ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784046044990

感想・レビュー・書評

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  • 図書館で借りてお正月休みに一気読み。
    ・認知症の医学的概要
    ・痴呆→認知症の社会的変遷
    ・認知症の人との関わりかた
    ・長谷川先生の功績、業績
    が知れる。
    明日から実践できる認知症(患者)との向き合いかた。
    難しくなく、解りやすい。

  • 自分=人生を通じて鍛えた脳、と自覚があるため、脳が壊れていく認知症は、イコール死であり、脳が死んだら体が生きていてもなぁ、、、なんて思っていた。

    この本の著者は業界の権威であったが、認知症になったとのこと。それでいて本を書かれてる。そんなことができるのか、、?と不思議に思い、読み始めた。

    出会えて良かった本だと思う。本に書かれてる通り、ボケる=どこか別の世界に行ってしまう、別人になる、くらいに思っていたが、実態は全く違うようだ。これを読んで、認知症の人との接し方も変わるだろうし、自分も認知症への備えができそう。(若年性だと40代からかかる方もいるらしい)

  • 認知症の研究者が当事者になった。長年研究してきても、当事者になってみないとわからないことがある。とても胸にささった。そして、それを伝えていかなければならないという使命感をお持ちになってお仕事を続けていらっしゃることがとても尊い。

  • 嗜銀顆粒性認知症 しぎんかりゅうせい
    80歳過ぎで発症。緩やかに進む。

    長谷川先生の穏やかなお人柄のような一冊でした。
    認知症を受け入れて、共に生きていく思いを受け取りました。

    皮膚はどんどん入れ替わっていくのに、脳はずーーっと同じ。90年近くもおんなじ。
    たしかにそれは凄いこと。
    脳のある部分がポンコツになったなら、いろんな方法で補えばいい。そんな風に考えらる社会であればいいなぁ、とそう思いました。
    理想論かもしれないけれど。。。
    私は認知症になりたくないなぁって思っているけど、
    将来そうなったら、受けとめて、豊かな時間を構築したい。

  • 493.758/H36
    【認知症ケア論Ⅱ/Health and Social Care of Dementia Ⅱ】

  • 認知症の専門医で、日本の第一人者であり、自らが認知症となった事を公表している長谷川先生著作の一冊。
    認知症になっても、喜怒哀楽の感情は最後まで残ると言われています。映画、音楽、美術など、症状が進んでも、最後まで楽しみたい。
    また、先生も触れられているが、最後には、その人が信ずる宗教的支えは、是非ほしいものだ。欧米人に言わせれば、当たり前かもしれないが。

  • 長谷川式スケール開発者による、認知症になった人の世界の見え方がやさしく語られている。

    認知症という病の渦中にいる著者からの文章は、実体験に基づくものであり、介護者の心構えに繋がりそう。
    学生ボランティアで、介護施設で認知症の方とお話したとき、大変失礼ながらぎょっとしてしまった経験を思い出し、「この本を読んでからお会いできていたら、何か違ったかもしれない」と思わされた。

    知識的なことを言えば
    授業でクライエント側として長谷川式スケールを受けた時は「めっちゃ短!」と思ったが、高齢者が受ける前提で開発されているため、体力が低下している状態での実施が考慮されているとのこと。
    如何に自分目線でしか考えられてなかったかを思い知らされる。
    現行の介護保険制度と成年後見制度においては、まるで存在するのが当たり前かのように語ってしまっているが、開始されてからまだ日の浅い制度であることに驚き。

    以下メモ
    ・認知症の本質は「暮らしの障害」
    ・認知症は「固定されたものではない」
    ★「待つ」というのはその人に自分の「時間を差し上げる」ということ
    ★『もの忘れが始まって十年になる。病気になってほんとうに悔しい』『いろんなメロディーがごっちゃになって気が狂い相だ』
    ・クルマの運転はぜったいやめたほうがいい
    ★本人抜きに物事を決めないで、置き去りにしないで

  • 認知症のスケールを作った本人が認知症になったことでの想いを読める本 認知症だからといって違うものとして無意識に見てしまっていたことに反省…認知症の人もその人の人生を生きているから、色物として見ずに普通に接すること。おかしなことを言ったとしてもそれは自分でもあることだから、"その人らしさ"として関わっていきたいと思えた。恥ずべきことじゃない、認知症であることは。

  • 自分の体験の確かさ、がはっきりしなくなる。
    なにをしたかがあやふやになり、何日かがわからなくなる。
    100歳を過ぎれば、ほとんどの人が認知症になる。
    最初に時間の見当がつかなくなり、場所がわからなくなり、人の顔がわからなくなる。

    講評したことで、あちこち取材を受けたことが進行を遅らせた。嗜銀顆粒性認知症だった。
    認知症の定義は、いままでの暮らしができなくなること。
    一生ならないのは、先に死ぬだけ。いかになる時期を遅らせるか。
    認知症は固定されたものではない。
    笑うことは大切。

    パーソンセンタードケア=その人中心のケア=小さな子が転んだとき、4歳くらいのお姉ちゃんが一緒に寝転がって笑いかけた。同じ目線に立つこと。
    デイサービスは至れり尽くせり、生活の匂いがない。

    認知症テストは短時間で。高齢者は30分には耐えられない。
    100から順番に7を引く。93から7を引く、ではなく、そこから、また7を引く、と質問する。覚えていられるかが大事。
    車の運転は、辞める。タクシーを使う。

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著者プロフィール

1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。認知症を描いた絵本『だいじょうぶだよ――ぼくのおばあちゃん――』(ぱーそん書房)の作者でもある。

「2019年 『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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