晴れたり曇ったり

著者 :
  • 講談社
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感想 : 65
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062183741

感想・レビュー・書評

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  • 『目の前にあるものを良しとするあまり、記憶の中のものの価値をゆがめてはいけない、でもその記憶の中のものは事実よくないものだったかもしれないということも、疑い忘れてはならない。などと、意味があるんだかないんだかよくわからない、格言(にしては長すぎる)みたいなものを、一人でぶつぶつつぶやいた』ー『ぬか床のごきげん』

    やっぱり、と思う。川上弘美は怒りん坊なのだなあ。恋愛小説家だとか、あわあわだとか。そんな形容には少し違和感があった。間違っていると正面から言い募るほどではない。確かに恋愛小説(らしきもの)を書くし、あわあわと言い表したくなる言葉を連ねる。でもそれは、多分に表面的な特徴で(でもそこに惹かれもする)きっと何か言葉に置き換えられないものが裏側にある。それは、怒りに似た感情なのかな、と思っていた。

    例えば、神様の書き直し。これは随分と直接的な怒りの表現だなと思う。もちろん川上弘美は大きな声を出して怒るわけではなく、ぶつぶつと、あるいは、ふつふつと、静かに執念深く怒る。こんな怒り方をする人は、逆にかつてもっと感情の赴くままに怒鳴り散らし気味だった人ではないか、とも思う。その兆の一つは、この本に収められた文章でも語られる、マダガスカルへの新婚旅行。勝手に二時間も早く飛行機が飛び立ったのを知り、忘れたと思っていた(と、川上弘美は言うけれど鵜呑みにしてはならない)英語が腹の底からどんどん飛び出して文句をまくし立てた、というエピソードが別のエッセイで語られている。スイッチが入った途端、普段は使わない言語で怒りを爆発させるなんて、そもそも凄味があるけれど、そんな風に、涼しげな表情の裏側では熱い溶岩が底の方で煮えたぎっている。それが川上弘美だと思う。

    このエッセイ集の中での怒りは、もっぱら社会派的な怒り。それを少し珍しく思いながら読む。年齢を重ねて社会の仕組みが見えて来るが故に、少し世間からずれていると自らを分析しつつも怒りが収まらない、ということなのかも知れない。けれども、それはむしろ自分自身を意味付ける言葉としての文脈をそう置いてみただけのことなのでは、とも思う。常にもやもやとした感情が根元にあり、分からないまま吐き出してみると怒りとなるのでなんらかの説明を試みる、という図式なのではないかと訝しむ。その根っ子には、娘としての自分の立ち位置に対する違和感というものがあり、母と娘という関係が作り出す緊張感があるのではないか。幾つかの川上弘美の小説を読みながら、同じようなことを考えたことを、思い返してみる。

    そんなこと言ってはみるが、実は川上弘美のエッセイを読むことは、ラムネ菓子を舌の上でしゅわしゅわと溶かすのを楽しむような喜びがある。それは、川上弘美独特の潔さを垣間見るから。例えばこれも他のエッセイで読んだ話。直情的に準備もなしに家出をする。それでも毎日学校へは行くのだが、下着は一つしか持っていない。前の晩に洗って干すのを忘れた日、まあいいか、とノーパンで学校へゆく。まあいいか、と言う態度の竹を割ったようなところに、川上弘美特有の艶っぽさが加わる。しかもそんな危なっかしさに何度となく行き当たっていることが、エッセイの中で明かされる。それを演出かも知れないと用心しつつ、その先へ引き込まれるような心持ちに抗えない。

    小説以外の文章が必ずしも創作ではないと言い切れないところも、また、川上弘美の特徴だ。「東京日記」のように日記の体裁を取っているものでさえ、非現実的な「おはなし」がそこにはある。そこにカモフラージュされた世界には、川上弘美にしか見えない現実の世界の色が言葉にされてまぶされている。それを感じ取ってしまうと、現実と想像の狭間に身を捕られたような心地が生まれる。だから、この本や「此処 彼処」のようなエッセイの中で、どれだけ個人的ことを語っていたとしても、決して鵜呑みにしてはならないとも思う。それでも、ここに収められた文章たちの中では随分と素直な面がさらけ出されているようにも思う。例えば、家族のこと。子どもの話以外のことを川上弘美が書いている文章は珍しい。離婚のことや、母親のこと、祖母のことなどが、するすると語られる。そこで明かされる昭和な少女の姿や思春期の思い、更には小説を書きたくても書けなかった時代の、そんなエピソードたちがやっぱり書かれた小説と繋がっていることが見えてくる。その時代そのものが澱のように言葉の素になった思いの底に沈殿していたのだ、と一人勝手に合点する。

    もちろんそれは、多分に同じ時代をやり過ごして来たことによる勘違いという面もあるとは思うけれども。それでも、川上弘美を通してあの時代の舗装されていない道路や近所の子どもたちの服装や表情が、くっきりとした明暗を伴ってよみがえってくるのを止めることは出来ないのだ。

  • 1958年生まれ川上弘美さんの楽しいエッセイ「晴れたり曇ったり」、2013.7発行です。川上弘美さんの視線、心の中が面白いです。あっ、一緒だなという喜びもありますw。タイトルは大学生の頃、バスの窓から見ていた喫茶店の看板からで、ずっと心から消えないそうです。①長男高校、次男中学、そして川上弘美さんは運動会フリークだそうですw。(フリークとは、ある事柄に異常に心酔するものをいうんですね)②小説家は北杜夫が好きで、高校生の頃は定期入れに北杜夫の写真を③日記には、その日におこなったこと、会った人、読んだ本、献立

  • 笑ったり、考えさせられたり。そんな中で、言葉の選び方は今回も秀逸だった。

  • 川上弘美さんの文章が好きです。文体、リズムよけいなことを言い過ぎない、でも言うべきことは独特の言い回しでさくっと進めてしまう。
    人とはちょっと違う感性を感じさせる文章。いつも川上さんのような
    文章が書けたらなぁと思います。

    今回は「そうだったのか」「そんなこともあったんだなぁ」と思うような
    川上さんの来し方に触れた文も散見されます。
    まさに「晴れたり曇ったり」なのですね。きっと。

  • 川上弘美さんのエッセイ。
    文章を読んでいると「ほんわか」する。
    時に笑ったり、時にうなったり。

    実におもしろい、エッセイ集。

    また、本の紹介もあってよい。
    読みたくなった。

  • 川上さんの書く言葉は、どれもこれも息づいている気がする。川上さんの普段の生活や、考え方、生き方に密着していて、独特の空気感を醸し出す。ぷっと笑っちゃうようなことや、へえ~!と思うようなこと、こんな難しいこと考えてるの?というようなこと・・・どれも作品と併せて読むと腑に落ちる感じ。
    川上さんの書くものは、小説でも、エッセイでも、日記でも、どれもこれも、みんな好き♪ そして、何回でも手に取って、パラパラと読み返してみたくなるのです。

  • 川上弘美さんの言葉がだいすき。言葉の選び方はもちろんのこと、ひらがなの使い方、句読点の打ち方、なにもかも。その大好きがつまっているエッセイです。
    全部のエッセイが素敵でしたが、311に関わる“朝”というエッセイが素晴らしかった。ないてしまった。
    ーー一日がはじまる。忘れないこと。洗剤を買うこと。乾物の小エビも。昆布も。隣のひとは、きがえて不燃ゴミを出しにいったようだ。はと麦茶をわかして、部屋をあたためよう。洗剤と小エビ、昆布。忘れないこと。忘れないこと。忘れないこと。今日の被災者死亡15839人、行方不明3641人。日出は6・21、日入16・32。日は、さきほどらよりもすこし、高くなってきた。

    忘れないこと。絶対忘れてはいけないあの日の哀しみたち。

著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

川上弘美の作品

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