己とは何であるかという問いかけが「仏教」なんだそうだ。
哲学的な内容で難しく、読んでいる瞬間は分かったような気になるのだが、読み過ぎていくに従い、さらさらと行間から流れて落ちていくように忘れていってしまう。
その中で、「自殺」について触れられているところがあったので、少し端折りながら書き写しておきたいと思う。
---------------------
ブッダは「人生はまるごと苦しみだ」と言い切ったが、命は大切だとは言っていない。ならば、早く死んだほうがよい、自殺したって構わないと言ってもおかしくない。
しかし、彼はそう言わずに、困難な伝道の旅を野垂れ死ぬまで続けた。ブッダは苦しくとも生きるべきだと決断した。自殺を禁じる理屈はない。本当に死にたい人間は、どう理屈を説かれようとそれで説得されることはない。しかし、ブッダは苦しくとも生きていけと言う。理屈抜きでそう決めたそのとき、命は初めて大切なものになる。
「自分が愛しい」という感覚を持った人間は、たとえ困難な中にあっても、そう簡単に自殺するはずがない。「命の大切さ」の認識の根底には「自分の愛しさ」があるはずなのだ。
自分を愛しく感じることができるのは、自分の存在を大切にされ、肯定された確かな記憶があるかどうかによるだろう。自分の存在に根拠が欠けているにもかかわらず、自分を肯定し、愛しく思う気持ちがあるとすれば、それは他者からくる。
後に「親」となる存在との理由なく出会い、誰であるか、あらかじめ知ることのできない「非己=己でなはない存在」によって、無条件に受容され、慈しまれること。この事実のみ、自分の存在を肯定する感覚は由来するだろう。
----------------------