ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 110
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061498839

感想・レビュー・書評

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  • オタク論でありポストモダン論であり文学論。
    ラノベにも美少女ゲームにも触れたことのない人にとっては理解しにくいかもしれない。そういう人でも理解しやすいように本文中で詳しく説明されているが、やっぱり実感としてわかるかどうかは大きな違いだろう。

    本書は2007年に出版されたが、2016年現在、ここで予言されていた新たな文学のあり方が当時よりも顕在化、加速化している気がする。メタ物語的な想像力に支えられた物語、読者を物語の中に参加させる手法は今や定番でありふれたものだし、当時よりもずっと、物語外の世界の権力は物語そのものを押しのけて肥大している。
    物語外の世界(読者/消費者/プレイヤー)に重心を置き物語外の物語を膨らませる手法すら、今はデータベース化されている気がする。さらにいえば物語外の物語すらデータベース化されている。
    というのは、まず物語は重要ではなく主役はコミュニケーション、あるいは手軽に自分の欲しい感情(泣く/ときめき/きゅんきゅん/義憤/切なさ)であり、物語はそのために偶然に選択された使い捨ての道具であるように思える。そしてコミュニケーションや感情の内容に意味はなく、コミュニケーションをすること自体、感情を発生させること自体に意味があるように思える。だから簡潔に手っ取り早く記号的なコミュニケーションと感情を手にするために、物語外の物語すらシンプルであることが好まれデータベース化された、と考えるからだ。

    昨今の氾濫する物語群とその環境を見て、元オタクの元少年の私はそう考える。
    でもたぶん、思春期時代の自分がこの文章を見たら憤慨するだろうなと思う。今の私にはもうわからないが、外から見るよりもずっと繊細な時代ではあるから。

    でも外から見ると、物語もそれに対する読者の反応も、反応の仕方や文面まで含めて驚くほど画一的なんだもの……。某web漫画アプリとか見ていると、次のきゅんきゅん、その次のきゅんきゅん、また次の使い捨てきゅんきゅんを求めてあくなき徘徊を繰り返す肉食獣みたいに見えて。そして同時にその無限のきゅんきゅんを共有する仲間とのコミュニケーションが至上の喜びに見える。

    あと美少女ゲームをやってるオタクが「純愛」と「浮気」の矛盾した欲望をどちらも満たせるっていうのは面白いと思った。確かに個別ストーリーは純愛なのに、プレイヤーはいろんなキャラシナリオ楽しめるから浮気心も満たせるよね。

  • オタクの世界には興味ないが、論理が、明快で、読んでいて、面白い。

  • 大まかに前半が理論的な内容で、ゲーム的リアリズム自然主義的な読解に対する環境分析的な読解等が説明される。後半が環境分析的な読解による具体的な作品批評、という構成。
    後半により、かなりクリアに色々理解できた気がする。俺はこの本で主に取り上げられている類の小説、ラノベとか舞城王太郎は殆ど読んでなくて、数少ない接点である例えば西尾維新原作の漫画とかは何となく圧倒される感じだったけども、なんかその圧倒される理由の構造的な部分が理解できた。

    この本が書かれた2007年は、ゲーム的リアリズムは虚構の世界に軸足があったように思えるけども、現在(2018年)は現実がかなりゲーム的になってきていて、現実が糞ゲーに思えて、政府を始め社会を動かす人組織仕組み全般をゴミ運営として捉えているのかな、と考えながら読んだりしていた。

    そういう流れで、最後の方の、

    "私たちは、メタ物語的でゲーム的な世界に生きている。そこで、ゲームの外に出るのではなく(なぜならばゲームの外など存在しないから)、かといってゲームの内に居直るのでもなく(なぜならばそれは絶対的なものではないから)、それがゲームであることを知りつつ、そしてほかの物語の展開があることを知りつつ、しかしその物語の「一瞬」を現実として肯定せよ、これご、筆者が読むかぎりでの、『九十九十九』のひとつの結論である。"

    っていうのに何故かとても感動した。

  • なるほどなぁと思いながら読んでしまった。ラノベ、美少女ゲームも売れるには訳があるんだとわかった。

  • 2017/04/23 読了

  • 最近のアニメは時間ループものが多いなぁと思っていたら、この本で詳しくそのことが解説されていた。

    ゲームだけでなく、n次創作の文化にすっかり馴染んでしまった私達にはその世界にリアリティーを見出すのもなるほどなー、と思いました。

  • コポォ

  • 一章読んでから結構時間が空いてしまってから二章以降を読んだけれど、面白かった。
    とはいっても、本文中にあるような、オタクの中心が美少女ゲームからライトノベルへ移行、からさらにいまは深夜アニメへ、になっているのかな、と思った。そういう所も含めて、2012年になってしまって結構変化してきた事態もあるとおもうので、動ポモ3を期待したいのだけれど、最近はもはや筆者にコンテンツ批評に興味が無いようなので、寂しい限り。。。

  • ライトノベル→キャラクター小説

    自然主義的リアリズム→透明
    まんが・アニメ的リアリズム→不透明
    ゲーム的リアリズム→半透明

    自然主義的読解→物語的主題
    環境分析的読解→構造的主題

    >日本文学は、一〇〇年前に自然主義を輸入し、六〇年前にそれをマンガに輸出し、三〇年前にその理想をあらためてマンガから逆輸入することで、キャラクター小説を生み出したまんが・アニメ的リアリズムには、その理想が屈折して畳みこまれている。その屈折は、キャラクター小説に、いままでの自然主義的な写生とは異なる、「不透明な」表現を可能にする。つまりは、キャラクター小説には、その歴史的な経緯から、近代文学とは異質な文体の可能性がある。

    >私たちは、一回かぎりの生を、それが一回かぎりではなかったかもしれない、という反実仮想を挟みこむことで、はじめて一回かぎりだと認識することができる。

    キリヤの状況=「ポストモダン化の進行の中、選択肢の多さに圧倒され、特定の価値を選ぶことがますます難しくなっている、私たち自身の生の条件の隠喩」

    『ひぐらしのなく頃に』のご都合主義的な物語の下には、物語外の現実とつながった感情操作のメカニズムがあり、そこに作家の現実感や世界観、あるいは「哲学」を読み取ることができる。/「もっともっと、私たちは幸せになれるから」「望んだ数だけ、幸せになれるから」という言葉に対して、物語のご都合主義とは全く別の水準で、あまりにも非現実的で多幸症的だという疑義を呈する。複眼性を持つ批評。

    批評的=臨界的(critical)。特定のジャンルにおいて、その可能性を臨界まで引き出そうと試みたがゆえに、逆にジャンルの条件や限界を無意識のうちに顕在化させてしまう、そのようなアクロバティックな創造的行為一般を指す形容詞。

  • 先日の芥川賞選考における、石原都知事の「自分の人生を反映したリアリティーがない」との指摘に対する返答である。石原都知事の指摘はある意味でもっともであり、しかしある意味では的外れである。動物化するポストモダンと本著を通読し、その意味が理解できた。そしてそこから今まで考えられることのなかった「寓話的で幻想的でメタ物語的なポストモダンの実存文学」の系譜に目を向けることができる。

    大きな物語の消尽のあと、もはや自分が動物=キャラクターでしかないことを知りながらも、それでも人間=プレイヤーでありたいと願ってしまう私たち自身(東浩紀)の、実存に関わる一読のみならず、人生において何度も読み返したい一冊。

著者プロフィール

東浩紀(あずま ひろき)
1971年東京生まれ。批評家・作家。ゲンロン代表。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。
著書に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞受賞作)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞作)ほか多数。『ゲンロン0 観光客の哲学』は第5回ブクログ大賞人文書部門、第71回毎日出版文化賞受賞作。

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