言葉・狂気・エロス: 無意識の深みにうごめくもの (講談社現代新書 1002)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061490024

作品紹介・あらすじ

人間存在の最深部でみたされぬ生のエネルギーが奔出する。広大に無意識の言語風景の中で、狂気とエロティシズムの発生を精緻に、鮮烈に照射する哲学の冒険。

感想・レビュー・書評

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  • 著者のモノローグ的な、エッセイ的な、哲学断章。芸術と狂気の境を思考する過程は面白かった。

  • 「狂気と芸術とエロティシズムに通低する言葉の深層風景を、欲動の視点から捉え直した試み」と語られる本書は、エロスの部分を除けば、この前読んだばかりのレインの本に極めて通低していて、たくらまざる廻り合わせを面白く思う。
    近代的絶対主義を単にポストモダンの相対主義に振り替えてみても安心できるものではなく、たいせつなのは、「生の円環運動」だ、という結論に至るに、著者の専門であるソシュールからフロイト、ラカン、サルトル、エーコ、果ては世阿弥まで召喚される。
    確か岩波から著作集が刊行中のはずで、まだこれから評価が加えられていくのかもしれない。

  • 文化に関係なく人の持つ根源的特徴を探る本。

    精神分析学的な思想に根ざしており、無条件に首肯することはできない。

    しかし、不思議と続きが気になってしまう。
    一度読んだだけでは理解も批判も難しい。

    中盤の「私たちが普段使う言葉」と「その意味」が本質的には結びついていないという議論が納得できれば、後半の狂人とは何かという議論は面白く示唆も多い。

    また、単一の答えを導くための学習ではなく、その時々に得られる感じが異なる鑑賞こそが人の歓びではないか?という問いには個人的に強い首肯を示したい。

    どちらにしても、もう一度読みたくなる本。

  • 意識の表層、深層、その更に奥と、人間の心を分けて、更に奥の部分は身体と結びついてる云々として、人間の意識の流れの体系化を図りつつ、その応用を目指した本だと思います。

    狂気を分ける三種の仮説として、
    「第一の狂気は言葉を持たない人。第二は深層意識に閉じこめられた人、カタルシスがきかなくなった人。第三は表層から深層におりずに自己と向き合わず懐疑を忘れた人である」
    という区分は面白かった。

    エロティシズムについても、快楽とタブーがあり、それを犯す意識がないとだめだとか、まあわかりやすい。

    狂気とは、ある層で動けなくなったりした状態で、言語と無意識の往復ができなくなってどうにもならなくなってしまったことであり、エロティシズムは、意識の深層を流動する言語と、私達の表層において私達を言語なしでは生きられないようにする言語の、二つの言語のなかで、性に関する円環運動がなされることである。なんだか同じっぽい印象を受ける「狂気」と「エロティシズム」だが、全然違うんだということを述べているように思う。

    最後のエピソードとして、読み書きの教育を受けてこられなかったある老女が、独学で勉強し、その後、ある人に、「勉強してから、夕陽がこれほど美しいものと、初めて知りました」というのが感動する言葉で、これが大切なんだと著者は紹介する。何か広がりのあるようなエピソードだが、ここで行き詰まりだろう。生や性や狂気や勉強も、やがて死がやってくる。
    無意識は死に対してどうなのか。すべての音楽や詩は、所詮はもともと、戦争で勝つための暗号や闘争のために使われたものではないか、戦いと死の密接な、何万年もの人類の歴史に、どう立ち向かうのか、どう描くのか、見たかったが、そこまでは行ってなかったように思う。
    もし行こうとすれば、古代人の脳というのは一次元(?)で、左脳と右脳が分かれていなくて云々と、古代人と現代人を生物学的に分ける作業になるのではないかと思った。

  • 形而上学に根差す限り、二項対立による概念の批判は同次元にとどまるに過ぎないと否定し、円環運動の中に欲動を見出す事を軸に、言語や意識まで触れる。少々難解。好き嫌いあるかも。

  • 記号論についてかと思って呼んでみたが表題にもあるとおりエログロなどの説明もあった。芸術面とうまくからめて丸山理論を展開して一般の読者にもわかりやすく記述がされていたと思う。こんな読みやすい文を書かれる方が齢60にして鬼籍に入るとは残念としか言いようが無い。

  • “言語”とは普段使っていながら、何と奥深いものかと思いました。
    国々によって言葉は異なり、文化も異なる。言語という“音”が発せられた時、それを受け取る側の文化によって意味合いは変化する。
    言葉というもの、そこから紐解かれる無意識の領域――そこに蠢く狂気。生と死の慟哭であり、歓喜。それは誰しも持っているもの。

  • 言語学の地平を開いたソシュールを読み解き、言語文化をめぐって独自の思索を展開した丸山圭三郎晩年の刺激的な一冊。「言葉と無意識」同様、翻訳という一種の言葉の格闘をしていて、ふっと我に返るとき、自分の無意識の領野に広がることばの宇宙を見つめ直すためにひもとく本です。新書だと思ってあなどれないです。

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