- Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061962286
作品紹介・あらすじ
昭和、戦前・戦中の強権の下での苦闘の生活の中に生まれた、「鬼子母神そばの家の人」「山猫その他」「遺伝」「残りの年齢」、戦後の自由の光の中で書かれた「木の名、鳥の名」「平泉金色堂中尊寺」「今日ただいまのところ」「遠野暼見」。阿佐ケ谷文士たち、碩学・吉川幸次郎らが絶讃しやまない中野重治の強靭な精神と清新な詩心が生んだ随筆世界。
感想・レビュー・書評
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「どしどし」という言葉をよく使っている。エッセイの書き癖というやつだろうか。中野重治と「どしどし」には、どういった関係があるのだろう。この世にはいない本人に聞いてみたくなる。どしどし、ってなんだろう。どしどし応募してください、の、どしどし。どしどし。中野重治論というのは数多くあるけれども、どしどしという言葉から分析したものはあるのだろうか。
このエッセイ集のなかで、「萩のもんかきや」と「木の名、鳥の名」が良かった。そこでは、リアリティとは何かが語られている。
「木の名、鳥の名」では、窪川鶴次郎と二人で、宮川彪のところへ遊びに行く話だ。宮川と窪川は一心に小鳥道楽の話をしている。奥さんに怒られないために、ばれないために、こそこそやっている。小学校一年生みたいだ。【純粋の幸福の図、実際それを見ていて私はうらやましかった。鳥の名を、実物に即してたくさん知っているということはきっといいことに違いない。極楽鳥は知らなくてもいい、夜鴬なんというものも知らなくてもいい。しかしあすこの木に来てとまる鳥、いまそこへ飛んできた小鳥、それを名でも習性でも知っているということはよほどいいことにちがいない。そのほうが、世界に対してリアリスチックというわけだろう】(P183)。
しかし、しんみりする名編は「萩のもんかきや」だ。
娘のおみやげに、めんどくさいけど、お菓子を買った。郵便で送ろうと思ったけれど、乱暴に扱われては嫌だから、送るのをやめた。
そして萩の町を歩いていると、鼻の高い女が、衣類の紋をかいている。一心不乱で、まるではんこ屋か時計屋のようだ。看板を見ると「もんかきや」とある。
【ああ、「もんかきや」か。「もんかきや」……その成立ちの条件がひどくはかなく思われてくる。商売として成り立つのだろうか。彼女は戦争未亡人であった。本当に大丈夫なのか……。】
【「もんかきや」という、よそで見られぬ昔風の看板の言葉が、古めかしいだけそれだけ、かえって新しい痛ましさで頭からはなれない】
中野重治は弱り切った芥川と会っている。いろんな考察もなされている。芥川は最初に恋愛をした大卒の先進的なインテリ女性と駆け落ちして、海外で歴史学者として生きていくルートもあった。中野の描写を見る度に、弱り切った芥川が哀しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
〈できなさそうでいて、案外できることがある〉
この文章を読んだとき、先生と同級3人と会う予定だった。
私は、out of control が続き気が下がっていたので嘘をつき行けなくなったと言ってしまった。
皆が飲み終わってから、lineで今度はみんなで会えるといいなと思いますと言葉が載せられた。
その言葉が嬉しかった。
あの人は、こういう集まりを面倒で下らないと思っているのかと思っていた。
だからその思いを汲んで、こういう集いを私も避けたり嫌がっていた。
でも、こういう長い付き合いを大切にしているように受け取れた、意外だった。
このとき、卒業後、会っていない高校や大学の友達とも案外また会えるんじゃないかなと思った。
彼女が今回の集まりを呼びかけたように、私が呼びかけ人となればいいんじゃない!と思った。
繋がりたくない状況、時期の人もいるけど繋がりたくても繋がる機会がない人にはきっかけさえあればいいんだ、私がきっかけを作るんだ!
と思って気分が浮ついてきた。
〈友人との対し方についての文章〉
友人に厳しく相対する、自分をぶつける、そういうのに、ほほぅ。
しばしば見かける洋梨のような色、大きさ、そしてボコボコとした形の果実はあけびだったんだな。
澄んで鄙びた鐘の音 もんもんもおん。
(画) カミーユ・ピサロ 、 織田一磨
〈あけびの花〉
柊(ヒイラギ) この漢字をヒイラギと読むことは知っていたが、漢字の柊は、あの独特な葉っぱに繋がらなかった。
カタカナでヒイラギという字を読んでも、ちょっとあの葉っぱに繋がらなかった。
文字を見ずに、音、誰かの声でヒイラギと聞くと、あのちくちく葉っぱのことだねと繋がるのに。
去年、ヒイラギの歯の付け根あたりに小さな花がいくつかくっついているのを見て、その葉っぱによってこれがヒイラギの花か、金木犀のように付け根に群れて咲くんだなと思った。
そうして最近、赤い実をつけているトゲトゲ葉っぱを見て近寄った。
中野重治と見てたんだ、なんだか嬉しい。
しばしば語られる福井の村の生活を読んでいると、以前読んだ作者と作品名が分からぬ小説か短編の風景が浮かんできて、思い出せないから靄がかかる。
田舎の家に、鉄道の線路を敷く人たちが来てその人の家の部屋を借りて住む、親分は荒っぽい人。
中上健次? 小説で読んだだけの見てもいない風景が浮かんでくるって興味深い。 -
随筆というか掌編小説がいっぱい集まったような感じでした。詩の世界が幾連もでてくるような。