- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061983021
作品紹介・あらすじ
明治十五年、近在屈指の大地主の長男として生まれ、九歳の時母自殺。以降徐々に家は没落、時代の傾斜と並ぶようにやがて不幸の淵に沈んでゆく。大正十四年出家。大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。分け入つても分け入つても青い山(「俳句」大正十五年)九州から東北まで漂泊托鉢。行乞生活を記録した句は数奇な生涯を凝縮。俳句、随筆、行乞記の三章でその真髄を纏める。
感想・レビュー・書評
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月が昇って何を待つでもなく
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「物を味わふ、それこそが生きるということなのだ」。初めて読んだとき衝撃を受けた。ラーメンを食べるのも本を読むのも、あるいは歯を磨くのも風呂に入るのも、僕にとってそれはただ単に手段であって消費すべき対象に過ぎなかった。
味わう、それを本当に地で行っている人間がどれほどいようか。キンモクセイの香りも、肌が凍りつく寒さも、多くの人間が気にせず生きているのではないか。
種田山頭火の随筆は、私たちがみな詩人であること、詩人であるべきだということを気づかせてくれる。
目で楽しみ、肌で感じ、鼻で嗅ぎ、音で驚く。あるいは舌でひと時の幸福を感じる。これこそが生きることだ。そしてほとんどの人が備わっているその能力こそが人を詩人にし、生を確実なものとしているのだ。
この本を読んでから私は、物を大切にするようになった。水を必要な分だけきっちりと使うようになった。漠然と音楽を聴くのではなく、真剣に音と向き合うようになった。学校に行く通りに人様の庭に咲いている花に気づくようになった。
僕にとってこの本は、人生の指針を根底から変えることとなった本。ときどき、人生に慣れきってしまったとき、再び読み返して再発見している。 -
種田山頭火は、“自由律俳句”と呼ばれる独特な句を多く残しているが、その作品を選んだモノ、同人誌等に寄せた文章、「行乞記」と呼ばれる旅の記録の抜粋、編者による彼の人生や文学の解説と詳しい年譜が盛り込まれた一冊だ…
「実に手軽に読める文庫本」でありながら、豊富な内容を詰め込んで、“漂白の俳人”の作品や人物を紹介する「格好の入門書」である。 -
これを読むとタダのアル中のメンタルな迷惑おやぢだったと窺えます。