間宮林蔵 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061839120

作品紹介・あらすじ

謎多き探検家の波瀾万丈の生涯を描く歴史長編。樺太は島なのか、大陸の一部なのか?世界地理上の謎であった同地を探検して島であることを確認し、間宮海峡を発見した間宮林蔵。その苦難の探検行をリアルに再現し、幕府隠密として生きた晩年までの知られざる生涯を描く。史実の闇に光をあてる長編傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 不凍港を求めて南進を望むロシアの勢力と、鎖国政策に綻びをみせ始めた幕府とが相対する地域、千島列島と蝦夷。そして大陸につながる半島か島か謎の樺太(サハリン)。幕命により樺太北端から黒竜江地方を探検し「間宮海峡」発見の功労者となった<間宮林蔵 1780?-1844>の波乱万丈の生涯が描かれた歴史長編小説。伊能忠敬との交流、德川斉昭との関係、シーボルト事件の詳細と林蔵の立場、幕府隠密としての林蔵の横顔など、史実と物語が織りなす興味を掻き立ててやまぬ<吉村 昭>さん執念の記録文学。

  • 日本人でただ1人世界地図に名前が残る男、間宮林蔵。その生涯を描く良作。
    樺太の存在を世に明らかにした探検家のイメージだったが、中国にも行き、その後隠密としても活躍していたとは知らなかった。

  • この著者2作めですが(1作めは前野良沢を主役にした冬の鷹)、司馬遼太郎並みに筆力あるので外れ無し。
     世界で唯一といってよい日本人名のついた外国の地名’’間宮海峡’’なんですが、2度の樺太探検(+国禁を破ってロシアに上陸)が探検小説として抜群に面白い。伊能忠敬とも交流あるし。
     後半の隠密としてのシーボルト騒動やらは実像だったんだろうけど前半に比べてスケールが小さくなったのは勿体ない。

  • 間宮海峡って、こんなに行きにくいところだったんだ。

  • 林蔵は、幕府の命により、樺太が半島ではなく、島であることを探検により立証した。また、アムール川下流沿岸の探索により、当時、樺太はロシアの支配下になく、清が治めていたこともあきらかになった。幕府は、引き続き、樺太踏査の経験から対ロシアの来襲に関する隠密を命じた。林蔵は、北海道から、北陸、九州鹿児島まで駆け巡るなど多忙を極めることになる。そして、薩摩藩は、琉球を介し中国との密貿易を行い、各藩から膨大な利益をうけとっていたことを掴み、大きな功績につなげる。江戸に滞在中は、伊能忠敬から教えを請い、緯度計測など正確な測量の技術を学ぶ生活を送っていた。幕府の命による隠密は、シーボルトの資料隠匿を密告した者と噂されたが、帰国後、シーボルトは、樺太が半島ではなく、島であることを間宮林蔵が発見した事実を世界に伝え、世界地図に間宮海峡と命名し、功績を称えたことが知られている。実直で、責任感が強く、信念を貫き通す精神力は、戦国の世に生き、北条家臣として最後まで力を尽くした武将のDNAなのだろうか。不思議に気分が晴れる。

  • 間宮林蔵の生涯を詳細に追った小説。

    200年前の北海道がどれほど未開の地だったか、改めて感じさせられるなど資料としては面白いものの、小説として読者を引き込む力はあまり感じなかった。

  • 間宮林蔵が樺太を探検した人だというのはもちろん、小学校のころから知識として知っていることではあるが、実際にどういう探検をしたかについてはこれまで考えてみたこともなかった。

    本書はその足跡を丹念に追った歴史小説。農民の生まれから幕府の下級役人になり、測量のために北海道にわたったこと。樺太が島であることを確認するために、3度にわたって北上を試みたこと。また海峡を渡ってアムール川を遡上し、清国が支配する街まで行ったことなど、興味深いことがいろいろとあった。

    その後は隠密としても活動し、シーボルト事件にも関係があったなど、いろいろ勉強になった。

  • 林蔵が、「樺太が島であること」を発見したということは歴史の授業で、1行程度により簡単に紹介され、知っている事実ではありますが、その背後にあった大変な冒険談は極めてドラマティックな内容です。そして極寒の地での探検を続ける上で協力をもらうことが不可欠であったアイヌ、またキリヤーク人との心の交流など心温まる話です。彼らの命を恐れない協力と、林蔵の強い意志がないと実現できない事実譚です。アムール川を遡って清帝国の領域まで足を伸ばしたのも驚きです。樺太の北端の岬から全面に広がる海を見たときの感動、アムール川を下って河口からの大海へ流れ出す雄大な水の流れを見たときの感動はジーンとくるものがあります。恐らく林蔵の気持ちを見事に再現したものだと思います。後半は一転して名声を獲得した林蔵がシーボルト事件の摘発者として白い眼で見られたり、幕府隠密として長崎、薩摩、浜田藩などへ足を運んだりと蛇足のように思えるのですが、最終的にシーボルトが彼を樺太海峡発見者として評価して紹介したことが世界的に評価として確立したことを示すためには必要だったのでしょうか。

  • 2012.9.24(月)¥252。
    2012.9.26(水)。

  • 読み始めは辛かったんだけど、慣れてしまえばサクサクと進んだ。 小説としての面白さというより、題材の面白さだな。 間宮林蔵の行った仕事と、生きた時代がすこぶる面白いのだ。 (「四千万歩の男」とか「菜の花の沖」とリンクするのもたまらん)

    でも、小説としては淡白だなぁ。 「ここ、池宮だったドラマチックに描くだろうなぁ」 と思う場面がたくさんあった。 史実をドラマにする気はないんだろうな、この人は。

  • 全世界地図の空白部は樺太北部のみであった(北西航路がまだ発見されてないからこれはきっと違う。。。)

    1785前;東韃靼と地続きの樺太半島、西方にあるサハリン島(和蘭陀製全世界地図)
    1787;東韃靼と地続きの樺太半島、サハリン島はない(樺太西岸を北へ。北からの潮流がないため湾と断定)/フランス人ドウ・ラ・ペルーズ
    1804;北部太平洋探検航海記/樺太半島/イギリス人ブロートン
    1804;世界周遊記/樺太半島/ロシア人クルーゼンシュテルン
     ↓
    林蔵の目的は「樺太半島がどのように東韃靼大陸とつながっているかを調査すること」であった

    --間宮林蔵--
    ・1806[27歳];エトロフ島測地
    ・1808[29歳];第1回樺太探索(松田伝十郎、北知床岬~白主~ラッカ)
    ・1808[29歳];第2回樺太探索(白主~トンナイ~リョナイ~トッショカウ~リョナイ~トンナイ)
    ・1809[30歳];第3回樺太探索(ラロニ、トンナイ~ウショロ~リョナイ~ノテト~ラッカ~ユクタマー~ナニオー~ノテト)
    ・1809[30歳];東韃靼探索(コーニ、ノテト~ラッカ~トムシボー~ムシホ~タバマチー川~キチー~アムール河~コルベー~ジャレー~ウルゲー~デレン~ジャレー~キチー~カターカ~アオレー~シュシュ~ホル~バット~サンタンコエ~カルメー~デボコー~ワーシ~ヒロケー[樺太は明らかに島]~アムール河口~チョーメン~オッタカバーハ~ラッカ~ノテト)
    ・1814[35歳];第1回蝦夷測地(松前~江差~イワナイ~オタルナイ~石狩~ノッシャム~宗谷~枝幸~モンベツ~常呂~網走~斜里~国後島~箱館)
    ・1815[36歳];第2回蝦夷測地(箱館~オシャマンベ~釧路~厚岸~花咲半島~根室~ノサップ~箱館)
    ・1817[37歳]~1821[41歳];第3回蝦夷測地(内陸部)
    ・1825[45歳];捕鯨船調査(銚子~福島県江名浜)
    ・1827[47歳];捕鯨船調査(伊豆七島)
    ・1831[51歳];通詞とオランダ商館員との癒着調査(長崎)
    ・1835[55歳];異国船(=捕鯨船)来航時の藩主対応の実態調査(津軽、松前藩領)
    ・1835[55歳]~36[56歳];松前藩警備の巡見使、奥州・山陰・九州・四国の海岸防備&政情を探る旅
    ・1845[65歳];没

    蝦夷地開拓の和人も「壊血病」になっていた
    アイヌ人は壊血病にならない→魚と海草を食べていたため?
    熊の毛皮は雪が凍りつく、犬の毛皮は氷が落ちる

    1903-06;北西航路発見/アムンゼン
    1909;北極点到達/ピアリー
    1911;南極点到達/アムンゼン

  • 不屈の精神が見事に描かれていた。後半だれる。

  • 世界で初めて樺太が島であることを確認した功績者としての間宮林蔵の生涯と、優れた測量技術をもち当時既に老齢ながら全国を調査して回り大日本輿地全図を完成させた伊能忠敬など、一連の人物、また、頻繁に出没するようになった異国船に怯え、対策に追われる幕府をめぐる時勢が具に描かれている。
    間宮林蔵については偉大な功績の割りにあまり知られていないように思う、特に探検家としての性格や、晩年は隠密として全国を回っていたことや、水戸藩徳川斉昭にも重宝されていたことなど。
    健脚や測量技術は師である島之允、伊能忠敬からも受け継ぎ、択捉島でのロシア船上陸事件での敗走を悔い、樺太探索に名乗りをあげ、本当は樺太の北辺を回って一周したかったが、海路も陸路も条件が悪く適わず、最終的には持ち前の根性と忍耐力で樺太の対岸にある清領アムール川周辺まで到達し、そこから樺太を眺めるに島であることに確信をもつ。現地の清役人とや山丹人とも接触し、中ロ関係についての情報まで日本に持ち帰ることに成功した、etc.歴史の教科書からは決して想像のつかないドラマがあったのだ、と感動を覚えた。
    ただ、時折入り込めなかったので、☆は三つ。

  • 全1巻。
    武揚伝から北海道つながり。

    北海道探検した人で隠密。
    みたいなイメージ。

    実際は樺太からロシアまで探検行ったらしい。
    すげえ。
    ちょんまげで。
    隠密とか小説の設定と思ってたけど、
    実際にぽい感じだったのね。

    前半はそれなりにワクワクした。
    けども。
    文章があんまり。
    少し独特。

    箇条書きみたいに事実を書き連ねてく感じ。
    で、盛り上がるとこは掘り下げるみたいな。

    無理って程じゃないんだけど、
    全力ではのめり込めない感じだった。
    史実を消化してるって印象を受けてしまう。

    黒船来る前にこんなことがあったのね。
    実は。

  • 間宮林蔵を冒険家のイメージでとらえていたけれど、この歴史小説からは極めて官僚的人物だったんだなと感じた。樺太が島であること発見するまでの行程は悲壮感に満ちているが、発見は感動的であり、爽快感を味わえる。一転して、隠密として働くことになる人生後半はなんだか物悲しい。

  • 間宮林蔵が生きた時代は激動の時代だったのだなー。そのあたりの時代背景も分かりながら、探険家の生涯も知れて、面白かった。

  • 間宮海峡を発見した人の話。

  • 真面目で几帳面、まっすぐな性格で困難もやり遂げる強さが彼の長所で、樺太が島であることを発見する偉業を成し遂げた。しかしその生真面目さが、融通性がないと思われ、シーボルト事件の密告者だという誤解を生み、彼を苦しめることになる。

    樺太やその周辺の人々の生活を記録も興味深い。アイヌの暮らし、寒さから身を守る知恵など、とても勉強になる一冊。

  • かなり版を重ねた文庫である…史料の隙間を創作しながら、間宮林蔵の業績を伝えてくれる作品である…劇中の林蔵は「決して地位が高くない農家の出で、ようやく掴んだ下級官吏として仕事に賭け続けた職人気質な、そして少し不器用な男」として描かれている。なかなか魅力的であると思った。
    間宮林蔵が生きた18世紀終盤から19世紀前半の情勢に関する、解説的な内容の叙述も多いが、これが大変に興味深い。“鎖国”の江戸時代だが、想像以上に外国との様々な接点があったことに少々驚く。

  • 吉村昭さんの歴史伝記ものはすごいです。
    丹念に資料を調べ上げて、それらの足りないところを丁寧に推理して、よどみのない人物の一生涯の記録として上梓してある。書き方も、後書きを読まなければ本当にこのまんまの光景が実際に行われたと信じてしまいそうなくらいに実写ぽいのだ。しかし、よくこんな昔の資料を研究したよな〜すごい人だ。面白いよ〜

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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