- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784044004736
作品紹介・あらすじ
太古は植物、貴族は絹、脱脂綿、タンポン、ビクトリヤ……生理用品の史料を研究し、歴史をひもとく。さらに日本の生理用品史に大きな革命をもたらしたアンネナプキンの誕生、そして現在に至るまでを描く。
感想・レビュー・書評
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以前、三浦しをんさんだったかがエッセイで、自分のお祖母さんに昔の生理用品の話を聞いて、いつかこういうのちゃんと調べたい・・・みたいなことを書かれてた気がするのだけど(うろ覚えなので記憶違いだったらすみません)これまさにそういう本で、高畠華宵のレトロ表紙絵も可愛く、思わず手に取りました。
私自身が経験しているこの30数年だけでも、生理用品はかなり飛躍的な進歩を遂げたと思うのですが、確か母親の世代ですら若い頃はただの脱脂綿を使っていたというのを聞いた気がするので、それより遡ったら、一体どうなることやら。
文献としてわりとはっきり生理用品のことがわかるのはやはり江戸~明治あたりくらいからのようで、そもそも和装の当時、今でいうパンツ(下着のほうの)すらなく「腰巻」それが昭和初期ぐらいにやっと洋装が増えて「ズロース」になったくらいなので、まあもう下のほうは基本的にスースーですよね。そこでふんどしに近い形態の「丁字帯」というものが考案されるも(これは生理用品といってもサニタリーショーツの原形ですね)基本は手作り、商品化された明治後期でもまだまだそんなの上流階級のご婦人だけしか使えず。
余談ですが渡辺多恵子の『風光る』という現在も連載中の少女マンガ、沖田総司に恋したヒロインが男装して新選組に入隊するというイケパラ幕末版みたいな設定ではありますが、それをただの女の子のドリームに終わらせないこのマンガのすごいところは、ちゃんと彼女が生理中の処置をどうしたか、まで描写されているところ。作者は相当しっかり調べられているので幕末の頃の女性の生理用品(というほどでもない)本書にもあった「お馬さん」という呼び方など、詳しく説明されていて勉強になります。
閑話休題。肝心のナプキン、タンポンにあたる物としては、脱脂綿が普及する前は端切れ(布)や紙を使っていて、使い方としては当初は、ナプキン風にあてがうだけよりむしろ、タンポン的に詰めてしまうことのほうが多かったようです。だって基本が「腰巻」だったら、詰めて栓して止めるという発想になるのは仕方ない。しかし当然不衛生で病気の原因になる上、詰めたものが取れずお医者さんや産婆さんのお世話に・・・ということも多かったらしい。
衛生面は別としても、昔から日本ではタンポンを蔑視する傾向が強かったらしく、まあこれは私の世代でも「処女膜が破れる」説は結構あった記憶があるので多少わかりますが、「タンポンが自涜を助長する」だの、「女の神聖なところに男以外の物を入れるとは」というわけわからん説をぶちあげる人(※なんと東京女子医科大学の創立者である女医の発言!)までいたというのにはビックリしました。しかしそんなこと言われても、多くの働く女性は、そうする以外に方法がなかったわけで。そしてせっかく脱脂綿が普及しても戦争のせいで物資が不足し、また紙や布に逆戻りとかもあったらしい。
月経および女性に対する不浄視についてはちょっと民俗学的な部分もあってこれはこれで1冊欲しいところですが、本書ではそのタブー意識こそが、生理用品の開発、販売が日本で遅れた原因であるというのがポイント。今よりもっと男尊女卑が激しく男社会だった頃に、男性は女性の生理の処置の仕方など知ったことではなく、女性はそんなことを口にするのははしたない、ひたすら隠す、というのが当たり前の時代、現代ですら大っぴらにポーチもってトイレに行きづらいという共学の女子学生は多いわけで、そりゃなかなか商品化はされないよなあ。
ここで、アンネ社とアンネナプキンの話になります。日本で初めて、現在の形に繋がる生理用ナプキンを売出したのがアンネ社。私より上の世代だと生理のことをアンネと呼んだりしたくらい生理用品の代名詞。この本の帯になってる生理ちゃん(https://booklog.jp/item/1/4047352373)の作者の人のコメントが「朝ドラでやってもおかしくない」みたいな内容で、これホント読んでて思いました。生理用品の開発と販売に人生をかけた人たちの熱いドラマ!みたいな、脳内で葉加瀬太郎がめっちゃ情熱大陸のテーマ弾きまくること請け合い。この部分は是非男性にも読んで欲しい。社長こそ女性だけど、開発や広告に関わった男性たちの苦労もしのばれます(実際に装着して銀座を歩いてみるとか何のプレイかと)
生理に対するネガティブなイメージを一新するために、可愛いパッケージ、オシャレな広告などで女性が恥ずかしがらずに買える雰囲気を演出、血という言葉は使わず、あくまで爽やかに。テレビCMについても昔は生理用品のCMは子供が見る時間帯とゴールデンタイムには流してはいけないみたいな規制があったそうだし、そうでなくても生々しい話はできないので、たとえば吸収性を実演する映像でも血の色そのままに赤は使わず「青」の液体を使うなど工夫(これは今もオムツのCMなどもそうですよね)巻末にアンネ社の広告資料が掲載されているけど、コピーも含め広告宣伝の歴史としてもとても興味深い。この戦略あってこそのアンネナプキンの普及でしょう。
アンネというネーミングはもちろん『アンネの日記』からで、アンネは日記に生理のことも書いており(とてもポジティブな受け止め方で)こういう風に堂々と女性ができるように、という女社長の提案から。『アンネの日記』は私も比較的最近ちゃんと読み直したけれど、アンネはかなり自立心の強い女の子で男尊女卑についての考察なども日記にあったくらいだから、きっと遠く離れた日本で女性のための商品に自分の名前が使われたことは誇りに思ってくれるんじゃないかと勝手に思います。
この画期的な使い捨てナプキンが発売されたのが1961年(昭和36年)なので、正直そんなに昔のことではない。現在当たり前のように使っているものを普及させるためにこんなに頑張ってくれた人がいたのかと頭が下がる思い。おかげさまで楽させてもらってます!しかしアンネ社自体は、ライバル社が増えたこともあり10年ちょっとで斜陽、消滅する。
現在は団塊世代とそのジュニア世代も閉経する年齢、少子高齢化で生理用品市場も縮小の一途(昨2018年、私が長年愛用していたウィスパーもついになくなった)技術的には赤ちゃん用オムツや大人用オムツに流用できるので、今後は大人用の需用がきっと増えるんだろうな。
最近の布ナプキンブームについても結構ページを割いて書かれていたが、ちょっと蛇足だったかも。個人的には全面的に著者の意見に賛成だけど(一部の布ナプキン推奨派の人たちが意識高い系ヴィーガンみたいになってるのは私も苦手)。震災があったときに、非常時に備えて布ナプキンも用意しておこうかと考えたことがあったけど、冷静に考えて生理用品が手に入らないような被災地で布ナプキンを洗うための清潔な水が潤沢にあるとも思えず、思いとどまったことはありました。被災地に優先的に使い捨てナプキンを送るために安全地帯にいる自分たちは布ナプキンを使うという著者の提案には賛成。
確かに生涯で自分が使うナプキンの枚数を計算したらきっととんでもない量になるだろうから廃棄および材料の調達含む環境問題は大切ですが。ちなみに昔に比べて現代女性は生理の回数が圧倒的に多いそうです。昔の女性は現代より初潮が遅く、閉経が早かった上に、多産、さらに戦争で食糧不足栄養不良で止まってしまう等もあり、トータルで生理の回数は少なかったと。いずれにせよ、使い捨てナプキンを開発販売してくれた先人たちには感謝しかない。女性として知っておいて損はない内容でした。
※目次
第一章 ナプキンがなかった時代の経血処置――植物から脱脂綿まで
第二章 生理用品の進化を阻んだ月経不浄視――「血の穢れ」の歴史
第三章 生理用品が変えた月経観――アンネナプキンの登場
第四章 今日の生理用品――ナプキンをめぐる“イデオロギー”
生理用品関連年表 アンネ社広告資料詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画「ツキイチ!生理ちゃん」の原作の漫画の中にも、本書を取り上げた作品がある。
(生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ ミネルヴァ書房 2013、本書は文庫化にあたって改題、改稿)
女性にとっては毎月のことで、面倒で、辛い。
でも、メーカーは本当に苦労してブルーデイのブルーを解消しようとしている。
音が小さいパッケージ、テキスタイルメーカーやキャラクターとのコラボなど、ソフト面はもちろん、昼用、夜用だけでなく、長さ、薄さ、量によって好きなものを選べる。
おかげで、大きなポーチを持ち歩かなくても、ポケットにしまって持っていくこともできるし、長時間席を立てなくても安心だ
(でも時々自分でつけた位置が悪くて漏れることもある。
そういう時にはオーバーパンツを履けばよかったと思ってしまうが、つい買わずになんとか毎月を乗り越えてしまう)。
しかし、ずっと女性は不浄なものとして扱われてきた。第一章の経血処置の記録を見ると、まず思ったのが現代に生まれて本当に良かった、だった。
血糊でガチガチになったものを洗わなければならないなんて、なんて、辛かっただろう。
時には情けない気持ち、悲しい気持ちになることもあったのではないか。
食品加工に支障をきたすとして、パンを焼く、バターを作ることが禁じられていたり、酒造りの場では、醪の腐造の原因となるから女人禁制(説)とも言われていた。(他の説もある)
これが女=汚れ=一段低い存在となるのは想像に難くない。
月経とは、健康な女性であれば、誰しもが通る。
だからこそ、来ないことは、体の不調を知らせる大きなポイントとなる。
そしてそれがなければ未来をつなげない。
なのに、まだまだ、先進国と言われる国だって、生理は隠すべきもの、いむべきもの、ないものとされることがある。
願わくば、正しき知識を得て欲しい。
男女分けての性教育はやめて欲しい。
人前で大っぴらに話すことではないけれど、知らないことは相手を傷つけてしまう。
何より自分も傷ついてしまう。
男はこうだ、女はこうだと決めつけず、フラットに違いを理解し、寄り添える社会であって欲しいと思う。 -
Kindle Unlimitedにて。
昔の女性って生理をどうしてたんだろ、みたいな疑問があって手に取った。面白かった。
生理中の女性が入れられていた月経小屋が、戦後も地域によって存在していたとか、女性のためではなく穢れとして遠ざけるためのもので、重労働は免除されることはなかった、という聞き取り調査が生々しい。
明治になって月経に対して啓蒙が試みられたのも、女性のためというよりは富国強兵政策の下、より健康な国民を産み育てるためだった、というのも面白かった。
アンネナプキンの開発秘話で、PR担当の男性が汚物入れを初めて見て、そこに入れられた使用済み脱脂綿の「凄惨さ」にショックを受けたというのが印象的だった。アンネナプキンって女性社長の会社だったんだね。
終盤、布ナプキンの信仰的な効用をうたう風潮に対して、冷静に述べているのも好印象だった。
個人的には近年の使い捨てナプキン界ではシンクロフィットほど革命的な商品はないと思ってるんだけど、出版年的に登場しなかったみたいで残念。 -
昔の女性は一生で50回しか月経がこなかったという話も、それはそれで色々思うところはあったが、生理中や出産予定の女性たちが追いやられたという「小屋」には言葉を失った。
令和になっても、生理中の神社参拝は遠慮せよと言われるから根は深い。
そうした月経禁忌が家父長制の導入と共に、宮中から全国へ広まったという説は興味深く読んだ。
その後押しをしたという『血盆経』が中国で流行した時期は、考えてみれば纏足の大流行と重なっている。女性の身体を物化する風習は言うまでもなく家父長制とは切っても切れない関係にある。
ただでさえ月経で定期的に血を流さねばならないのに、足まで血膿まみれ、その上、汚くて劣る存在だと思い込まされるのは、流血が名誉や勇気の証とされる男性とは対照的だ。
それにしても、アンネ社宣伝課長の手記は面白かった。生理生活の実情を目の当たりにした“アンネ課長“は、恐ろしさのあまりおかしくなったまま走り出し、社員を前に演説しはじめる。ほとんど戦場ジャーナリストのノリだった。
もちろん、当時の生理用品がいかにお粗末で、「アンネナプキン」のなかった時代の女性たちがどれだけ苦労していたかを全力で書こうとしているのは伝わるのだが、それ以上に、男性にとって月経がどんなものかが分かる文章でもあった。 -
タブーとされがちな生理の歴史について。
太古から近代までの生理事情、月経不浄視の歴史、アンネナプキンの登場、今日の生理用品の4章立て。
どれも情報と考察盛りだくさんで読み応えがあった。
卑弥呼の時代にも紫式部の時代にもマリーアントワネットの時代にも生理はあったのよね…
その時代の史料がのこされているということが興味深い。
アンネナプキンの章が特に面白かったな。
特にマーケティング戦略。
巻末についてた広告資料集もよかった。めちゃめちゃお洒落やん。
あとやたら布ナプキン盲信勢を批判してた。いや確かにね。
やっと選べる時代になったんだから、自分がその時に使いたいと思うものを使えばよいのよ。
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韓国で脱北女性を取材したジャーナリストによると、彼女たちが「韓国にきて、最も感激するのは実は生理用品のナプキンの存在」であるそう。北朝鮮では月経時、ガーゼや着古した下着の切れ端を畳んで使い、「他人に見られないように陰干しする」。
数十年前の日本もこのような状況だった。長い間、日陰の存在だった生理用品を急速に発展させ、今ではほとんど不自由なく過ごせるようになった。先人の努力に感謝したい。 -
去年だったか中学生で生理が始まった時から愛用していたP&Gのナプキン「ウィスパー」が生産を終了した。驚きの薄さと着用感でどんなに量が多くとも必ず止めてくれる安心の「Xウィング」を失い、傷心の私がたまたま目を留めたのがこの本。
昔の女性の生理処理法や社会での扱いはある程度知っていたが、この本には初めて目にすることがたくさんあった。母親を亡くした女の子が初めて迎えた生理に立ち向かう話が印象に残った。よくもここまで調べたものだ。昔の女性たちの苦しみや努力あって、今の私たちの生理事情があるのだなと少し気持ちが軽くなった。
ちなみに未だにあれ以上の機能を持つナプキンは見つからない。復活を望む。 -
40年間お待たせしました!って凄いコピー。辛いこと苦しいことをこれが当然なんだ、こういうものなんだ、と受け入れてると何も発展しなくて市場はあらゆるところに隠れているのだろうな、と。常々アメリカ製の生理用品の大味っぷりに呆れ日本製品の細やかさに喜びを感じていたけれどアメリカ製品そしてスーパーでの売り方は偉大なる大先輩だったと気づいたのも収穫。
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生理用品の発展を女性の社会進出という観点で見るのがすごく面白かった。
生理は昔、どの国でも不浄や穢れとみなされていた歴史がある。
それはやはり血=死や病気(感染症)を連想するものなので、医学が発達していなかった時代を考慮すると忌むべき対象になってしまうのはしょうがないのかな、とは思う。
ただ、それによって女性に対する差別、誤った処理方法の普及、女性の働きにくさに繋がり、ナプキンがなかった時代の女性たちは本当に辛い思いをしていたんだろうと察する。
アンネナプキンの登場から、すぐに他社製品が台頭しアンネ社は吸収合併されてしまったという事実に、これが資本主義社会かと少しモヤッとしてしまった。
でも各企業が競争したからこそ、今こんなに快適なナプキンを使うことができるという恩恵もある。
アンネ社が日本における生理の恥ずべきものというイメージを払拭した功績は大きい。
今日も生理に対する女性の考え方は変わってきていると思う。
インフルエンサーがお気に入りの生理用品を紹介するのも見かけるし、生理の日をどう過ごすか女性が能動的に選択できる時代になっている。
そういう意味でまだまだ過渡期ではあるのかな。
ナプキン開発にはもちろん女性だけでなく男性も関わっているが、男性であっても誇りを持って携わってくれていたと知れて嬉しい。