歴史なき時代に 私たちが失ったもの 取り戻すもの (朝日新書)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (452ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022951236

作品紹介・あらすじ

第二次世界大戦、大震災と原発、コロナ禍、日本はなぜいつも「こう」なのか。「正しい歴史感覚」を身に付けるには。教養としての歴史が社会から消えつつある今、私たちはどのようにしてお互いの間に共感を生み出していくのか。枠にとらわれない思考で提言。

感想・レビュー・書評

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  • 『平成史』を読んで、興味を持った與那覇さんの著作。インタビュー、書評、時評を集めたものなので、歴史学界隈の人々や状況への怒りのような通底するものはあるものの、一冊の本として一貫したロジックや各章は薄い。一方で、公開された文章の集まりから、鬱病から回復し、教員職を辞して学会から距離を取り、文筆家としてポジションを確立しようとしているのはとてもよくわかる。歴史学の業界からは相当に煩さく思われているのではないかと思うのだが、こと「歴史学」に関しては、単なる古文書の解読に過ぎない実証主義を批判し、歴史学を現在の社会や個人の行動において過去の学びから何を提示すべきかを問う学問であるべきと規定する。そこに嫉妬や個人に対する先入観が混じっていないかは疑問ではあるが、そのポジションを敢えて選び取り、強く批判する側に回っているように思う。そのベースとなるのは、鬱病となるまでに突き詰めて考えたという経験と、『平成史』という世に問うた大作であるのだろう。

    ひとつ本書で繰り返し論点とされるのが、コロナ禍において行動の制限を躊躇いなく行った政府と、唯々諾々と受け入れたメディアを含む日本社会に対する、それでいいのかという怒りを伴う問いかけである。日本は人口当たり死亡率などコロナの影響度が相対的には少なかったにも関わらず、過度に政策を安全側に振り、それでいて誠実な説明と備えもなく経済活動を含む社会面で後々まで悪影響を与えるものを今だけの雰囲気で受け入れたというのだ。もちろん、この本はコロナにおいて最大の影響があった2021年夏の第五波の前に書かれたものではあるが、それでもなお與那覇さんは同じ主張を繰り返すことだろう。

    コロナ対策においては、たらればの話も含んでしまうし、戦力の漸次的投入を避けるべきだという戦い方の選択の問題でもあるし、いつまでもマスクを外さないという日本の社会的特性の問題もあり、単純な答えもなく万人にフェアな結論もない問題ではあるが、歴史学者としてひとつの確固とした主張を行っていることは評価できると思う。

    実際にコロナに罹って重症化してICUで人工呼吸器につながれた身としてもし言うとすると、それでも日本の自粛対応は過度であったとも思うのである。それでもなお、あれ以外の方法はなかったのかもしれないとも思う。もし今やるべきことがあるとすれば、きちんとこれまでの対応を検証することと、日本の医療環境や地方自治体・政府のDX化も含めて見直すことではないだろうか。

    敢えてお薦めする本ではなく、與那覇さんの本を読みたければまずは『平成史』など他の本を読むべきではないかと思う。ただ、與那覇さんの強い個が見える本ではある。

  • 執拗にコロナ対応の政策を批判しているが、日本で感染拡大が海外より深刻にならなかった理由は、科学的には明らかになっていないはず。
    であれば、慎重に対応することが必要であったのではないか。
    当然ながら、自粛という無責任な対策は非常に問題であるが、ワクチンが行き渡るまでは、人流を抑えるしか感染拡大を抑える手段はなかったことは明らかである。

  • 以前に読んだ、著者の「中国化する日本」が面白かったので、この本を手にしたのだが、どうもついていけない。
    内容は、朝日新聞に連載したコラムを軸にして、それに対談4編に、著者へのインタビューから構成されているが、冒頭の「まえがき―さよなら、学者たち」で躓いた。

    「まえがき」は、SNSで炎上した歴史学者の投稿内容をダイジェストしているのだが、名前を匿名にするのは良いが、部外者には内容がチンプンカンプンで理解しようがない。

    具体的には、実証的な歴史研究者A(日本史・男性)が「網野義彦はただのサヨク」と投稿し、別の学者B(英文学・女性)が「Aのような冷笑系には、網野のロマンティシズムを読み解くことはできない」と反論、更にC(日本史・男性)が「Bこそ思い込みしか根拠がないのに、妄想で当てこすっているだけだ」と論評。その後Cが1年半以上前からBの知らない所で、Bの言動をたびたび誹謗中傷していることが判明し、過去の発言を入手したBが、Cを強く非難した。それがSNSで炎上し、CがBへ謝罪する事態となった。ここへ有象無象の者がバッシングやキャンペーンをやり始めた。
    それに対して、著者が「Cへの不当なバッシング」を批判したところ、著者にも火の粉が飛び移り巻き込まれてしまったグチをクドクドと述べている。
    (この事件はSNS上では、有名な事件だったらしい???)

    次に、SNSの炎上の話から、コロナでの「自分が罹らないためなら、他のやつらは黙って自粛しろ」の風潮への批判へと展開してゆき、ポストコロナは共感を作り直すことから始めなくてはならないと纏めている。
    ・・・この著者は、読者に分かりやすく理解させようとしているのか疑問に思う。

    本書のメインであるコラムの内容についても、短文であるため、全体感が把握できないのでその分理解しにくい。著者の怒りが常に感じられるので、読んでいて疲れる。
    対談については、まともな内容であったので、辛うじて救われたが、全体に著者の熱量が多すぎて、お薦めできる本ではないと思う。

    ただいろんな書評をみると、★が4~5が圧倒的に多くついており、若者には理解できて共感が湧いているようなので、単にオジンがついていけないだけなのか? 

  • 歴史を考える場合に、時間軸を捉える意識が重要だとの主張が非常に心に響いた.コロナ禍に対処する学者の欠点を上げ連ねているが、人文系・理科系を問わず、視点が定まっていないことを嘆いている.その通りだ.第6章の対話、これは與那覇潤と浜崎洋介・先崎彰容・大澤聡・開沼博がそれぞれ議論しているのだが、登場する人物が凄い.柄谷行人、浅田彰、大澤真幸、福田恆存、山本七平、内田樹、高橋哲哉、上野千鶴子、江藤淳、加藤典洋、竹内洋、原武史、東浩紀、佐伯啓思などなど.それぞれの著作に目を通して議論しているのが素晴らしい.

  • 社会に対する視点はまず中庸ではあると感じた。

    ただ躁状態にある時の独善性と鬱状態にある時のぼやきには辟易する。YouTubeの配信等なら聞く気も起こるかもしれないが、今後も独善とぼやきが随所に出てくるのであればその著書を読むのはつらい。病状次第だとは思うが。

    後他の方も書かれているが、書評は掛け値なしにいい。読み返すのは書評かな。

    谷島屋書店本店にて購入。

  •  歴史の記憶が忘却されるスピードがあまりに速い。
     歴史が活かされていない。
     
     「共感の基盤」をという指摘は、確かに世の中を見る手がかりになる。

     「平成史」とともに読みたい。

  • 鋭い指摘が多く同感するが、少しボヤきすぎではと感じる筆致が多い。書評は大変参考になった。

  • 学んだ歴史をどう活かすのか、その本質を教えてくれる一冊。與那覇さんの文章は大変読みやすく芯がある。今読むべき本であり、今後も読み返す本となりそう。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。専門は日本近現代史。2007年から15年にかけて地方公立大学准教授として教鞭をとり、重度のうつによる休職をへて17年離職。歴史学者としての業績に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。共著多数。
2018年に病気の体験を踏まえて現代の反知性主義に新たな光をあてた『知性は死なない』(文藝春秋)を発表し、執筆活動を再開。本書の姉妹編として、学者時代の研究論文を集めた『荒れ野の六十年』(勉誠出版)が近刊予定。

「2019年 『歴史がおわるまえに』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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