世界一孤独な日本のオジサン (角川新書)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784040821887

作品紹介・あらすじ

日本のオジサンは世界で一番孤独――。人々の精神や肉体を蝕む「孤独」はこの国の最も深刻な病の一つとなった。現状やその背景を探りつつ、大きな原因である「コミュ力の“貧困”」への対策を紹介する。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、岡本純子さん、どのような方かというと、次のようはプロファイル記事を見つけました。

    1967年、神奈川県生まれ。コミュニケーション・ストラテジスト、「オジサン」(の孤独)研究家。読売新聞経済部記者などを経て、グローコム代表取締役社長。人材育成・研修、企業PRのコンサルティングなどを手がける。

    で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)

    日本のオジサンは世界で一番孤独――。人々の精神や肉体を蝕む「孤独」はこの国の最も深刻な病の一つとなった。現状やその背景を探りつつ、大きな原因である「コミュ力の“貧困”」への対策を紹介する。

    私、61歳。
    納得できる内容でした。(-_-;)

  • 孤独が健康に与える悪影響・リスクは欧米を中心に多くの研究がなされている。
    それによれば、孤独のリスク・健康に与える悪影響は、例えば以下の通りである。
    ■1日たばこ15本を吸うことに匹敵
    ■アルコール依存症であることに匹敵
    ■運動をしないことよりもリスクは高い
    ■肥満の2倍リスクは高い
    ■孤独度が高い人がアルツハイマーになるリスクは孤独度が低い人の2.1倍
    ■孤独は冠動脈性の心疾患リスクを29%上げ、心臓発作リスクを32%上げる
    ■孤独な人はそうでない人より、20%速いペースで認知機能が衰える
    こうなると、孤独は「病である」と言っても過言ではないかも知れない。

    困ったことに、各種国際比較によれば、日本は「孤独大国」と呼んでも差し支えないほど、人々の孤独度が高い国であるらしい。その中でも、筆者によれば、リスクの高いのが、中高年の「オジサン」である。題名の通り、「世界一孤独な日本のオジサン」であり、ということは、孤独によるリスクが、世界で最も高い集団と言えるのかも知れない。しかも、日本のオジサンはプライドが高く、「自分は孤独である」ということを、他人にばかりではなく、自分自身に対しても認めたがらない、あるいは、進んで孤独になろうとする傾向もある。
    上記の通り、孤独に関する研究は欧米で進んでおり、従って、孤独がもたらすリスクに対しての認識は高い。それは個人にとってのリスクであるばかりではなく、不健康な人が増えて、例えば、医療費が上がる、介護コストが上がるという社会的な負担の問題としても認識されており、特にイギリスでは、「孤独担当相」が置かれる等、対策が進んでいる。
    日本では、孤独が社会的なリスク要因であるという認識はこれまで進んでいなかったのであるが、最近になって一転、政府も積極的に対策に取り組むようになっている。2021年4月1日には、イギリスに次いで世界で2番目に「孤独・孤立担当大臣」が任命された。また、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設置され、2022年12月には、「孤独・孤立対策の重点計画」の改定版が発表されている。

    人間は、進化の過程で助け合い協力し合いながら生き延びて来た動物であり、他人と関わり合いながら生きていくことが、DNAレベルに組み込まれている、従って、人と関われない「孤独」の状態では、逆に生きる力を削がれるべく、プログラミングされている。それが、孤独が人間にとってリスクである理由ではないだろうか、ということが言われているようである。私自身は、幸いなことに現在は孤独な状態ではない。ただ、信頼できる家族や仲間が全くいないとか、ほとんど誰とも口をきかないで生活するとか、といった孤独の状態は、それを想像するだけでも、何だか健康を害しそうな気分になる。

  • どんな病気よりも孤独な状態が最も危ないとされていることが初耳でとてもびっくりした。統計学がそう表しているんだから間違いないんだろうな。
    もっと驚いているのは、その孤独をきちんと認知して孤独対策を行なっている国がとても多いこと。日本はその孤独をあまり重要視していないらしいけれど、ここまで長寿な国なのに孤独で悩むというのはとてももったいない気がする

  • さて、コロナ前でこれだと今どうなってるのだろう。オジサンパワーで在宅をまた出社にしたりしてるのかな。オジサンは会社に来たらハッピーなんだろうか。

  • 50代になったばかりだが、全く他人事ではない

    孤独であることで、精神的にだけでなく、肉体的にも悪影響があるという。
    1日にタバコを15本吸うことに匹敵
    心疾患リスクを29%上げる
    20%速いペースで認知機能が衰える
    アルツハイマーになるリスクが2.1倍に
    うんぬん…

    一番戦慄したのは、「会社の退職者の65%が70歳に届かぬうちになくなっている」という部分。 肩書もやりがいも居場所も部下も全部剥ぎ取られて、心も体もみるみる衰えていったのだろうか。

  • 確かに、日本の高齢男性には孤独を感じている方は多いのかもしれない。日本でも孤独対策担当大臣が置かれ、これからどのような施策が打たれてくるだろうか。独居が問題なのではなく、社会的繋がりが乏しいことが問題。

  • 孤独にならない様に人との関わり方を見つめ直してみます。

  • 気がきかず、空気を読めず——それ以上に、気をきかせようとも空気を読もうともせず、(妻を始めとする)他人が自分に奉仕して当たり前。いつも仏頂面で、口を開けば自慢かダメ出しかセクハラかクレーマー…そんなオジサンは「孤独」であり、それは肥満やアル中にもまさる健康不安要因なのだそうだ。
    彼らに「オトモダチ」を作っていただくことが肝要だが、「孤独なオジサン集まれ〜☆」などと本当のことを言っては臍を曲げてしまうので、もと大工にはDIYのワークスペース、サッカーファンには老いても活躍できるwalking footballなどそれぞれの沽券を重んじた「エサ」で釣って、偏屈の穴蔵から気持ちよく出てきていただかねばならない…。
    というのだが、(他ならぬ「男」のみを除いた)老若女にあまねく負担をかけてまで、こんな爺どもを永らえさせる必要があるのだろうか。医療費の節減と言うなら、とっととあの世にお引っ越し願ったほうが、ずっと話が早いようにも思う。専属家政婦兼慰安婦兼看護師兼介護士兼サンドバッグたる妻を喪った爺はあっという間に萎むが、婆さんのほうは高熱で倒れようがおかまいなしに要求される3度3度のメシ炊きと、お茶と言う手間すら省いた「おーい」から「やっと解放された!」とばかりにイキイキするというから、その点でも困る人は存在しない。金さえ稼いでいればあとは何もしなくていいとみずから「ATM」に堕すことを選んだのは、他ならぬ男たちなのだ。ならば心おきなく、「遺産・年金吐き出しATM」と化していただこうではないか。
    いい歳こいて「産んだ覚えのない長男」と化し、何でもかんでも妻におんぶに抱っこのあげく、他人様のコンサルタントに手取り足取りヨチヨチしていただかなければ「生きる」ことすらおぼつかなくなった、「見た目は爺・頭脳は子供」。モンスターとしか呼びようがないこんな生き物は、おぞましいのひとことである。生きるにも、生かしておくにも値しない——というのは、言いすぎなのだろうか。
    そもそも結婚や出産、転勤など、てめえひとりの都合で女性の地縁・血縁・社縁を容赦なくブッチブチ切断しておきながら、「オンナと違ってボクチン友達づくりがヘタなんだよおおおお。ボクチンたちのロンリテキでユーシューな頭脳は、そんな低俗な作業には向いていないんだよおおお。オンナたちはそんなボクらをヨチヨチして、気持ちよく友達づくりさせてくんなきゃやだよおうええええん」とは、どこまで甘ったれているのかと言いたい。

    2018/11/14読了

  • 『世界一孤独な日本のオジサン』
    著者 岡本純子
    角川新書 2018年

    「病気になる人々を観察し続けてきて分かったが、その共通した病理(病気の原因)は心臓病でも、糖尿病でもなかった。それは孤独だった」
    これはオバマ大統領のもとでアメリカ連邦政府の公衆衛生長官を務めたビベック・マーシー氏がいった言葉である。
    孤独というものがいかに恐ろしいかを端的に表した言葉である。
    この本はそんな孤独に関する実態をまとめたものである。
    なぜ孤独はこんなにも忌み嫌われるのだろうか?それは人間が「社会的動物」であるからだ。古来より人間は繋がることにより、生命を生き延びさせ、孤立することは死を意味するようなそんな環境で生き抜いてきた。現代では、孤立してもすぐに死ぬことはないし、なんなら、表面上は快適さえ感じる人もいるが、しかし、我々の脳はそうは思ってくれない。
    社会性を持った動物は身体的な痛みと孤立どちらを選ぶかという選択が迫られた時、身体的な痛みを選ぶ傾向にあるそうだ。痛みを選んでもなお、孤立になりたくないという社会的動物の宿命とも言える。
    これに関して、補足で引用する

    カシオッポ教授によれば、「孤独は敵の襲来にたった1人で立ち向かわなければいけないことを意味し、脳を『サバイバル(自己保身)モード』に変える。人間は『サバイバルモード』においては、ウイルスと戦うのではなく、バクテリアと戦うように、プログラミングされているため、ウイルス耐性が下がり、がんなどへの免疫力が落ちる」という

    なぜ日本のオジサンは孤独と隣り合わせなのだろうか?それには2つの要因があると筆者は書いている。それはコミュニティとコミュニケーションである。
     まずコミュニティつまり外的要因では日本特有の企業的な問題が絡んでくる。日本では職場を転々と移動するという発想がまだ希薄であり、正規労働者の転職比率は5%にも満たない。同じ会社で長く働き続けることによって、その一つの場所に頼るしかなくなり、そこにはその場所に依存することによって働き続けてきたおじさんが横たわっているのみである。そしてそれは知らず知らずのうちにプライドを熟成させていることになる。カリフォルニア大学バークレー校のダッチャー・ケルトナー教授は行動学の研究の末にこのようなことを発見している
    「自分に力があると感じたり、特権的な立場を享受するなど、権力を持った人はそうでない人々より無礼で、身勝手、そして非倫理的な行動を取りやすい」
     そしてコミュニケーションの問題ではこれも日本特有のハイコンテクスト文化である所謂言わなくても伝わるというコミュニケーションの態度が問題となる。
    これについては、本書のある箇所を引用する

    このように「以心伝心「無口上等」という文化のもとで、日本人男性が「言葉にして話し、伝える」力を鍛える機会はそれほどなかったし、その必要もなかった。しかし、村や地域という同質性の高いコミュニティが失われ、異質性の高いグローバル社会へと移行していく中で、他者と繋がっていくためには「コミュ力」という道具がますます必要になっている。

    最後に、男の友情を維持する方法が書いてある箇所を引用する
    イギリスオックスフォード大学のダンバー教授は、高校から大学に進んだ学生を追跡調査し、「女性は、電話で話すことなどを通じて、長距離の友情関係を維持することができるがが、男性は一緒に何かすることがなければ、関係を継続することが難しい」と結論づけた。

  • 812

    岡本 純子
    コミュニケーション・ストラテジスト、「オジサン」(の孤独)研究家。企業やビジネスプロフェッショナルの「コミュ力」強化を支援するスペシャリスト。グローバルな最先端ノウハウやスキルをもとにしたリーダーシップ人材育成・研修、企業PRのコンサルティングを手がける。これまでに千人近い社長、企業幹部のプレゼン・スピーチなどのコミュニケーションコーチングを手がけ、「オジサン」観察に励む。その経験をもとに、「オジサン」の「コミュ力」改善や「孤独にならない生き方」探求をライフワークとする。株式会社グローコム代表取締役社長。

    人間は「社会的動物」である。個人は絶えず他者との関係において存在している。古代から、人間が敵と戦い自らの生存を担保していくためには、何より、他者との結びつきが必要だった。敵を倒すために共に戦う。食べ物を共に確保し、分け合う。そのつながりから放り出され、孤立することはすなわち「死」を意味していた。「孤独」という「社会的な痛み」は、のどの渇きや空腹、身体的な痛みと同じ脳の回路によって処理され、同等、もしくはそれ以上の苦痛をもたらす。その 辛 さを避けようと、水を飲んだり、食べ物を口にするように、孤独な人も「苦痛」から逃れるために、自らつながりを求めるようになる。これが人を孤独から遠ざけようとする、本能的なディフェンスメカニズム(防御機構) の基本的な仕組みだ。  社会性を持った動物は、身体的な痛みと孤立、どちらを選ぶのか、という選択を迫られた時、身体的な痛みを選ぶのだという。刑務所において「独房監禁」が最も残酷な罰の一つであることを考えれば、納得がいく。孤独が常態化すると、その「苦痛」に常にさらされることとなり、心身に「拷問」のような負荷を与えてしまう。身体のストレス反応を過剰に刺激し、ストレスホルモンであるコルチゾールを増加させる。高血圧や白血球の生成などにも影響を与え、心臓発作などを起こしやすくする。遺伝子レベルでも変化が現れ、孤独な人ほど、炎症を起こす遺伝子が活発化し、炎症を抑える遺伝子の動きが抑制される。そのため、免疫システムが弱くなり、感染症や 喘息 などへの抵抗力が低下し、病気を悪化されます。

    また、いったん孤独になり、自己保身本能にギアが入ると、もう一度、人とつながることを極端に恐れるようになる。一度拒絶された「群れ」に戻ろうとすることは、再び、拒まれ、命の危険にさらされるリスクを伴うからだ。それよりは、何とか一人で生きていくほうが安全だ、と考えて、閉じこもりがちになってしまう。また、慢性的な孤独下に置かれた人は、他の人のネガティブな言動に対して、極度に過敏になったり、ストレスのある環境に対する耐性が低くなる。さらにアンチソーシャル(非社交的) になり、孤独を深めていく、という悪循環に陥ってしまうのだ。中高年の男性は「孤独が好きだ」「孤独を楽しむのだ」と引きこもる人が多いが、それは、傷つくことを恐れる、ある種の自己防衛メカニズムが働くからだろう。孤独はまさにアリ地獄。一度入り込むとなかなか出てこられない。  毎日、食事に気を付けたり、お酒を控えたり、禁煙をしたり、ランニングをしたり……。皆さんもそれぞれに健康には気を遣っていることだろう。しかし、そのすべての効果を打ち消してしまう可能性があるのが「孤独」なのである。そのビール一杯を我慢する前に考えていただきたい。今、あなたは孤独ではないか。将来、孤独になる可能性はないか。

    「物理的に孤立していること」と「孤独を感じること」は同一ではない。家族と一緒に暮らしていても孤独にさいなまれる人もいれば、独居であっても友人や近所の付き合いなどを通じて、孤独感を感じない人もいる。独居世帯=孤独、という話ではない。そもそも、ノルウェーや、デンマーク、ドイツなどでは、単独世帯の割合がすでに4割近くに達している。孤独に陥らないために重要なのは、「心から信頼でき、頼ることのできる人たちと、深く、意味のあるつながりや関係性を築いているかどうか」である。そういった意味で、日本は世界一、「孤独」な国民なのです。

    そうした「幸福」を感じにくい国民性ではあるが、果たして高齢者はどうか。「年を取るほど幸せ」。これは欧米などの調査で表れる顕著な傾向だ。アメリカのノースウェスタン大学などの研究で、 83 カ国 20 万人を過去 30 年間にわたって調査したところ、人は年とともに人をより信用できるようになり、幸せに感じるようになることがわかった。イギリス政府が行った調査では、「人生で最もハッピーなのは 65 ~ 79 歳」などという驚きの結果も出ている。図2-10 を見ていただくとわかるように、年代別の幸福度を追った調査で、先進国においては、幸せは若いころ高く、中年で低くなり、高齢になって再び上がるというまさにUカーブを描くという傾向を持つ国が多い。一方、日本では年を取るにつれ、幸福度はただただ下がっています。

    オックスフォード大学などの研究によると、友人のネットワークの輪は 10 代から 20 代にかけて広がり、 25 歳をピークに、その後は縮小トレンドに入っていくという。この背景にあるのは、生活環境の変化だ。家庭や仕事、睡眠、運動、趣味……。 20 代を過ぎると、日々に追われ、毎日のように会い、何でも話し、悩みを分かち合った学生時代のような友人関係を維持することは難しくなる。また、就職、結婚や出産などライフステージが多様化し、従来の友人とは異なる生活環境に置かれてしまい、連絡をとりにくくなるという事情もあるだろう。オランダの調査では、人は7年ごとに親しい友人の半分を失っていくという。恋人ができると2人の友人を失う、という調査もある。  特に、「プライド」という「鎧」を身にまとった男性は、新しい友達を作ることに抵抗を感じやすい。鎧を「装着」する前に作った友人、つまり、 幼馴染、学校の友人などとは容易に打ち解けられるのだが、問題は、地元を離れてしまった人は、頻繁に会って交流することができないことだ。  それに、日本のサラリーマンはとにかく忙しすぎる。例えば、 50 代以上の「モーレツサラリーマン」であれば、仕事最優先、出世や昇進を目指してがむしゃらに働く中で、社外のコミュニティ活動などなかなか時間がとれなかった。ここのところの「働き方改革」で突如、暇ができても、いったい、自分がなにをやりたいのかわからない、と戸惑う人も多い。「イクメン世代」の 30 代、 40 代の男性たちも、仕事も家事も頑張れと、ハッパをかけられ、自分の時間もままならないこの頃だ。本人は頑張っているつもりでも、妻にはダメ出しをされ、毎日、家庭と仕事の板挟み。結局、友人との時間、趣味の時間を 諦めざるを得なくなっています。

    こういった〇〇らしさの縛りは、もちろん、女性にも根強く存在し、「美しくあれ」「かわいらしくあれ」といった圧力はあるものの、伝統的な価値観を抜け出て、女性が強く、自立した「男性的」な生き方を志向することはポジティブにとらえられるようになっている。例えば、女性が、これまで男性の独壇場だったパイロットや科学者、技術者などといった職業で活躍することは、ヒーローのように賞賛される。一方で、男性が、女性が大多数の職業、例えば「キャビン・アテンダント」「バスガイド」などとして活躍する話はあまり聞かないし、日本社会ではいまだに、男性が「女性らしい」言動をすることに、強い偏見のようなものが残されているようにも思います。

    そういった「我慢の美学」は確かに欧米にはあまりない。「多くの脳科学研究から明らかになったのは、一生懸命、働いて成功すれば幸せになるのではなく、幸せだからこそ、成功するということ。だから最初に、幸せになることを見つけろ。そうすれば、成功があなたを探してついてくる」。スタンフォード大学の研究者、エマ・セッパラ氏が行った「幸せ」についての研究が最近、米国で注目を集めている。我慢して働けば幸せになれるかもと考える日本人の「生産性」は低い、ということです。

     孤独が伝染するように、笑顔も伝染する。幸せな顔の周りに人は集まる。笑顔は人とつながる最強の武器だ。不機嫌そうに見えて、内面はとても柔和で優しい人も多いが、表情で「とっつきにくい」などと印象が決まってしまうのです。

    もう一つの特徴として、女性は延々と向かい合って、話を続けられるが、男性は相手との間に何か介在するものが必要な場合が多い。スポーツを見る、ゲームを一緒にする。確かに、何も目的がないままに、おしゃべりに興じる男性というのはあまり見かけない。イギリス・オックスフォード大学のダンバー教授は、高校から大学に進んだ学生を追跡調査し、「女性は、電話で話すことなどを通じて長距離の友情関係を維持することができるが、男性は一緒に何かをすることがなければ、関係を継続することが難しい」と結論づけた。「男性にとって、おしゃべりは何の役にも立たず、サッカーを一緒にする、見る、一緒にお酒を飲む、といった共通体験がないと、関係を維持できない」というのだ。ダンバー教授の言葉を借りれば、「(男性の友人関係は) 去る者は日日に疎し」ということらしい。女性がお互いの目を見ながら、向き合うのに対し、男性はテレビでスポーツを見る時のように、互いに肩を並べて、コミュニケーションをとるというイメージだ。そうであれば、男性は物理的に時間を一緒に過ごす必要があり、何らかのきっかけやアクティビティがないと、関係構築・維持が難しいということになる。つながりを作るためのハードルが極めて高いのです。

    男の子同士の交流は、例えば、スポーツや興味がある「モノ」を通じて成立しているため、それほど、「人」に対する気遣いをする必要がなく、関係維持に対してもそれほどの熱意を注ぐことがない。一方、女性は小さいころから、複雑な人間関係を読み解き、お互いの表情や感情を気遣いながら、「共感関係」を構築し、維持する訓練をされ、努力をしている。結果的に、男女の間で、対人関係の構築力に大きな差が出てしまう、というのです。

    「こんにちは」。日本語で話しかけてきたジョンさんは 70 歳。大手資源会社のエンジニアとして、天然ガスを運搬する船舶に乗って、世界を回ってきた。だから日本にも何度も足を延ばしたことがあるという。「いつまでも元気でいたいから」と参加の動機を語る。もう一つの生きがいはボランティア。ホームレスのシェルターで、食事を提供する活動を仲間たちと続けている。「たくさんある時間を自分のためだけに使うのはもったいない。いつまでも人の役に立っていたいからね」と目を輝かせます。

    ゲームの後には、みんなで近くのコーヒーショップでお茶を飲み、話に花を咲かせる。タクシードライバーから校長先生、ホテルマンからCEOまでと経歴はさまざまだが、サッカーという共通項を通じて簡単につながることができる。小さな「きっかけ」一つで、自分の前にあった「厚い扉」があっという間に開ける。参加した誰もがその手ごたえに驚きと喜びを感じています。

    「孤独」に対する調査活動も頻繁に行われている。イギリスの大人の 68%が孤独を感じており、男性の場合、全年代合わせて、800万人( 35%) が「1週間に一度は孤独と感じる」、300万人( 11%) は「毎日が孤独だ」という調査もある。女性のほうが「孤独」を訴える率は高いものの、男性はその苦しみを打ち明けることが少なく、実は、陰で苦しんでいる人が多い、という視点での研究も進んでおり、「男性」をターゲットにした孤独対策キャンペーンも注目を集めています。

    ショーペンハウエルやフロイトが、人間関係の 寓話 として用いたことで知られる「ヤマアラシのジレンマ」というたとえ話がある。とげのあるヤマアラシが寒いので、他のヤマアラシとくっつこうとすると、針が刺さって痛い。くっつきたくてもくっつけない、離れたくても離れられないというヤマアラシのジレンマは「自立」と「つながり」という相反する価値をどう両立させるのか、という難しい人間関係の命題を象徴している。要は人間関係の適度な距離感が大切ということであり、少しずつ、近づきながら、針の長さを確認し、時にはそれを伸縮しながら、最も居心地のいい関係性を築いていく努力が必要だということだ。一方で、日本人は、相手の針があたって傷つくことを過度に恐れて、必要以上の距離感を保とうとし、結果的に孤立している傾向があるような気がします。

    「ネタ」を見つける三つの視座がある。「夢中になれるもの」「社会が求めるもの」「得意なもの」(図6-1) だ。この三つの要素すべてが満たされればベストだが、一つでも二つでもあてはまるものが見つかれば、候補としてリストにしてみよう。まずは、「夢中になれるもの」。スポーツ、音楽、芸術などの趣味でもいいし、特技でもいい。女性は「習い事」好きな人が多い。ある民間の調査によると、年代別では、 60 代以上が最も習い事をしている人が多かったが、そのうち、女性は 30・7%の人が習い事をしているのに対し、男性は 12・8%に過ぎなかった。  筆者の母もその例にもれず、その人生はまさに「習い事」の歴史と言ってもいいほどだ。手を動かすのが好きな人なので、とにかくありとあらゆる手仕事を習いに行っていた。木目込み人形、 刺 繡、料理、陶器、和紙細工などなど、その数は 30 を超えるだろう。今は習字に凝っていて、週に3回はあちこちの教室に出かけている。何かに「はまる」おばちゃんも大勢いる。「 韓流」「宝塚」「歌舞伎」……。周りを見渡すと、元気にはしゃぐおばちゃんたちの群れはよく見かけるが、趣味に興じる中高年男性グループの姿を街中で見かけることはあまりない。そう考えると、オジサンは集団で、何らかのアクティビティに参加し、絆を強めるという機会が少ないのかもしれない。イギリスのWalking FootballやMen's Shedのような取り組みが日本にも普及すれば、一つの「ビジネス市場」として活性化する可能性もあります。

    「年を取れば取るほど、人の話を聞かない……」とよく言われるが、高齢化の進む日本社会は、ますます人が人の話を「聞かない」社会になっていく可能性がある。思い思いに、人々が自分の主張ばかりを押し付ける「クレーマー社会」の兆しは確かに現れ始めている。だからこそ、「聞くことの価値」をもう一度見直す必要があります。

    自分が主役になって話すことはセックスと同じ脳内麻薬の分泌を促し、同様の快感を覚えるからだ。それだけに、自分ではなく、他人に主役を譲るのは容易なことではありません。

    この「サスペンション」、自分の話がしたくてたまらない「うんちく」「説教」おやじには、地獄ほどの拷問だが、ついつい、人の会話を自分の話に振り向ける「会話泥棒」ほど、嫌われる行為はない。 80: 20 を頭に浮かべて、ぐっとこらえて「聞き役」に徹する努力をしてみてはいかがだろう。「説教」と「自慢話」と「昔話」というオヤジのコミュニケーションの三大タブーを破ることからコミュ上手の道は始まる。耳は二つ、口は一つ。しゃべる量の2倍は、相手の話を聞こうということです。

    幸せになる人は、「ないものを数えるより、あるものを数える」。「すべてが許せない」のではなく、「すべてがありがたい」と思える人は多幸感を覚えやすい。つまりは「感謝すること」をくせにしてしまうと、心はぐんと軽くなる。  感謝する気持ちは、幸福感、楽観的な考え方、関係性の向上、健康、目標達成、タスク達成力、身体的な痛みの減少、寛容性と共感性、良い睡眠、自己肯定感の向上など、ありとあらゆるポジティブな効果があります。

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著者プロフィール

岡本 純子(オカモト ジュンコ)
コミュニケーション・ストラテジスト


「2023年 『世界最高の伝え方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

岡本純子の作品

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