- Amazon.co.jp ・本 (148ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061824539
作品紹介・あらすじ
映画を見に行くことになったのは妹が死んでしまったからだ。私は平素より視覚情報に関しては淡白を貫く主義なので、映画を見るのは実に五年振りのこととなり、妹が死んだのも、矢張り五年振りだった。回数を勘定すれば、共にこれが四回目である。映画を見るのは妹が死んだときだけと決めているのではなく、逆であり、妹が死んだからこそ、映画を見るのだ。そうはいってもしかしこうしょっちゅう死なれては私としても敵わない。日頃大きな口を叩いている友人達に合わせる顔がないというものだ。私には合計で二十三人の妹があるけれど、死ぬのはいつも、十七番目の妹だった。
感想・レビュー・書評
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意味不明すぎる
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我々の世界ではありえない、不可思議な事象が当たり前の事として
認知されている世界。
星新一、阿部公房、長野まゆみ、三崎亜記、クラフト・エヴィング商會等が
好きな人、藤子F先生のSFが好きな人、
シュルレアリズムが好きな人、「優美なる死体」ゲームが好きな人、
等にはオススメ。 -
西尾維新の中では1番好きな本。
最初から最後まで、とても哲学的で芸術的であったと思う。
精神的に落ち込んだ時はこの本を読んで元気をもらっている。
この本で、西尾維新が好きになった。 -
戯言シリーズやりすかシリーズとは対極に位置する作品。
徹頭徹尾、何から何までわからない。
いったいどのような世界の中で進行してる物語なのか、
登場人物たちはいったいどんなキャラクターなのか、
読んでいってもただただ「?」が募るのみ。
時折出てくる意味不明の表現は、
ふざけているのか真面目なのか、
ギリギリのバランスのところに存在してる感じ。
どんなジャンルに分類されるのかも不明なお話だけど、
ただひとつ言えるのは、西尾維新という人は
どうしようもなく「妹」が好きなんだということだけw -
装丁は良かったけど心に何も残らない小説だった。
別に読めない訳じゃないが、字の意味を認識してもそれは全く意味をなさなく、意味がわからないのだから盛り上がりが生まれるわけもなく。 -
文章だけ見るとこういうのを奇書って言うのかもしれない。けど作家の名前が売れているから意欲作、というか「こういうことがしてみたかったんだ」みたいに一歩引いた目線で見てしまった。
不条理小説を読むのは初めてだから、読みながら他の本ではなくDr.ハインリッヒの漫才を思い出した。お約束をあえて裏切る、なんなら上にある物が下に落ちる、みたいな絶対的原則も通用しないような世界観が似ていた。
ただ、Dr.ハインリッヒはもうああいう不条理漫才しかできない(ベタな漫才なんかそもそもやりたくないだろうけど、もうウケない)のに対して、西尾維新はこれを書いた後に「化物語」や「難民探偵」とかを書けるのは、漫才師と作家の違いだなと思う。どっちが良いとかじゃなくて。 -
西尾ファン超上級者向け。怪書。凄すぎる。何が凄いかってこの不条理さを貫いたまま1作書き切ったという事実だ。氏の頭の中は一体どうなっているんですかね。
個人的に、和紙で包んで更に箱に入れるという丁寧で奇抜で古書のようなこの装丁デザインが講談社BOXのきっかけのひとつになっていたら面白いなと思ったり。 -
「ニンギョウのタマシイ」
弔いの為の儀式を。
彼女の中では銀行強盗なんかよりも、妹が亡くなった際の儀式が出来ない事の方が重要であり優先順位が高かったのだろうな。
「タマシイの住むコドモ」
痛みを感じ沼に傷が。
ここまで悪化しても痛みを感じず普段通り生活を続けていたというのが驚きだが、逆に何も感じないからこそ指摘されるまで何も気づかなかったのかもな。
「コドモは悪くないククロサ」
彼の元へ訪れた来訪者。
数年間の差が空いたというのは一体どういう事なのか疑問だが、それでも彼女は彼の元へ何度も通い続けていたのなら目的はなんなのだろう。
「ククロサに足りないニンギョウ」
貴方は一体誰なのか。
自分が何番目の子か一言も言っていなかったのに勝手に中盤ぐらいの子だと思ってしまっていたが、妹がこんなにいたら本当の順番など分からなくなりそうだな。 -
【135】