- Amazon.co.jp ・本 (329ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062659284
感想・レビュー・書評
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多分、西洋的な形而上学批判をしているのだろうけど、文章を読んでも、一体、何をいっているのか全く分からない。ということで、敬遠してきたデリダ。
なのだが、最近、自分がいろいろ考えていることを哲学的にはどういう事かと一言で言うならば「心の暗黙の前提となっているプラトン主義からの離脱」かなー、と思い、それなら、きっと苦手なデリダさんも役に立つかもしれない。という気になった。
が、デリダ本人の本は、難しいので、解説書からスタートすることとする。(通常、私は、解説書なしで、まずは本人の書いたものを読むことを大切にしているのだけど)
で、驚いた。なんだ、こういう人だったのか!こういうことを言っていたのか!目から鱗が落ちまくった。
「プラトンのパルマケイアー」なる論文でのプラトンの解釈とか、本当にスリリングだし、脱構築は、なんでもかんでも非決定にしてしまうことが目的ではなくて、「決定不能ななかで決定すること」やその責任とか、正義といった問題に向かっているというところは、すごく自分の問題意識にジャストフィットであった。
つまり、「法は脱構築可能だが、正義は脱構築不能。脱構築は正義だ。それは、他者の声、死者や未来の人も含めた他者の声を受け入れ、決定不能であることをしっかり意識しながら選択を行うこと。つまり、来るべき民主主義に向かっての運動なのだ!」って、ことなのか?????
こうした単純化(=形而上学化)された思考こそ、脱構築されるべきものなのだろうが、とりあえず、そういうふうに理解してみた。
ついでに、最近読んだスピヴァクの「サバルタンは語る事ができるか」の問題意識のありようもよく分かった。(スピヴァクは、かなりストレートなデリダ派なのね。マルクスの絡ませ方まで含めて)
もう一つついでに、直前に読んだ中沢新一氏の「対称性人類学」が、贈与論や形而上学批判を中心に、多くのアイディアをデリダから持ってきている事も発見した。(が、中沢氏は、デリダへの言及はあまりしていない。。。もちろん、形而上学批判は、デリダに限定されたものではないし、デリダの贈与論もバタイユをベースにしていて、中沢氏もバタイユには言及しているから、良いと言えば良いけど。。。)
しばらく、デリダ関係を勉強してみることとする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難解なデリダということで読む前は萎縮していたが、噂通りの読みやすさに驚いた。文庫化されるだけある。「幽霊」の概念に興味を持った。デリダのプラトンの読みに関心があるので、『散種』を読みたい。
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デジタルペンを購入しました。楽しみです。図書館でのメモ作成に困っていました。問題は、どれくらいの性能なのかという点です。文字入力の道具として有効なのかという点です。PDAは文字認識という点では優れものでした。はたしてどうなるでしょう。地元の図書館で読む。予想外に面白かったです。正直、期待していませんでした。「書かれたもの」と「話されたもの」が違う。どこが違うのだろう。「書かれたもの」は誰に対しても同じである。その人のレベルは考慮されない。その人の関心は考慮されない。それに対して、「話されたもの」は異なる。相手のレベルは考慮される。相手の関心を考慮できる。それは、知識のありかたを大きく変化させる。正しい気がします。