- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041046005
作品紹介・あらすじ
空が色をなくした冬の北海道・江別。柊令央は、ビストロ勤務で得る数万円の月収と、元夫から振り込まれる慰謝料で細々と暮らしていた。いつか作家になりたい。そう思ってきたものの、夢に近づく日はこないまま、気づけば四十代に突入していた。ある日、令央の前に一人の編集者が現れる。「あなた今後、なにがしたいんですか」。責めるように問う小川乙三との出会いを機に、令央は母が墓場へと持っていったある秘密を書く決心をする。だがそれは、母親との暮らしを、そして他人任せだった自分のこれまでを直視する日々の始まりだった。自分は母親の人生を肯定できるのか。そして小説を書き始めたことで変わっていく人間関係。書くことに取り憑かれた女はどこへ向かうのか。
感想・レビュー・書評
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さて、あなたは、『日本には約五百人の文芸作家がおります。けれど、小説だけで生活できているのはそのうちの五十人です』という現実を知っているでしょうか?そして、『ほかの四百五十人は』、『仕事を続けながら書かれているひとも、配偶者に養ってもらっているひともいらっしゃいます』という現実を知っているでしょうか?
どんな分野にも賞というものが存在し、その分野で活躍するきっかけを得るために、全身全霊をかけてその獲得に打ち込まれている方がいらっしゃいます。それは、小説の世界だって同じことです。芥川賞、直木賞、本屋大賞、その他出版社が主催する賞は数多あります。しかし、どんなに頑張っても全ての方が栄光を勝ち取れるわけではありません。さらに、栄光を勝ち取ったとしても、文筆業だけで生活していけるわけでもないという現実があります。
『小説を書いて生活するって、そんなに難しいことなんですか』という問いかけに、『売れる売れないは、ひとつの博打です』というその世界。『自称作家なんて、うんざりするほどいるじゃない』という作家という肩書きの微妙さがそこにはあるようです。
しかし、何もしなければそんな結果論さえ夢のまた夢です。前に進もうという気持ち無くしては何も始まりません。この作品は『柊さん、「砂上」にもう一度挑戦してみませんか』という言葉の先に主人公・令央の生き様を見る物語。『自分の意思で、書きたいように書けばいいじゃないですか』という言葉の先に一冊の小説が誕生する瞬間を垣間見る物語です。
『雪は、舞い始めてから数分で根雪を約束しそうな降りに変わった』と、喫茶店の窓から外を見るのは主人公の柊令央(ひいらぎ れお)。そんな喫茶店にひとりの女性が入ってきました。『柊さんですか』、『初めまして。小川です』と差し出された名刺には『翔文館書店 月刊「女性文化」編集部 小川乙三(おがわ おとみ)』とあります。『北海道に出張があるので、時間が合えば会いたい』と連絡を受けていた令央は、『「女性文化」の母娘エッセイ大賞に応募して、優秀賞』を受賞していました。最優先賞を逃したこともあり『来年もがんばります』と話すも『最優秀エッセイの副賞で世に出るのは難しいです』と言われる令央。『柊さん、あなた今後、なにがしたいんですか』と訊く乙三に『いつか、書く仕事がしたいと』素直な心の内を吐露する令央。それに『ところで柊さん、今年も「オリオン短編小説新人賞」に応募したんですか』とまさかの他社の賞の話を切り出す乙三。昨年までオリオン社に勤めていたというその理由を聞き、『小説の新人賞に投稿していた事実を知っている人間がいるというだけでこの場から逃げ出したい』と思う令央。『同じ原稿を毎年とか、二重投稿や三重投稿なんてのはしょっちゅうです』、『わかるんですよ、毎年連絡先を変えても筆名を変えても、文章の調子だとか頻発する語句だとかで』と続ける乙三に『呼吸が速まり、瞬きが多くな』る令央。そんな令央に『柊さん、この先もこんな調子でやっていくおつもりですか』と訊く乙三は『小説を書きたいのなら、書けばいいんじゃないかと思うんですよね』と続けます。そして、『二年前にオリオンに応募された「砂上」っていうお話、良かったんですよ』と具体的な作品名を出した乙三は『柊さん、「砂上」にもう一度挑戦してみませんか』と具体的な提案をします。『三人称一視点で三百枚くらいあれば読みやすいものになると思います』、『三か月後の完成を目処に一度お原稿を送ってください』と続ける乙三。『三人称、三百枚、三か月後、小川乙三』と、『三ばかり並』ぶ提案に動揺を隠せない令央。一か月前に母親のミオが亡くなり、一人暮らしの令央は、家に帰り『柊さん、あなた、なぜ小説を書くんですか』という乙三の言葉を振り返ります。そんな令央が『お原稿、進んでいらっしゃいますか。お体に気をつけて、深く深く人間を掘り下げてください』と届く乙三とのメールのやり取りも続けながら小説「砂上」を書き上げていく姿が描かれていきます。
「砂上」という作品の中で主人公の柊令央が同名タイトルの「砂上」という小説を書き上げていく過程が描かれていくこの作品。同じように小説内で小説が展開する作品は多々あります。私が今までに読んだ作品では、辻村深月さん「スロウハイツの神様」の中で「V.T.R.」が、湊かなえさん「Nのために」の中で「灼熱バード」が、そして恩田陸さん「三月は深き紅の淵を」の中で同名小説がそれぞれ登場します。この形式の作品ではその小説内小説をどう扱うかがその作品の個性として現れてきます。辻村さんの作品では「V.T.R.」という作品がリアルに出版もされています。一方で湊さんの作品の「灼熱」はあくまで架空の存在のままです。そして、恩田さんの作品は、同名小説の存在が語られるだけという非常に不思議な体裁をとります。そんな中でこの桜木さんの作品は恩田さんの作品同様に同名小説が作品内に登場しますが、その両者が一体をなすかのように絡まり合って展開するのが大きな特徴です。作家になるのを夢見て、各社の新人賞に応募を繰り返してきた主人公の令央。そんな令央が応募した作品の一つが「砂上」でした。『自分が十六で産んだ娘を妹として育てる女と、その母との生活が柱』というその小説内小説。その外側を形作るこの作品の主人公・令央自身も『十六で娘を産んだのは本当です』と、実体験がそのまま小説を形作っていきます。そんなこの小説内小説のもう一つの特徴が主人公の令央が冒頭では作家ではないということです。それを『デビューする前の話なんですよね』と語る桜木紫乃さん。そんな風に桜木さんが語られる通り、この作品は小川乙三という『編集者』との出会いから始まる令央の作家デビューまでの日々を綴った作品という位置づけをもっています。『書き手が出てくる小説は今後も書くかもしれませんが、デビューするかどうかという話は一生に一度しか書けない気がします』と桜木さんが続けられるように、他の作家さん含め主人公が小説家という作品は多々ありますが、そのデビューに至る過程を描き出した作品というのは少なくとも私は他に例を知りません。そこには、作家さんご自身がデビュー作を生み出すまでの苦闘の日々が重なるようなところもあるのだと思います。そう何度も書けるものではないという桜木さんの気持ちがとても込められたのがこの作品なんだと思いました。
そんな作家としてデビューするまでの主人公・令央の生みの苦しみが痛々しいほどに伝わってくるこの作品では、『主体性のなさって、文章に出ますよね』と乙三に言われたことを意識する令央の姿が描かれていきます。『主体性のある文章って、どうやったら書けるようになりますか』と訊くも『自分の意思で、書きたいように書けばいいじゃないですか』としか返してくれない乙三に困惑する令央。私が書いているこのレビューもそうですが、文章というのはその人が本来持っている性格、気質といったものが強く現れるものでもあると思います。文章を書くことを生業にしている方は、それを個性として武器にするということはできると思いますが、それは作品が世の中で認知された後のことであって、これからプロの作家を目指す方にとっては乗り越えるべき壁となって迫ってくるものだと思います。この作品では、乙三が『このお原稿、すべて三人称一視点で書き直してみてください』、『三人称のお話においてあなたは、視点ではなく透明人間です。物語とは無関係な第三者であることが大切です』、そして『一人称の場合言葉は楽譜、三人称のときは楽器になると、わたしは理解しています。一曲、聴かせてほしいんです』と、繰り返し改稿を指示する乙三と、それを自身の中で咀嚼し、作品に落とし込んでいこうとする令央の姿が描かれていきます。そんな中でもう一つ乙三が指摘するのが『虛構』という言葉の先にある世界でした。私たちは小説を読む中で、そのあまりにリアルな描写からそれが真実なのか、それともそうでないのかの区別がつかなくなる時があります。しかし、小説とは基本的にはフィクションの世界です。そんな中にはリアルに見えて実は全てが『虛構』であることもあるのだと思います。この作品内で主人公・令央が向き合うのは自身と自身の家族を題材とした物語です。それが故に、『一人称か三人称』かという視点の置き方によって『虛構』の見え方が大きく変わってきてしまいます。人は自分に関することを語る時なかなかに冷静になることはできません。こんなことを言って良いのだろうか、こんなことは恥ずかしいから隠したい…そのような逡巡が必ずあるはずです。それが出版されるかもしれない小説に自身や自身の家族を軸とした物語を書くとなるとなると、さらには、それが人生で初めての、そして、その成否によってその先に続く人生が大きく変わる可能性があるとなるとなかなかに冷静になどなれないのだと思います。そんな迷いの中にいる令央に『いいですか、柊さん。現実としては誰も、柊さんの私生活には興味がありません』と突き放すように見えて、極めて適切な言葉を投げかける乙三。小説の中に『編集者』が登場する作品も他にありますが、この作品ほどに、『編集者』の存在に光があたる作品というのも珍しいと思います。一つの小説が生み出されるまでの作家さんの苦悩、そしてそこに色んな形で関わり、一冊の小説を生み出していくためには欠かすことのできない『編集者』の存在の大きさを強く感じました。
『人は変われるんです』とおっしゃる桜木さんが、一冊の小説がこの世に生まれるまでの一人の作家の苦悩を描いたこの作品。そんな作品では、普段見ることのできない『編集者』の存在というものを強く感じることになりました。そして、そんな『編集者』のひと言ひと言を噛み締め小説を改稿し続ける主人公・令央の生き様を描くこの作品。自身と自身の家族を描くことから、その改稿は自身の人生を、そして家族の人生を振り返り、歴史の中にその存在を落とし込んでいく機会ともなりました。『母には母の人生、娘には娘の人生があり、その娘にも娘の人生がある。みんなそれぞれでいい』と続ける桜木さん。それは、小説を書くことを通じて、そんな人それぞれの人生を肯定することができるようになった令央が変わっていく瞬間を垣間見る物語、令央の成長を描いた物語でもあったのだと思います。
一人の作家が誕生する瞬間を小説内小説という舞台を使って巧みに描いたこの作品。北国の四季の移り変わりの絶妙な描写も相まって桜木さんの作品作りの上手さをとても感じた素晴らしい作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
主体性のなさって、文章に出ますよね。
柊さん、あなた今後、何がしたいんですか。
二社の新人賞に毎回名前を変え、内容を少し変え応募していた「砂上」その原稿に何かを感じた一人の女性編集者の辛辣な言葉。
主人公の令央が「砂上」を書き上げるまでの過程がストーリーになってます。
醜く太りホステスをしていた母親、令央が15で産んだ娘の三人の関係とその人生を小説にする。
北海道の灰色の暗い冬の情景と陰鬱な空気感、鈍感なようで強かに生きる女達を書かせたら桜木紫乃が一番ではないだろうか。
砂の上を歩く…
頼りない足跡が歩くそばから消えていく女。
力強く踏み締め沈まないように歩く女。
足跡が残らないから自由に歩く女。
偏見かもしれないけれど、作品には男性が嫌う女達のリアルな姿があり、自分の身体を削り取るようにして物を書く姿に引き込まれ、改めて桜木紫乃が好きになりました。
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2023/07/17
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2023/07/19
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2023/07/19
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編集者乙三が令央に言い放った言葉、
「主体性のなさって、文章に出ますよね」
これは強く心に刺さった。
小説家を夢見る令央、40歳バツイチ。母、娘との関係は複雑。母ミオは若くして令央を産む。また令央も十代で娘美利を産み、妹として(姉妹として)育った。埋もれた新人作家を発掘すべく乙三は、賞を逃した令央のもと、「もう一度、砂上を書き直してみませんか」、と江別を訪れる。
(帯にもあるように)砂上を書くことは他人任せだった自分のこれまでを直視する日々の始まりだった令央。常識人で普通(普通って何、という感じだが)の人に見える令央だが、情の薄さ、掴みどころのなさを感じた。
元夫との金銭トラブルでのマックでの修羅場(娘美利にはっぱをかけられ行ったの、という感じが)。
あんなに可愛がってくれた珠子を怒らせた場面。
母ミオが重篤な体なのに(いくら嫌がっても)病院へ連れて行かなかったところとか。
なんでだろう令央と美利の場面は不思議な空気(親子の情みたいなのを感じない)。
令央に見るのは、乙三のいう主体性のなさに行き着くのか。人は誰も完璧なんかじゃないが。
書くことで母親を肯定したい。ラストでやっとゆっくり歩き始めた令央。
「書き手が傷つきもしない物語が読まれたためしはありません」(乙三語録)
小説を書き上げることはここまで身を削るのか。深い感動でした(面白かった)。 -
なんだか、ものすごい小説を読んでしまった・・・
主人公は小説家の女性。
女性編集者とともに一つの小説を生み出すまでの物語が描かれているのだが、
小説を書くというのは、こんなにも凄まじいことなのか。。。
書くべきものと書かずにはいられない性を持ってしまった主人公と、
辛辣な言葉のナイフで容赦なく切りつけて来る編集者とのやり取りは
読んでいるこちらまでも思わず傷ついてしまいそうなくらいでした。
こんなにも作家としての手の内を明かしてしまっていいのかしら・・・と心配になるくらい
小説家になりたい人が読んだら指導書代わりになるんじゃなかろうか。
女性のしたたかさ、逞しさ、誇り高さに同性として胸を張りたくなる物語でした。 -
作家志望の中年女性のお話。優秀な女性編集者に出会い物語を創っていく過程がリアルに描かれて楽しめた。自分の過去に向き合いながら小説という虚構を創造する過酷さと醍醐味。主人公と母娘とのお話も良かった。
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主人公の柊令央(ひいらぎれお)は物書きを目指す40歳の女性。最近、肥満体のホステスだった母を病気で亡くし、妹の美利(実は主人公が16歳で生んだ娘)は独立して家を出て行った。そんな令央に小説を書くことを勧める雑誌編集者の小川乙三(おとみ、35歳女性)。
編集者と作家のやり取りが凄いですね。というか、新人作家が編集者から一方的に攻め込まれているのですが。作家と編集者の関係は、ある程度は実体験を元にしているでしょうから、桜木さんでも最初はこんな感じだったのですかね。「不思議な人ではなく、人の不思議を書いてください」などの刺さる言葉も沢山出て来ます。
母の物語を幾度も書き直すことによって、家族や世間に背を向け、逃避、ひとごとだった主人公が、自分の生き方に落とし前をつけ、勁さをもちはじめる。そのあたりの描き方も見事です。
私としては丁寧に読んだ方だと思いますが、読み落としたものがまだまだ沢山行間に挟まってるような気もします。やっぱり桜木読みごたえがあります。 -
好きな作家だか、これはあまりハマらなかった。暗い展開で話が進み、ドッキリさせられる。
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第七回新井賞受賞作品
いままでの桜木作品の中で一番好き。
女の強さとしたたかさに痛さがないからか。母と娘と娘、三人の女のそれぞれの人生。男の入る隙間のないその人生に粘着きがないのは彼女たちがそれぞれに人間関係に乾いているからか。
人を頼らず、人にもたれず、人をつつまず。流されているようでなにものにもひっかからないのはあるいみ自立しているからなのか。
作り物として物語を紡ぐことで、自分と母親の「生」をなぞることで、ようやく娘との距離も定まったか。そしてもう一つの女のドラマも見え隠れしてそこも気になる。 -
柊令央は、ビストロでのバイト代と元夫からの慰謝料を生活費にし、母の残した家でぎりぎりの生活を送っていた。ある日、令央のもとに投稿作品を読んだ女性編集者が訪ねてくる。主体性なく生きてきた令央だったが、何度駄目だしをされても小説を書き続けるように。。。
令央が小説を書きつつ、自らの人生を見直す過程が面白かった。桜木さんは、女性の情念のようなものを描くのが本当にうまい。ミステリーにもなりそうなネタではあったかな。 -
今まで同様、北海道の痛いほど冷えた空気、薄暗い景色が思い浮かぶ情景の中、女の人たちのそれぞれの生き方が描かれている。
最後がストンと落ちなかったけれど…