屍の街,半人間 (講談社文芸文庫 おG 1)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061963283

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    内容(「BOOK」データベースより)
    『真夏の広島の街が、一瞬の閃光で死の街となる。累々たる屍の山。生きのび、河原で野宿する虚脱した人々。僕死にそうです、と言ってそのまま息絶える少年。原爆投下の瞬間と、街と村の直後の惨状を克明に記録して一度は占領軍により発禁となった幻の長篇「屍の街」。後遺症におびえ、狂気と妄想を孕んだ入院記「半人間」。被爆体験を記した大田洋子の“遺書”というべき代表作二篇。』


    屍の街
    (冒頭)
    『渾沌と悪夢にとじこめられているような日々が、明けては暮れる。
    よく晴れて澄みとおった秋の真昼にさえ、深い黄昏の底にでも沈んでいるような、混迷のもの憂さから、のがれることはできない。同じ身のうえの人々が、毎日まわりで死ぬのだ。』


    『屍の街 半人間』
    著者:大田洋子
    出版社 ‏: ‎講談社
    文庫 ‏: ‎310ページ


    メモ:
    ー抜粋ー
    『…私たちは電車の通りから右へまがった。するとそこには右にも左にも、道のまん中にも死体がころがっていた。死体はみんな病院の方へ頭を向け、仰向いたりうつ伏せたりしていた。眼も口も腫れつぶれ、四肢もむくむだけむくんで、醜い大きなゴム人形のようであった。私は涙をふり落しながら、その人々の形を心に書きとめた。
    「お姉さんはよくごらんになれるわね。私は立ちどまって死骸を見たりはできませんわ。」
    妹は私をとがめる様子であった。私は答えた。
    「人間の眼と作家の眼とふたつの眼で見ているの。」
    「書けますか、こんなこと。」
    「いつかは書かなくてはならないね。これを見た作家の責任だもの。」』85~86ページ


    (▽青空文庫『屍の街』原民喜より抜粋)
    『 私はあのとき広島の川原で、いろんな怪物を視た。男であるのか、女であるのか、ほとんど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに痛々しい肢体を露出させ、虫の息で横たわっている人間たち……。だが、そうした変装者のなかに、一人の女流作家がいて、あの地獄変を体験していたとは、まだあの時は知らなかった。
    「なんてひどい顔ね。四谷怪談のお岩みたい。いつの間にこんなになったのかしら」と大田洋子氏は屍の街を離れ、田舎の仮りの宿に着いたとき鏡で自分の顔を見ながら驚いている。それから、無疵だったものがつぎつぎに死んでゆく、あの原子爆弾症の脅威を背後に感じながら「書いておくことの責任を果してから死にたい」と筆をとりだす。こうした必死の姿勢で書かれたのがこの「屍の街」である。』

  • 作者が強調する原爆の恐ろしさは、その破壊力や被爆だけはない。それは今までにない爆弾だった。人々の想像力を超えていた。そして突然の未知の力による破壊は、肉体のみならず人々の精神内部にまで及ぶ-

    まさに体験した者だけが言えることだが、原爆の最大の恐怖は、人々の気力を奪い去り、表情を消し、魂を蒼ざめさせることだという。「じっさいは人も草木も一度に皆死んだのかと思うほど、気味悪い静寂さがおそったのだった」「裂傷や火傷もなく、けろりとしていた人が、ぞくぞくと死にはじめたのは、八月二十四日すぎからであった」

    見渡す限りの焼け野原を見た喪失感、そして生存者が日をおいて発症して死んでいく、という不可解な死の恐怖が全編を占めている。
    そして作者は、自分の魂と人々の心をここまで消失させ、死の恐怖におびえさせた原因についての思いを率直に書く-。

    広島は国内の他都市が大きな被害を受けたなかで、8月まで大空襲を免れていた。それはなぜか?アメリカは世界最初の原爆の地として広島を残していただけの話ではないのか?
    そして、広島が爆撃を受けない理由を徹底的に調査し分析しなかった戦争責任者、知識人への激しい憎悪… 「その推理が主知的に処理されていたならば、広島の街々に…あれほどの死体をつまなくてすんだことと思える。」
     
    ところで大田洋子は書くことによって、魂の亡失から抜け出し、自らを救済できたのだろうか? 
    作者のむける刃は、戦争というものに向かい、それに対して何もしようとしない無気力な人間に向かい、そして最後に、感情を狂わせ喪失させられた自分自身に向かい、自らを傷つけることで救いを得ようとしているように感じて、気になった。
    (2008/8/6)

  • 原民喜『夏の花』においては壊れる勢いと衝撃が強かったのに対し,『半人間』では壊れた後の持続がいくらか書かれている。『屍の街』では,「急激に拡張する現実」に対しある種の使命感に駆られて書いたような感じだろうか。

  •  広島で被爆した作家の私小説。
     
     原爆小説としては井伏鱒二の『黒い雨』などが有名だが、この作品は描写が淡々としていて悲惨さを感じない。

     苦しいとか悲しいとか、そんな人間的な感情さえ、原爆という悪魔の兵器は破壊してしまったということがわかる。

     現代人の目から見れば作家が見ている情景はまさに悲惨そのものだ。しかしそれを悲惨なものととらえることすらできず、まるで電車の窓から外の風景を眺めているかのような描写はどこまでも冷めている。
     
     人間が痛みを感じることができなくなることほど深い病があるだろうか。
     
     屍の街に書き記されている世界は、まさに痛みを痛いとも感じることのできない地獄で、戦争がもたらした麻痺の恐怖に読者は絶望するしかない。

  • 原民喜とは対照的な仕方で、「屍の街」のありさまを凝視し、それをもたらしたものを突き止めようとする意志に貫かれた作品。併録された、生き残ることの苦しみと、苦しむ者たちに注がれる視線を内側から抉るように見据える「半人間」も印象深い。ただ、両者を貫く怒りのこもった意志は、被爆以前の大田においてそうだったように、「日本」を語ることとあまりにも親和的である。

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著者プロフィール

1903年~ 1963 年。広島生まれ。「人間襤褸」で女流文学賞受賞。「屍の街」「半人間」「夕凪の街と人と」など、多くの被爆の体験を記録した。

「2021年 『人間襤褸/夕凪の街と人と』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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