簡素な生き方

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062202138

作品紹介・あらすじ

100年前にフランスで生まれ、アメリカで100万部を突破した「うつくしい道徳」が、よみがえる。
心を正す、簡素な生活とは? 精神の在り方とは? 人との接し方とは?
今こそ読み直したい、心を正し、簡素に生きるための指針。
フランス・シンプル思考の源流。

○簡素の精神
簡素の本質とは、質素な服、住まい、ほどほどの暮らし、貧乏を指すのではない。
簡素な生活とはシンプルな暮らしではなく、あるがままの自分でいること。
人間の理想は、生活を生活そのものより偉大な宝物に変えること。

○簡素な言葉
新聞をうのみにするな。記者は相食む蛇であり、仲間内で競争をしている。
事実ではなく利益になることを言う人の、単純化された話を信じてはいけない。
美しい言葉は着飾った奉公人のようなもので、奉公人本来の役目を果たさない。

○簡素な義務
偉業に挑んで失敗した時ではなく、単純な義務を怠けたとき、人は魂を失う。
破産して「何一つ失うものはない」というときは、手元に残った破片を拾うこと。
窓ガラスが割れた時、犯人が見つかるまで割れたままにしておくのは愚かなこと。

○簡素な楽しみ
戦場で一瞬、歌を口ずさむ兵士がいるように、困難のさなかにも喜びは見つかる。
喜劇を見て評論する知識人より、大笑いする庶民のほうが、楽しむことの達人。
悲しむ人に合わせて悲しい顔を作るより、その人が一粒の楽しみを見つける手伝いをせよ。

・・・このほか、思想、欲求、ビジネス、人間関係、家庭、センスについて、いかに簡素であるべきかを提示。

***

本書は著者が結婚式でしたスピーチがもととなっている。話に感動した列席者が出版社に勤めており、書籍化を提案。半年後にフランスで刊行された。

ルーズベルト大統領が「私たちが心に銘記すべきことをこれほど多く含んでいる書物は、私の知る限り他にはない」と絶賛したことでアメリカで100万部を超え、ヨーロッパでもさらに広く読まれた。

感想・レビュー・書評

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  •  『簡素』は歴史上、異なる時代の様々な人間が、自分の身を守るために接してきた教訓の一つであるのが、まずもって面白いところですよね。

     マルクス・アウレリウス『自省録』の初頭にも”金持ちの暮らしとは遠くかけはなれた簡素な生活をすること”とあります。古代ローマの末期には、貴族たちが、ご馳走を食べ、満腹になると、他の料理も味わう食べに、自らの喉に手を入れて、食べたものを吐き出してから、新たに食べるという、何とも醜悪な慣習さえあったほどですから。

     本書は生活から、教育、家庭まで、「簡素さ」を軸に、当時の社会に対して警鐘を鳴らすように各章が構成されています。

     「お金があればあるほど必要なものが増える」「生活が贅沢になるにつれて将来への物質的不安が大きくなる」

     これは車の話がしっくりきますね。車を買う。当然車検に入る必要がある。次は駐車場代がかかる。ガソリンを入れなければ走りませんから。ガソリン代も。事故に遭ったら大変ですから、保険に加入して。一つの買い物が雪だるまのように、費用を大きく大きく重ねていきます。

     生活レベルを上げれば上げるほど、費用も一緒に高くなります。シェイクスピアの『リア王』は”おお必要を言うな!如何に賤しい乞食でも、その取るに足らぬ持物の中に、何か余計なものを持っている。自然が必要とする以外の物を禁じてみるがよい、人間の暮らしは畜生同然のみじめなものとなろう”の場面が、象徴的だなぁと思い出しながら読んでいました。

     合わせて思い出したのが、ハリーポッターでおなじみのダドリー坊やの一言。「36?去年は37個ももらったのに!」「あぁしかし去年より大きいのがあるぞ」「大きさなんか関係ないよ!」与え過ぎられた人間がどうなるのかを鋭く喜劇に落とし込んでいますよね。

     しみじみと思うのは人間は「慣れる生き物」だということ。そして、この「慣れ」の機能が何故備わっているのか。遺伝子が望んでいるからではないかと思うのですが、遺伝子の目的は快不快じゃなくて「より生存可能な子孫を残すこと」。模索し続ける遺伝子は常に何か新しいもの、大きな刺激、強い刺激、新たな環境を求めるのではないかと思うので。そのために私たちに搭載されているのが、「もっともっと」と欲しがる「欲」。仏教でいうところの「知足」は人間という生物的には不自然な状態なのかもしれません。

     ひょっとすると、テロメアの長さに限りがあり、命にタイムリミットがあるのも、この変化を強制し、期限があることで、こうした遺伝子の要求に尻を叩かれているのかもしれないですね。

     女性が結婚、出産へのリミットを前に焦るのを見ているとあながち空論ではないのかもと考えさせられます。

    ”物質的な豊かさが増すほど「幸福になる力」をなくす”
     
     マズローの欲求五段階説が、本質を捉えています。私たちは、満たしやすい生理的な欲求から順々に満たして行ってしまうと、次のステージの欲求は、満たしがたい、難易度の高い欲求になっていきます。それにしても、この手のピラミッド型の図を見ると、崖の先端に次第に追いやられて断崖絶壁から落ちていくペンギンを思い浮かべてしまいます。

     その先に待ち受けているのが、魚の沢山取れる、楽園の海なのか。足場を無くし、天敵の海象や海豹、鯱のいる地獄の海なのか。
     
     そこで、行き過ぎを防ぐために守りましょうねと定められたのが、道徳であり、本書では「簡素さ」というわけです。ここに対立する概念として立ちはだかるのが「進歩」です。

     トーマス・マン『魔の山』でセテムブリーニ(進歩主義)とナフタ(反進歩主義)の繰り広げる論戦がまさにここでの対立を物語るのですが、欲求なくして進歩なしという観点からすれば、昨今のSDGSの機運がまさにそれで、地球温暖化を進めたのも、もっと豊かにと社会を突き動かす人々の思念であれば、このままじゃ自分たちが生きていけなくなると、生存を目的に、技術を進歩させる。だから進歩を畏れてはいけないといった趣旨が進歩主義の骨子をなすように感じられます。

     特徴的な主張に
    ”余分な欲求=野心・特権・気まぐれ・肉体的な享楽を得るための戦い、貧困、無知、横暴”
    ”害悪な人々=野心家・悪賢い人・軟弱な人・守銭奴・傲慢な人・気取り屋・寄食者”
    ”善良さの敵=狡猾さ・権利欲・金銭欲・とりわけ忘恩”

     これらが掲げられています。これら総称するとエゴイズムとなり、この利己主義の対局に位置する思想として”共産主義”が掲げられているのが、本書のイズムの特徴となります。

    ”一人ひとりが、両親とほぼ同じ仕事に就き、最初は両親よりつつましい仕事に甘んじながら、それを誠実に果たし、いずれは両親より上を目指していくとき、社会は健全だと言える。”

     システムとして、家父長制度を重んじ、敬老、尊王、敬国を念頭に置いた道徳を基礎づけることを、社会の安定に繋がると言っている点で、共産イズムが多分に盛り込まれています。

     それはさておき、個人が生きる上では、本書が提唱する「簡素さ」は が現代でさらに色濃く求められるようになってきたことに、200年も前予見している点で驚愕です。

     代表格が「ミニマリズム」「モノ商品からコト消費へ」でしょう。消費のスタイルが変わりつつある中で、企業も戦略の変換を迫られていますよね。

     こどもの憧れの職業にYouTuberが名を連ねるのにも、それまでの、警察官や消防士、パイロットなどの勧善懲悪や弱きを助けの精神などの社会通念上、力を得てきた職業の魅力が薄まりつつあるからかもしれません。

     職業の憧れの変化からも、人々の欲がどんな方向に進んでいるかが読み解けないでしょうか。
     
     インフルエンサー、再生回数といった現代特有とも思えるワードに関しても”すべてを見せるどころか見せびらかし、隠されたままでいるものを評価することができなくなり、ものごとの価値をどれぐらい大騒ぎになっているか、どれだけ有名かだけで測ろうとする。”と見事に予見しています。
     
     他人に迷惑をかけることや、危害を加えることで、注意を引き、引いた注意の数だけ、収入が入るという、事件も相次いでいる今日では、人間の価値観そのものが、この名声に限定されているのがなんとも不気味な話ですね。

     隠されたままでいることを評価しないというのも、宣伝費をかければかけただけコンテンツや商品が売れるCMやSNS商戦。食べログに載っている店には行くけれど、地元のお店には入らないようなカップル。地元でもあるサービス、商品を買い求めに渋谷や新宿まで足を延ばす人々。

     ”人間の高邁か本質にかかわる仕事であればあるほど金儲け精神が入り込むと、その仕事は不毛で腐ったものになる”

     この一文は記憶にも新しい2021年の東京オリンピックの開会式がまさにそうでしたね。複雑なスポンサーの思惑に絡まって、当初の演目はコンセプトから実演に至るまで全て塗り替えられ、統一感も、コンセプトもない、カオスな演目になり果てた点が証明してくれました。

     これら個人から、社会まで、「簡素さ」を失って、混乱をきたしている理由を本書は”連帯感と団結心の欠如”とし、”私たちをお互いに分けるもの(権利)は記憶にのこっているのに、私たちを結びつけるもの(義務)は消えてしまう”とし、誰でも自分の付随的資質(自分の社会的身分や地位、職業、学歴、名誉)については強く鋭く覚えているものだが、本質的な資質、どこどこの国で生まれたとか、さらに人間であると言ったことは忘れてしまう”としていました。

     引き合いに出すならば、三島由紀夫『憂国』が描写の目標とした日本人らしさを喪失した現代の日本人への警鐘もそれに当てはまりますよね。身分制度がなくなり、平等と引き換えに失った社会秩序。愛国心がなくなり、信仰、信国の自由と引き換えに失った母国民としてのアイデンティティー。

     母語がないと思考の基盤が形作れないように、母国を無くした人間が大量生産されている現代。当時の先進国だったフランスのぶつかった問題は、先進国となった日本や中国、これから先進国に肩を連ねようとしている国家の間にも等しく発生するように思えます。

     話は飛躍しましたが、一個人の私生活レベルにおいても、本書は実用的に読むことのできる作品ではないでしょうか。

     暴走する物欲や食欲、性欲の裏には必ず、暴走を引き起こしたバランスの欠如が潜んでいます。放置して、慣れてしまえば、本書に指摘される”有名になりたいという熱病””すべてを損失と利益で二分する金儲け主義””主張されるばかりの権利に果たされることのない義務””歯止めのかからない物欲”これらが次々と身体を蝕み転移するガンのように、進行していき、いずれは、自身を滅ぼしますよ、というお話でした。

     一言で言えば「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですね。

     「簡素さ」というテーマをもとに、自身の生活、言葉、思考、日常の小さな義務に関して見直すことのできる一冊です。

  • まだ読み途中ですが、、

    翻訳本なのでところどころ読みづらいなーと思うところもありつつ。

    すっと入ってきたのは"簡素な家庭"の部分。
    最近、家、について考えていた。
    実家に住んでいた団地では自分の部屋はなく、妹と同じ部屋だった。
    大学生になり新しくできたマンションに引っ越した。
    自分の部屋ができたが、特に思い入れのある家具もなく、活動的にも家にいる時間が少なくなった。
    家は居心地がよくなかった。

    実家をでて今の部屋に住んで5年目。
    生活を整えることが大事と実感し、
    部屋を作ることを楽しんでいいんだ、ということを知る。
    居場所が基盤になる。

    これでいいんだなあ、と再確認。

  • タイトル通り物欲や名声などの欲望が過剰となってしまい世の中のシステムが複雑になり人々は幸福になりづらくなってしまった。
    そんな世界で幸せを手にするためには自分の生活様式を簡素にすることが大切だというのが個人的に解釈した内容。
    昨今言われているミニマリストなどに近い考えではあるが本書は多くの欲望を否定しているわけではなく、どんなものでも過剰になってしまうことのない分別が大切だと説く。古来からの日本文化に通じるところもあり非常に美徳のある考え方だ。
    本書の内容は幸福なライフスタイルを考える上で非常に本質的な内容であり参考にするべき考え方は多分にある。
    しかし翻訳のせいなのかいまいち内容が頭に入ってこないし、夢中で読むことができないことが何よりも惜しい。

  • 簡素って言葉、いいな。
    質素倹約に努めているけれど、質素という言葉にちょっと違和感があって、なんとなく貧しいようなイメージがついてくるような。
    それに比べて簡素は(実際辞書で引くとどちらも同じような意味なのだけれど)無駄がないことという感じがしてわたしのイメージにすごく近い。

  • 違う訳者の学術文庫版『簡素な生き方』も同時並行で読んだ。こちらの『簡素な生活』ほうが圧倒的に読みやすい。

  • 考えさせられる1冊でした。

  • 【生き方】簡素な生き方 /シャルル=ヴァグネル/20170510/(43/639) <255/76631>
    ◆きっかけ
    ・タイトルに惹かれて

    ◆感想
    ・1895年に書かれて欧米でミリオンセラーになった名著。タイポではない、「1895年」。
    もともとは、結婚式でシャルル・ヴァグネルのスピーチを聞いた編集者が、頼み込み、スピーチの内容を増強して書籍にしたとのこと。
    それが100年以上経ってもなお、しかも日本においてすら読まれており、100年以上前に書かれたとは思えないほど現代的な意味を持った本。
    ・全体としては、理想的というかきれいごとすぎる面も否めない。ただ、時代がどうであれ、人間は同じようなことで悩み続けているのだなと感じた。

    ◆引用
    ・お金があるほど、必要なものが増える。欲求こそ満足感のハードルを高くする。
    ・欲に仕えていると、欲はどんどん大きくなり、いずれ自分の手に負えなくなる。欲求の奴隷になっていないか。
    ・自由とは「心の掟」に従うこと。簡素になるとは、自分の望みや行動を自分の心の掟と一致させること。
    ・人はパンによってではなく、自信によって生きる
    ・自信をもって生きれば、希望とともに生きられる。希望とは、自信が未来に向けられたときの形。
    ・情報が多いほど分かり合えなくなる。新聞を読むほど謎が深まる
    ・信頼とは、人間が生きていくための資本。
    ・最も偉大なことは、簡素に述べられていることで最大の価値を発揮する。美辞麗句は不要。
    ・恐ろしいときこそ、ほんのちょっとした行動が暗闇のなかの光になるかもしれない。
    ・犯人捜しより問題解決を優先する
    ・不満を言う人は、満ち足りている証拠
    ・不要な贅沢で心が鈍る
    ・永遠になにも生まれてこない砂粒のような仕事か、地面に蒔かれた種のような仕事か。
    ・いちばん美しいのは自分らしい装い
    ・衣も、食も、住も、気晴らしも、なるべく複雑でなく自然なものを
    ・教育は自由な人間を作るべき。そのためには簡素に育てよ。
     ぜいたくなおもちゃ、お祭り騒ぎ、凝った楽しみが多いほど、愉しい思いが少なくなる
    ・喧噪の世間を離れ、谷間に行くと、いかに小川が澄み、森がひそやかで、
     孤独が愉しいかを知って驚く
    ・富をどう所有するかを学ぶ
    ・人への命令は自分への命令(シンプルに命令する人は、いざとなったら自らなんでも行う準備ができており、それを誰も感じる)
    ・知識も権力も預かりものと見なす(人間の所有するものはすべて誰かのおかげ)
    ・教育とは、自由でありながら尊敬の念を抱き、自分自身でありながら同胞への愛ももっている人間を作ること
    ・身の丈にあわない贅沢をさせない
    ・子供を自由な人間に育てたいなら、シンプルに育てる。贅沢なおもちゃやパーティーや洗練された楽しみを与ええるほど、子供は楽しめなくなる。控え目にすること。
    ・子供達を簡素に、厳しく育てる。逞しく鍛え、ときには少し不自由を感じさせる。あまりに安易な生活は、生命力に一種の倦怠感をもたらす。
    ・過去においてだけでなく、毎日の生活においても、何が忘れなければならないことで、何が覚えておかなければならないことかを知っていることが大切。

    ===qte===
    ブック紹介

    『簡素な生き方』
     シャルル・ヴァグネル 著
     山本 知子 訳
     講談社
     2017/02 256p 1,400円(税別)
     原書:La vie simple(1895)

     1.複雑な生き方 La vie compliquee
     2.簡素な精神 L'esprit de simplicite
     3.簡素な考え方 La pensee simple
     4.簡素な言葉 La parole simple
     5.単純な義務 Le devoir simple
     6.簡素な欲求 Les besoins simple
     7.簡素な楽しみ Le plaisir simple
     8.お金と簡素 L'esprit mercenaire et la simplicite
     9.名声と簡素 La reclame et le bien ignore
     10.簡素な家庭 Mondanite et vie d'interieur
     11.簡素な美しさ La beaute simple
     12.簡素な社会 L'orgueil et la simplicite dans les rapports sociau
     13.簡素のための教育 L'education pour la simplicite

    【要旨】私たちを取り巻く環境、世界が以前にも増して複雑化しているのは、
    誰の目からも明らかだろう。膨大な情報、多様な価値観が入り乱れ、変化も
    激しい現代社会で、本来の「人間らしさ」を取り戻すのは困難のようにみえ
    る。日本で「断捨離」がブームになっているのに、そうした背景があるのは
    確かだろう。本書は、1895年にフランスで刊行され、欧米でミリオンセラー
    となった「La vie simple」の邦訳。当時の欧米では、産業革命後の工業化に
    より、社会全体としては豊かになる一方で、貧富の差が広がりつつあった。
    現代と似たところもある激動の時代にあって著者は、人間らしさとは「簡素
    な生き方」「簡素な精神」にあるとし、物質的な豊かさやそれに伴う虚栄心
    や権威欲、傲慢さや野心などにとらわれない「善き人間」になるための考え
    方を説いている。著者のシャルル・ヴァグネル(1852-1918)はフランスの教
    育家、宗教家で、近代フランス初等教育を宗教から独立させ、無月謝の義務
    教育として確立させた功績でも知られる。
      ------------------------------------------------------------

    ●絵画の「額」ばかりを磨いていてはいけない

     ゆりかごから墓場まで、現代人ははてしない複雑さにがんじがらめになっ
    ています。複雑な欲求、複雑な楽しみ、世界や自分自身のとらえ方も複雑で
    す。考えたり、行動したり、楽しんだりすることも、そして死ぬことさえ、
    もはや複雑でないことなど何ひとつありません。私たちは自らの手で人生を
    複雑な問題だらけにして、楽しみを取り去ってしまったのです。

     いまや世界じゅうで、「お金があればあるほど必要なものも増えていく」
    という現象が起きています。「何を食べよう? 何を飲もう? 何を着よう?」。
    そんなふうに考えるのは、貧しくて明日の食べ物や住まいに不安を抱えてい
    る人だけだと思うのは大間違いです。

     自分が持っているものに対する満足感は、持っていないものへの執着によっ
    て驚くほどかき乱されます。ドレスを一着しか持っていなければ、「明日何
    を着よう?」と迷うことはないでしょう。必要最低限の食べ物しか手元にな
    ければ、明日の献立に悩みません。つまり、欲求こそが満足感のハードルを
    高くするという法則が成り立つのです。

     私たちは、社会の進歩を妨げる誤りに光を当てて、改善策を見つけなけれ
    ばなりません。その誤りとは、「人間はうわべの充足感が増せばより幸せに
    なり、より善き者となる」という考え方です。

     人間は、物質的な豊かさが増せば増すほど、幸福になる能力が低くなり品
    位も落ちていくことが、数々の例によって証明されています。文明の価値は、
    その中心にいる人間の価値で決まるものです。人間が道徳の方向性を失うと、
    どんな進歩も私たちの間に蔓延している病を悪化させるだけとなり、社会的
    な問題をいっそう複雑にしてしまいます。

     掟というと、まずは人間同士、つまり外的な掟が思い浮かびますが、それ
    はまた、一人ひとりの内面の掟にもなります。自分の心のなかの掟を自覚し
    て大切にする人は、その掟にしたがいます。すると、自由に生きるのにふさ
    わしい存在となります。自分の心の掟に導かれると、もはや権威を振りかざ
    した外的な掟のもとでは生きられなくなります。

     自由、それは心のなかの掟にしたがうことです。ただし、意味がある自由、
    価値のある自由でなければなりません。そうでないと人間は社会生活を送る
    ことができず、規律がないためにわがまま放題になり、国全体が衆愚政治の
    カオスに陥ってしまうでしょう。

     私たちの生活を混乱させ複雑にする要因の一つひとつに名前を付けて並べ
    たら、さぞや長いリストになるでしょう。しかし、すべてはたったひとつの
    原因に集約できます。それは、「本質的なものと余計なものが入り混じって
    いる」ことです。充足感も教育も自由も、すなわち「文明」と呼ばれるもの
    はすべて、絵画を飾る額のようなものです。額が絵画をつくるわけではあり
    ません。ここで言う「絵画」とは、意識や性格や意志をもった人間を意味し
    ます。

     額を手入れしてきれいにしている間は、ついつい絵のことを忘れ、絵をな
    いがしろにして、ときには傷めてしまいます。だからこそ表面的には豊かで
    あっても、精神生活はみじめなのです。自分の上にあまり意味のないものば
    かりが降り注ぎ、それが積もり積もって、ついには空気と光を奪われて窒息
    してしまうのです。

     良いランプとはどんなものでしょうか? それは、豪華な飾りのあるラン
    プでも、手のこんだ彫刻が施されたランプでも、高価な金属でできたランプ
    でもありません。良いランプとは、明るく照らすランプです。同じように、
    財の大きさや楽しみの数、芸術的教養や名誉や自立性といったものが、善き
    人間をつくるわけではありません。精神的な強さが人間をつくるのです。


    ●望みや行動を自分の心の掟と一致させることで簡素になれる

     簡素と簡素に見える状態は同じではないのです。たとえば、道で三人の男
    に出会ったとします。ひとりは車に乗っていて、ひとりは靴を履いていて、
    ひとりは裸足です。「このなかでいちばん簡素に生きている人は誰か?」

     答えは、必ずしも裸足の男とは限りません。車に乗っている人は最も贅沢
    な状況にいながら簡素であり、富を持っていても富の奴隷ではないかもしれ
    ません。同じように、靴を履いている人は車に乗っている人をうらやましい
    と思わず、裸足の人を軽蔑しないかもしれません。さらに、ぼろをまとって
    足がほこりまみれでも、裸足の人は簡素な生き方や仕事や節度を憎み、楽な
    暮らしと享楽と無為だけを夢見ているかもしれません。

     身なりだけではなく、その人の心を見ないかぎり、何もわからないものな
    のです。どんなライフスタイルでも、どんな社会的地位でも、身分が低かろ
    うが高かろうが、簡素な人とそうでない人がいます。

     簡素とは、私たちの行動の動機となる意志のなかに存在します。自分があ
    るべき姿になろうとしているとき、つまり、まぎれもなく人間でありたいと
    考えているとき、その人は簡素です。簡素になるとは、自分の望みや行動を
    自分の心の掟と一致させることです。

     どんな社会的状況であれ、生まれつきの才能がどうであれ、誰でも真の生
    き方を実現することができます。人生の価値をつくりだすのは個人的な特権
    や財産ではなく、「そこから何が引きだされるのか」が大切なのです。

     混沌から始まり、試行錯誤しながら自分自身を探し求め、しかもしばしば
    間違いを犯します。それでも必死に歩み、自分の行動を真摯に見直すことに
    よって、人生をよりはっきりと理解できるようになります。そこにあるもの
    こそ、掟なのです。「自分の使命を果たす」という掟です。この掟以外のこ
    とに心を奪われると、私たちは自分自身の存在理由を失います。エゴイスト、
    享楽主義者、野心家になってしまいます。

     私たちは、実り多く簡素で、しかも人間の生涯に適した考え方をもつため
    の最良の方法を探しています。その方法はこのひと言に集約されます。「自
    信をもち、希望をもち、善良であれ」


    ●権威を行使する者はすべての人の頭上にある掟に従うべき

     権力を行使する者の第一の義務は「謙虚である」ことも、あまりに忘れら
    れています。尊大になることが権威ではありません。掟をつくることも権威
    者の仕事ではありません。掟はすべての人の頭上にあるもので、権威者はそ
    れを解釈する役割を果たすにすぎません。その掟の価値を他の人に知らしめ
    るには、まずは権威者がその掟にしたがわなければなりません。

     人間の労働には、貨幣では評価できない要素があります。仕事をしてその
    報酬を受け取れるなら、それに越したことはありません。けれども、その労
    働をしている間、報酬のことしか頭にないのなら最悪です。報酬のためだけ
    に働く人はたいした仕事はできません。お金儲けしか頭にない医者に、命は
    預けられません。子どもの教育者として、お金しか愛せないのは悪い教師で
    す。お金目当てのジャーナリストにどんな価値があるでしょう? 人間の高
    邁な本質にかかわる仕事であればあるほど、金儲け精神が入りこむと、その
    仕事は不毛で腐ったものになるのです。

     二人の男が同じ力や同じ身体の動きで同じ仕事にとりかかっても、結果は
    違うものになります。片方の男は金儲け精神をもち、もう一人の男は簡素な
    魂をもっています。二人とも報酬を受け取りますが、前者の仕事は、そこか
    ら永遠に何も生まれてこない砂粒のようなものです。後者の仕事は地面に蒔
    かれた種のようなもので、やがて芽が出て収穫物を生みだします。

    コメント: 何か行動を起こす時や判断を下す際に、常に「本質はどこにあ
    るのか」を考えるクセをつけることが、「簡素な生き方」を実践する最大の
    コツなのではないか。どんな時も「自分は額(がく)にばかりとらわれて肝
    心の絵画をおろそかにしていないか」「ランプの装飾に気を取られてどうやっ
    て明るく光らせるかを考えるのを忘れていないか」など、本書のたとえを思
    い出しながら自問自答してみてはどうだろうか。また、本書では「掟」と表
    現されているものは「思考の軸」と言い換えられるだろう。自分の中に軸が
    あれば、情報過多で混乱しがちな思考を整理し「簡素」にできる。軸からど
    のくらい離れているかを見定めることで、シンプルに冷静な判断ができるの
    ではないだろうか。

    ===unqte===

  • 世界を救済するためには、策を弄する数年間より、誠実な一時間の方がはるかに意味があるのです。

  • 【モノを捨てよう!という書籍ではありません。肩書や執着・現状などの思考を捨てて、今一度、丁寧に生活してみましょうという本でした】
    定価:1,400 円+税
    独自キーワード:#品行方正 #簡素 #人間の価値 #シンプル #生き方
    こんな時に読みたい:#細かな理屈抜きであるべき生き方を提示されたい #力強く進むべき指針を教えてもらいたい
    好き度:3.0/5(22年 05月時点)

    ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
    [刺さったポイント]
    1.日常の小さな行動にも魂を込めれば、それは芸術・幸せの道へと昇華する
    2.「師匠の訓え」のような力強い文章
    3.(お金などへの)執着を捨てる
    ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

    1.品行方正に生き、日常の小さな行動にも魂を込めれば、それは芸術・幸せの道へと昇華する
     ・「簡素な生き方」というタイトルから、昨今のものを捨てよう!いざミニマリスト生活へ!の道しるべのような内容を想像していましたが、全然違いました

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著者プロフィール

フランスの教育家、宗教家。1852~1918年。プロテスタントの牧師を経て「たましいの故郷」という寺院を創立。社会教育、初等教育の発展に貢献。近代フランス初等教育を宗教から独立させ、無月謝の義務教育として確立させた。著書に『正義』『青春』『剛毅』『生きるすべを学ぶために』など。

「2017年 『簡素な生き方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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