々とした態度、良く通る声などに夢中になってしまった。
そのことが二人、特に宗形三郎のその後を決めていた。
三郎は、その後、アイヌと共に牧場を作り、成功させ、アイヌ(実は和人の養女)と結婚するのだが、それは、父、志郎の語りを受け継いだ娘の由良が、三郎という叔父さんに強く惹きつけられ、「宗形三郎伝」を書く、という行為のなかで語られていく。
まず、体を悪くした志郎が幼い娘たちに語る、三郎の話がある。
そして、成長した由良と夫が三郎の生涯の友であったオシアンクルを訪ね、聞いた話。
三郎が、札幌で農業の勉強をしていた時に、志郎にあてた手紙。
志郎の伴侶である由良の母が語る父との出会いからの話。
叔父の話をまとめることを勧めてくれた由良の夫との対話。
などが繋がっていく。
時代は行ったり戻ったりもするが、読者は由良と共に叔父、三郎の成しえたものや、成しえなかったものを知る。
そして、私たちはアイヌと出会う。
アイヌと出会った日本人としての自分に出会う。 -
明治の北海道に入植した和人と、滅びゆくアイヌの一時の絆が切なく美しい。重いけれども暗くなく、ページをめくる手が止まらなかった。
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2008.07.27. 2週間かけて、じわじわ読んだ。すごくいい。じんじんと重い壮大な物語。アイヌについて、アイヌと触れ合った幾人かの男たちについて語られる物語。いろんな視点で話が展開していくのがおもしろかった。三郎さんという人は、ものすごい魅力を持った人だな。最期もすごい。人物にとてもリアリティがあって、ぐいぐい引き込まれた。アイヌの名前「トゥキアンテ」とか「エカリオン」とかの響きがいいな。
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人間が生きていくということは静かなことなんだな。