私のいない高校

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062170086

感想・レビュー・書評

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  • タイトルに対して抱くイメージと、書かれている内容にギャップがある。読み終わってみればなるほど確かに「私」がいないのだなとわかる。

    読んだあとで何と書こうか考えあぐねてすぐにレビューが書けなかった。

    留学生を迎えることになった高校の担任が綴った丁寧な日々の備忘録といった内容だ。参考にした記録があるようだ。おもしろくなくはないのだが、もし内容のまま「高校教師の備忘録」などといったタイトルにしてあったら手に取ったかどうか。どこまでアレンジしてあるのか知りたいような気がした。

  • アンネの日記海外留学生受け入れ日誌(大原敏行著)※を一部参照しつつ、全体をフィクションとして改変・創作したものですと書いてあります。高校の先生が書いた日誌をさらに俯瞰している誰かの目線で書かれています。ところどころ担任は…が登場するので。業務日誌や報告書に近い雰囲気があって担任の感情表現がなく、生徒の行動や発言に先生的分析(教育効果のほど)を加え一喜一憂しています。すごく描写がリアルです。誰でも高校時代を思い出すことでしょう。修学旅行に行くという話では最近読んだ悪の教典を思い出すのですが、真逆を行くような何も起こらない話。多くの先生はこの本のように誠実に務めを遂行しているのだろうなと妙にナットク。あえて、つまんないなあと過ぎていく毎日毎年もここまで感情を押し殺して実直に書くと普遍で素晴らしい学園の営みに思えます。※9/13読了

  • びつくりしたから、これからきららのインタビュー読む。

  • 読了後、不思議な気分になる小説です。
    しかしこの言語化できない、腑に落ちない感覚が好きな人には最高の小説ではないでしょうか。

    『群像2011年8月号』に掲載された青木淳悟と阿部和重の対談が、この作品をもっとも面白く読める批評だと思います。

    どっから読んでもすばらしいですが、速読だけはダメです。
    一文一文丁寧に読みましょう。

  • この小説の仕掛けを味わうには、少なくとも二度読む必要があると感じる。一度目に感じた違和感をひきずりつつ、考えつつ、二度目を読むとおもしろさがだんだんわかってくる。ゆっくり歩くと仕掛けがわかってくる、だまし絵のなかに入り込んだような読み心地。「楽しませてもらう」のではなく、発見の楽しさがわかる読み手向け。

  • 「私のいない」=「主人公がいない」あるいは「物語の焦点がない」という感じか。とにかく普通の小説を読むのとはまったく違う手触りの作品。ともすれば無機的な記録文となりかねないものを小説として成り立たしめているものは何かというのは追々考えたい。

  • 主人公視点のない小説。その構造上、盛り上がりに欠けてしまい、ともかく読み続けるのが辛かった。タイトルからしてミステリー的展開になるものと踏んでいたので、書き方がどう活かされるのか期待していたけども、とうとう最後まで普通に終わってしまった。それが新しいってことなら、自分にはわからない。

  • +++
    カナダからの留学生(でも英語が苦手)を受け入れた、とある高校での数ヵ月―。描かれるのは至ってフツウの学園生活のはずなのに、何かが、ヘン…。“物語”の概念を覆す、本邦初「主人公のいない」青春小説。
    +++

    自分の中にある「小説」というものの定義を当てはめて読んではいけない一冊である。センセーショナルな事件が起こるわけでも、謎解きがあるわけでもなく、もどかしい恋愛も愛憎劇も、心あたたまるエピソードがあるわけでもない。ブラジル出身のカナダからの留学生ナタリー・サンバートンを迎え入れたある高校の日常が、担任教師の覚え書きのような日誌のような形式で綴られているだけなのである。ほんとうにそれだけなのである。留学生とクラスメイトたちとの交流も、担任教師の目に見える範囲でさらりと現象のみに触れている程度であるし、特定の誰かの心情が深く描かれているわけでもない。日々の時間割とか、留学生にどんな対応をすべきかという試行錯誤とか、学校行事の進行具合などが、どれも淡々とした表情で並んでいる。面白いのかどうかよくわからないというのが正直な感想なのだが、不思議ななにかに引っ張られるような気もするのがますます不思議である。

  • 青木淳悟の「私のいない高校」を読了。センテンス単位の凄みで言うと前作「このあいだ東京でね」(過去レビュー参照)ほどではないものの——そもそもそれを評価基準にしていいのかも微妙な小説ではある——やはり青木氏の底知れなさを思い知らされる作品でした。


    学園モノの小説、といってもあくまで舞台が高校というだけであって、所謂ジャンルとしての学園モノではない。本来なら焦点が当てられるはずの「生徒たち/教師たちの日常や苦悩」は極めてあっさりと描かれ、というかほぼ書かれずと言ってよく、それよりも学校の諸行事、ある留学生を受け入れていく過程、女子校が共学になる段階で発生する事例の概要ばかりがある種の観察報告のような文章で書かれる、(言ってしまえば)「だけ」の小説である。判然と主人公といえる存在がない。



    面白いか?わからない。誰かに「君はさして面白くもない前衛ぶった(しかしこれは筋にしても書き方にしても別に「前衛」ではない、それも凄いのだが)作品を、それまでにないから、とかそれらしいコジツケ理由で評価して、さも僕は理解がありますよ、新時代の人間ですよ、と思いたいだけなのだ」と言われたらグウの音も出ない。正直自分にそのケがないとも言えないからである。しかし多分本当の新時代人は「グウの音」なんて使わないだろう。いずれにせよ僕はとにかく「わからない」にとどまって分かったフリをしてでもとにかく考えてみることを選ぶ。


    この作品の個人的にもっとも魅力的な点は、読んでいると、人物がたくさん登場しているのにその影は見えず、ただ学校の中にその声の反響が絶えず鳴り響いているような感覚になることだ。
    無論、それぞれのエピソードの概要や行事は、とても細かく描かれている。テストの時間割や、先生同士の授業の交代による時間割変更など、読み進めるのが面倒になっても仕方ないと思えるほどだ。その意味で「群像」やツイッターで既に様々な人が言及しているように、この小説はとても透明で、均質である。
    ところが、もしこれで「実は生徒はみんな死んでいて、この話は誰かが見ていた夢でした」的なオチになっても全く驚かないほど、何か現実的なものが感じ取れないように思える。僕の例はあまりに陳腐であるにせよ、とにかく前記のようなことは起こらない、というか何も起こらないし、誰かの思考や視点の流れによる文章の膨らみみたいなものも一切現れない。


    「視点がひとつに固まらない、教室の中を浮遊しているような視点というのをどうにかして維持していこう、それだけを推進力にして進めていこう、それは常に意識していました。」(青木淳悟、講談社「群像」2011年8月号、阿部和重との対談において)


    この作品にも、「このあいだ東京でね」の過去レビューで触れたような「あるものに対して言葉を費やせば費やすほど、本来の意味とは違った場所に行ってしまう」とでも言えばいいのか、そういう青木淳悟的面白さがある。学校に響く無数のエコーの中を漂いながら、そのエコーが重なったところにある事物が現れる、というか、ある名前が目に入った瞬間にそれは生身の人間のイメージではなく、人間のシルエットを持った(波紋のような?)反響となって学校の中を伝わり、また別の名前が現れると、また違うシルエットの反響が起こって……。、



    阿部「青木さんのすべてに対して一定で、完全に等距離で接したいとする欲望は、どこから気ているんでしょうね」
    青木「愛とか(笑)」(同「群像」より)


    僕は学校での思い出というと、割と出来事云々よりも、ある情景に対しての思い入れの方が強い気がする。しかも誰かと〜しているというより、晴れた日に薄暗い階段に陽光が射し込んでいる場面だとか、夕方の廊下とか、人がいないという情景に対して。「私のいない高校」から感じ取れるのはそれと近質の感覚ではないか。何かがないことで聞こえてくる音、見えてくる風景、発生する思考があるはずであり……であるからこそ僕はこの作品を「ダブ小説だ!」とひとりごちたのだ。それもかなりミニマルなダブではないか。




    青木氏は僕が先ほどから引用している「群像」の記事の中で、「金八先生」をはじめとする所謂学園モノに強いアレルギーがある、という旨の発言をしている。僕はこれにはかなり共感するところがあるということは言っておかねばなるまい。

  • ええ、ほんとうに。
    へんな小説。
    なんかへん。…と思ったら、そう、主人公が見当たらない。語り手もいない?
    何かに照準を当てるという感じも、あまりない。
    出来事は起こるのだけれど、解決されたりこれといってされなかったり、発展するのかなと思うとしなかったり急に閉じたり。

    そのくせ読み易いし、何かが気になるので、読んでしまう。

    東京の高校にカナダから留学生がくるのだが、このナタリーは仏語圏のケベック州から来たので英語は苦手、ならば仏語かというとそうでもなく、彼女は実はブラジル系カナダ移民で、母語はポルトガル語と、まずはこの出だしの噛みあわなさ。
    この彼女が何やら巻き起こすか、彼女を巡っての何かかというとそうでもなく、誰かの内面に添うかというとそうでもなく、ただ個々には魅力的なキャラもいて、決してつまらなくはないのだから厄介である。

    不思議というか、不安定で不明。
    なんだろう、これは。

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著者プロフィール

青木淳悟(あおき・じゅんご)…1979年埼玉県生まれ。早稲田大学第二文学部表現・芸術系専修卒業。2003年、「四十日と四十夜のメルヘン」で第35回新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。05年、同作を収めた作品集『四十日と四十夜のメルヘン』で第27回野間文芸新人賞、12年、『私のいない高校』で第25回三島由紀夫賞受賞。ほかの作品に『いい子は家で』『このあいだ東京でね』『男一代之改革』がある。

「2015年 『匿名芸術家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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