中身化する社会 (星海社新書)

著者 :
  • 星海社
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感想 : 61
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061385337

作品紹介・あらすじ

生きるうえで大事なことが、変わった。その変化の潮流を示すことが、本書の目的だ。ネットの進化、そしてソーシャルメディアの爆発的普及によって、テレビや広告などによるイメージ操作は、ほぼ効かなくなった。ウソや誇張はすぐに検証され、バレてしまうからだ。商品もサービスも、そして人間までも、その「中身」が可視化され、丸裸にされてしまう社会の中で、もはや人々は見栄や無駄なことにお金や時間を使わなくなる。そして、大量消費的な流行に流されず、衣食住すべてにおいてより本質を追求するようになる。この社会の"新しい次元"に、僕らはどのようにコミュニケーションと生き方を変化させ、対応していくべきなのか。

感想・レビュー・書評

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  • インターネット化により表面的な偽りは通用しなくなり、社会は本質を追求する世界に。リアルとネットの間には境界線は無く、個人はそれぞれに存在する人格を結ぶネットワークから成り立つように。他人からの評価が重要になり、他人の資本として自分の価値を高めると共に、「普通」ではなく人生の軸を基にした幸せや志を追求し、個として独立した存在であることがこれからの社会で求められる。

  • 全世界のカジュアル化。SNSで検索すれば人々の人格は判断できるから見た目は重要ではなくなる。ネットで嘘はすぐバレる。我々が望む消費は充実した時間を過ごすためのもので、より本質的なものを求めている。イメージから本質へ。個人のプライバシーは可視化される。与えられた情報だけを貪り、自ら主体的に考え自己決定することを放棄する動物化していく。人間が人間であるためには与えれれた環境を否定することが出来なければならない。生きるために「普通」をやめよう。ちょっと変ぐらいがちょうど良い。

    「考える」とは「どう生き延びるか」の対策を練ること。匿名化システムではこの考えるという行為が削除される。考えなくても生きていけると思わせて。。(坂口恭平)どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるのかということ(村上春樹)。美術とは、見える世界を通じて、見えない世界に至ること(森村泰昌)。

    物事の解像度が上がり、可視化される社会の中で、自分にとって大事なこと、大事な人々がより見えるようになった。世の中の見晴らしは良くなった

  • ×
    mossan
    「人は見た目が9割」の時代は終わりつつあるようです。以前は見た目がその人のイメージを形成していましたが、今はその人に会う前からSNSを始めとするインターネットの情報がイメージを形成しています。そうやって、人の中身が見えやすいこの時代にどう生きればいいのか、後半部分で著者の考え方が提示されます。時代が変わりつつあることを証明するために前半部分は引用が多くて主張がない印象でしたが、後半部分でその比率が逆転するため面白くなってきます。社会レベルの話から最終的には個人レベルの話になったので良かったです。

  • 「好きを仕事にする」に違和感を感じていたので、その違和感を溶く言葉に出合えてよかった。

  • なんとなく生きにくい感じは自分の中で中身化する世界とそうでないイメージで形作るだけの世界がぐちゃぐちゃになっているからかな。

  • 人のイメージが、ほとんど可視化した現代において、 ファッションは何の役割を担っているのだろう、、
    豊かな人生の定義は変わった。大量生産大量消費の時代の価値観は古い。自分の価値観は、自らが考える葦であることを自覚して、考え続けることで、見つかるもの。
    ソーシャルキャピタルという言葉は嫌いだけどな、、

    結局、人を見た目で判断しなくなったのかもしれないけど、カテゴライズしたり、ラベリングすることは無くならない。これは時代を問わず普遍の原理なのかもしれない、、

  • 「物欲なき世界」の管付さんの経済社会に対する人間の本質に迫った良著。

  • 中身化する社会

    <1章 ソーシャルメディアが「見栄」を殺す>
    P28
     ネットの検索結果が、その人の第一印象を与えているのだから。

    P29
      グーグルがある世界では、評判がつねについてきて、自分が立ち寄るところに先回りする。評判が自分に先行する・・・評判が広まるのは速い。

    P35
     (単に高価なものを消費するというラグジュアリー消費ではなく)物語があるところに人は向かっている。

    <4章 「中身化する社会」を生きる>
    P170
     (IBMが予測する「評判」という資本)
     機会あるごとに協力者が離合集散を繰り返す世界では「雇う側」「雇われる側」という考え方は、ますます時代にそぐわなくなっていくでしょう。

     プロジェクトからプロジェクトへ自由に飛び回る「一人会社」が何十億も出現するのではないかという見方すらでています。

     このような世界で人々を団結させる力となるのは、何かを所有することの誇りや忠誠心ではなく、何かに貢献することへの自負と信頼感です。

     このGIOのレポートで使われていた「評判という資本」ときわめて近い意味合いを持つものに、「ソーシャルキャピタル」という言葉がある。
     これは「社会関係資本(もしくは「人間関係資本」)と訳されているものだ。

    (稲葉氏)
     (略)東日本大震災は、言葉を失う痛ましい出来事であったが、同時に日本という国の社会関係資本の厚みを世界に示した。
     見ず知らずの人への「信頼」、そして「お互い様」という互酬性の規範、そして人々の間の絆がこれほどまでに見事に示された例は戦後未だかつてないだろう。

    (岡田氏 評価経済)
     (金銭と同じように)「評価」を仲介として「モノ」、「サービス」、そして「カネ」すらも交換される社会。
     それがこれからの社会であり、今私たちの足下で起きている社会変化のポイントなのです。(略)(そのなかで快適に暮らすには)自分のワガママを通す代わりに他人のワガママを認める、という考え方が必要です」

    (津田大介氏 「情報の呼吸法」)
     これからはソーシャルキャピタルの時代になると思います。(略)
     そのような環境下で求められるのは「自分自身も他人の資本である」という認識を持つことです。

    (坂口恭平氏)
    (ヒッチハイクで熊本から札幌まで移動できたのは)「僕が貨幣として流通した」と考えたら合点が行った。
     (略)「お金がないと生きられない」という考えがもともと妄想です。本当は「人がいないと生きられない」でしょう」

     活動の多くも、浮気も、そして携帯番号さえも衆目にさらしながら、それでも「公開しない」ところを保持する。
     極端なまでの「中身化」を楽しんでいるように思える彼の生き方は、プライバシーの定義がソーシャルメディアによって変わりつつあることを示しているように感じる。
     ソーシャルメディアによって「公開されている」人格は、あくまで公開されている人格にすぎない、と。

    (平野氏 「個人」から「分人」へ)
     リアルとネットの間に、本当と虚構との境界線を引くことは間違いである。フェイスブックの実名主義で、両者はむしろ、地続きの一つの世界だという認識が日本でも広まりつつある」

    「接する人ごとに様々な分人がいる、それが中心もなくネットワーク化されたものがひとりの人間だと思うようになりました」

    (リンダ・グラットン 「ワークシフト」)
     第一にゼネラリスト的な技能を尊ぶ常識を問い直すべきだ。世界の50億人がインターネットにアクセスし、つながりあう世界が出現すれば、ゼネラリストの時代が幕を下ろすことは明らかだ、と私には思える。
     それに変わって訪れる新しい時代には、本書で提唱する「専門技能の連続的得」を通じて、自分の価値を高めていかなくてはならない。
     (略)
     第二に職業生活とキャリアを成功させる土台が個人主義と競争原理であるという常識を問い直すべきだ。
     (略)
     第三に、どういう職業人生が幸せかという常識を問い直すべきだ。これまでどおりに、貪欲に大量のモノを消費し続けることが幸せなのか。それとも(略)質の高い経験と人生のバランスを重んじる姿勢に転換する方が幸せなのか。」

     前述したように、「普通」や「匿名的であること」をやめる覚悟を持って、自分の人生を作品化すること、自分のシグネチャーを明確に打ち出すこと、それが中身化する社会の中で「動物や機械の仲間入り」をしない有効な方法の一つとなるだろう。

     コミュニケーションの解像度は上がった。
     もう半端なイメージ操作はほとんど効かない。人々はより本質的になり、大量消費的な流行に流されず、自分のこだわりをますます追求していくようになる。
     そしてネットワーク化された社会において、信用がより重要になり、人間関係自体が資本と見なされる。
     (略)
     このように、人々が本質的で協調的で「本当の豊かさ」に目覚める反面、地味で禁欲的な時代がくるだろう。
     言い換えると、「豊かさ」の定義がかなり変わる時代がくる。

  • 中身化とはソーシャル・メディアの爆発的な普及に伴って急激に進む「個人と集団の可視化」とそれが起こす事象を著者が名付けたものだ。
    中身化する社会に於いて、もはや外見の第一印象はそれほど重要ではない。なぜなら既にネットの検索結果が、その人の第一印象を与えているからだ。

  • 本質が問われるインターネット時代について、引用を中心にまとめている。読みやすいが、引用が多すぎて著者の意見がよくわからなかったのが微妙。facekookが社会に与えた変化、企業の人格化の観点は興味深かった。

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著者プロフィール

編集者/株式会社グーテンベルクオーケストラ代表取締役。1964年生。法政大学経済学部中退。角川書店『月刊カドカワ』、ロッキング・オン『カット』、UPU『エスクァイア日本版』編集部を経て独立。『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』の編集長を務め、出版物の編集から、内外のクライアントのプランニングやコンサルティングまでを手掛ける。著書に『東京の編集』『中身化する社会』『物欲なき世界』、対談集『これからの教養』等がある。またアートブック出版社ユナイテッドヴァガボンズの代表も務める。『コマーシャル・フォト』『WIRED JAPAN』WEBで連載中。下北沢の本屋B&Bで「編集スパルタ塾」を主宰。NYADC銀賞受賞。

「2019年 『新装版 はじめての編集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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