石の聲

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062060851

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  • 主人公が、英子について語った部分。
    私は英子に近い。
    主人公が英子に、ソウルに転勤になるかもしれない、と話すと、お父さんに会えるわね、と言う。
    主人公は、こんな風にしてじっと耐えていく生き方があるのだ、思いを表す言葉を人にうまく伝えることができない人間は多い、表現の拙さや言葉の足りなさあるいは多さで、ときには誤解もされ理解を得られないことで苦しむことも多い、それが人間の宿命ともいえる日常の姿かもしれない、けれども英子はそれ以前のところに立って耐えている、かと言って彼女は自分を放棄しているわけではない、人を恨んでいるわけでもない、何も強いず何も諦めず彼女はじっとそうあるように生きている。
    とある。
    ここの部分にグッサリと刺さった後、英子の長い手紙。
    手紙で言葉にして表すと、はじめは日々の同でも良さそうな描写が多くて、真に迫らないふわふわ女かと思ったが、徐々に自らを言葉を尽くして語り、主人公に対してなんでこうなんだと思っていたと語り、弱いから自分は主人公の相手となったのでは?という主人公の思っていたことを同様に語った。
    これによって、主人公は英子をなまの生ではわからなかったことが、言葉によって伝わったという。
    興味深い作り。

    その後に続く、
    人は時の中で生のさまざまな相貌に向き合い過去を体験し記憶を通して観念化された生を生きなおす。
    生きなおすことで作っていく、作らねばいられず観念化せずには作り得ないことを知っている。
    生とぶつかり合い、生を嫌悪するのが観念であるにもかかわらず、人は観念に依らなければいまを作り出すことができないのだ、この矛盾は生の意味にも通じている、生の根と言い換えていい。
    根の光芒は瑛子に書かなければならない手紙の返事をめぐって、うなされるような不安な時間が続いた。
    返事は書けなかった、誠実というフィルターにかければこぼれ落ち残っていくものはないようなきがした、在るように書けばいい、今ある自分のまま思いを素直に書き綴ってみたらいい、そう言い聞かせた。
    しかしそういう自己鼓舞の言葉ですら誠実さに欠け虚に響いてならなかった、観念に倚りかかることをいつの間にか覚え込んでしまった自分は人の人生をその具体性の中で味わい捉え切ることはできなかった。
    この部分が、自分があの人の日記的な紙束を読んだ後、書き連ねては破り捨てた自分の吐露の経験を思い起こさせた。

    書き留められず、記憶し残すことのできない無数の瞬間の一つとして今というこの瞬間も過ぎ去ろうとしている、こうして多くの思念、多くの言葉が消え去っていく、どこに行き、どう果ててしまうのだろう。私におけるさっきまでの今も、いったいどこに行ってしまったのだろう。
    この記述は、毎日寝る前に2023年1月1日からスマホのメモに日記を書く私は、思いを寄せやすい。

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著者プロフィール

李良枝(イ・ヤンジ)1955年3月15日~1992年5月22日
作家。山梨県生まれ。1964年、両親の日本帰化により日本国籍を持つことになる。早稲田大学中退。韓国の琴、カヤグムと出会い魅了され、韓国舞踊も習う。1980年、初訪韓。89年「由ヒ」で第100回芥川賞受賞。作品に『かずきめ』『刻』など。

「2023年 『石の聲 完全版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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