- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022734259
作品紹介・あらすじ
わが身の愚かしさ、罪深さを悩みぬき、大きな「はたらき」に生かされていることに気づく-。七五〇年の時空を超えて、いまに生きる"親鸞"。政治学者で『悩む力』の著者、姜尚中氏、精神世界に深い関心をもつ作家、田口ランディ氏、親鸞仏教センターの本多弘之所長の3人が、自らの経験に根ざし、その思想を縦横に語る。
感想・レビュー・書評
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政治学者・作家・僧侶にして真言宗研究家の3人によりリレー・エッセイ。御三方の鼎談を元にした出版企画のようだが、その鼎談の内容がないのが残念だが、きっと大人の事情があるのだろう。親鸞の教えや思想の解説を期待していたが、歎異抄を引きながらの生き方論になっている。こうした人生訓的な本はあまり好きではないが、心なしか気持ちが楽になる読後感を覚えた。理屈じゃないのかもしれない。
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積ん読チャレンジ(〜'17/06/11) 10/56
’16/07/5 了
大学の書店で何冊か本を買ったらプレゼント、というコーナーの一角から入手した本、であると記憶している。
祖母が姜尚中先生のファンで、それを切っ掛けに僕も興味を持った。
加えて先生が僕の大好きなマンガ『サイボーグ009』のファンであるということや、僕が大学受験を控えた年に先生の著書『悩む力』が大ヒットをしたため、現代文の評論問題で見掛けることもあるかも知れないと同書を購入していたりと、何かと縁のある著者なので、名前に引かれて本を手にした。
本書は「悪人正機」を説いた親鸞を語った鼎談を書籍化したものだが、鼎談とは言っても3人が交互に語り合っているものではなく、一人一人に章が割り振られている。
全員が仏教徒ではないということが一冊を通じて
「親鸞」という人物を多角的に理解することの一助となっているように感じた。
前出の『悩む力』の大ヒットを受けて本書の元となった鼎談は催されたため、至る所に「悩む」というキーワードが出てくる。
仏陀が没して永い時が経ち、その威光が届かなくなった世の中とされる「末法の世」。
様々な社会不安が蔓延し、悩み苦しみ、誰しもがどこかしら閉塞感を覚えている現代に生きる我々こそ、親鸞の思想から学び得るものが多々有るのでは無いか。
そのような考えの元に執筆された本だ。
気に入った箇所
「私がいまこの現世でこれほど幸せであるのだから、すべての祖先の苦しみは功徳と転じたのだ……と。すると、ぱんぱかぱーんというファンファーレが響き渡り、祖先がみんなで拍手喝采しているように感じました。なんだか本当にすごく、うれしかったのです」(P136)
田口ランディなる人物が視聴したかは分からないが、この一説は『新世紀エヴァンゲリオン』最終話、「世界の中心でアイを叫んだ獣」のラストシーンそのものだ。
『エヴァ』という作品自体が主人公碇シンジが自分と向き合っていく話だし、最終話は「僕はここにいて良いんだ」という自己肯定の話。
自分を肯定出来なかったシンジが自己肯定の考えに至ったとき、主要登場人物全員から笑顔で「おめでとう」という祝いの言葉を贈られたところで物語に幕が下りる。
そのほか、気に入った部分。
吃音に悩む自己を思い出して「いま思うと、それには理由があって、それは私が在日であることと深く関係していました。
というのも、学校で勉強すればするほど、親や親戚など、私をとりまく人々の世界から離れていく。学校は国家の価値が色濃く投影された社会です。私は在日という理由でこの社会に受け入れてもらえないのではないかと、不安や葛藤にさいなまれました。自分を守ってくれていた両親の懐から出たときに、自分が家族以外のだれからも承認されていないことに気づいたのです」(P13)
「冠婚葬祭の時だけ必要となるのが宗教ではなく、「なぜ私はこんな状況になっているのでしょうか」と途方に暮れたときにこたえてくれるものが宗教だと思います」(P33)
「ロゴテラピーでは、意味を獲得するのは患者自身です。意味は、だれかに与えられるのではなくて、自分で獲得しなければならないものなのです。しかし、その「自分」という一つの生命体は、自分を越えた何ものかによって与えられ、生命としてこの身体に宿ったものです」(P40)
「清沢は『論語』の、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を、「天命に安んじて人事を尽くす」といい換えています。
「天命に安んずる」とはどういうことかというと、与えられた事実は、単に自分の自由な選択によって、自分の思いのごとくあるのではないかということ。(略)
あなたの両親は、因縁のなかで、たまたま生命の営みにおいて子どもを授かったわけです。この世はだれひとりとして、自由に生まれ出た存在はないのです。(略)
一つの存在は、深い因縁のなかで、たまたまこのいのちを賜ってある、という考え方です」(P83)
「また、「宿業」と混同されがちな言葉に、「運命」があります。
「これは運命だ」というように、あらかじめ決められたことのように、何か因果関係があるものだと誤解されていますが、運命というのはいわば天与のものであり、自分を超えて決定されていて、自分に因果関係のないものから突然来るものをいいます。
長いいのちの歴史の上に、念々の因縁がからんで、そこに縁がもよおして、私たちの意識が動いていきます。その動きはどう動くのか分からないものであり、無限の可能性があります。また、同じような縁であっても、個人のいる位置や感覚、好みなどから、与えられた縁は変わってきます。先に決定されていることではなく、動いてきた縁に出遭って、いま現に決定するのは自分なのです。」(P93)
「本当の自信は、正しい自己認識から始まります。そして自己を正しく認識していると、他の人への見方もはっきりと定まります。目を背けたい自分自身から逃げることなく、しっかりと受け止めると、阿弥陀仏の休載を感じることができ、自分自身を信じることができるのだと思います」(P99)
「親鸞が『教行信証』で引用している仏教の経典『涅槃経』に、「<無慙愧>は名づけて<人>(にん)とせず、名づけて<畜生>とす」と、恥を知らなければ人間ではないという一節があります」(P155〜)
人は、亡くなった人や亡くなった両親を前に、その人らに背く様な行き方をしたなと気づくと恥ずかしいという感情が芽生える、という文章を受けて。
「大切なのは、いつも自分を自分以上のものから見る視座を感じることです。それを忘れると、自分のことを、たいしたものであると過信してしまうか、必要以上に駄目だと思ってしまう」(P163)
「松田先生は、その(※メリトクラシー=メリットを信奉する考え)カウンターカルチャーとして、大乗仏教は大きな意味をもつ、そして、「メリトクラシー」に対して、「アミタクラシー」という言葉を提唱したい、とおっしゃいます。アミター=無限なるもののなかに、有限が成りたっている。有限の条件のなかで、勝っていくということだけに価値を置くのではなく、勝ち負けを超えて存在するということの尊さに目覚めさせられるということが大切なことだ、ということです」(P171)
ことことことことうっさくて文章としては不出来だけど、言っていることは素晴らしい。
「鉄の塊となったような海水がぐんぐんと住宅街を呑み込んで、生活の彩りが全て灰色に奪われていくのを、テレビのニュース映像で何度も見ました。あれが、私が毎日見ている青い海の姿なのかと思ったとき、海への認識が転じました。海とは大きな水たまりではなく、エネルギーの塊だったのだ。(略)私たちはエネルギーの渦にもみくちゃにされながら、この宇宙の水滴のような星に生きている本当にか弱い生き物でした」(P183) -
三者の講演を本にまとめたものだが、読んでみると分かりにくく、親鸞というテーマからも離れた話が多い。
講演をまとめた本は、オーディエンスを惹きつけることを意識して語られているからエピソード多く、話の脱線もよく起こる。それをいかに本にまとめるかは編集者の力量なのだろうか。 -
親鸞の教えについて,気にはなっていたのですが,大部の本を読む気もなく,読めるはずもなく…。本書は,姜尚中や田口ランディという私の好きな人が出た鼎談の記録だということで,「それならわかりやすいだろう」と思って手に入れました。まあ,親鸞がよくわかったとは言えませんが…。
私の家も真宗で,少なくとも1年に2回はお寺さんのお話(お説教)を聞くことがあります。本書を読んで,もともと私の家には親鸞さんの教えがあるんだなあって思いました。
南無阿弥陀仏の意味…わかったようでまだわかんない。