江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実 (講談社+α新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062724791

作品紹介・あらすじ

時代劇で見る江戸の町は嘘ばっかり!武士も町人も不倫三昧!斬捨御免も金で解決!鬼平はワーキングプア、派遣社員が町に溢れ、大奥の年間維持費600億円が江戸の現実!本当の江戸がわかる一冊。

感想・レビュー・書評

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  •  企業でTOEIC何点以上を取らないと…などと言ってバイリンガル養成に躍起になっている。江戸時代にもバイリンガルが重宝されていたとあって驚いた。どうしてかというと、現代のように標準語を使った国語教育がなされていなかったので、意思の疎通を図るのに苦労した。方言が理解できる江戸っ子は儲かったそうだ。

     男たちが浮世絵好きだった理由が意外なところにあって、驚いた。江戸時代の人のエロティシズムは、現代とはかなり異なっていたとあり、「女性の表情、足の指先の表現、波うつ着物が女性の肉体の震えを表現し、流れる着物の裾がとろけるような交合の快美を物語る」のがよかったとある。見えないだけに萌え方が現代とは相当違うところにあるのが面白い。
     
     そんな純情な(?)江戸時代の人が、現代に来たらかなり驚くだろう。電車の中吊り広告には水着姿の女性の写真はあるし、プレイボーイのような雑誌なんて見たら失神するのではないかと思う。

     本を読んでいるといつの世にもバカ息子はいるものだなあと思う。しかもただのバカ息子ではなく、権力者の大バカ息子だ。その名は、松平斉宣(なりこと)。播州明石10万石の当主。元は、あの徳川将軍11代目の家斉の25番目の息子だった。その親の七光り息子は、幕府に所領のうち5万石を献上して、その代わりに「参勤道中斬捨御免」の許可をもらったとある。要するに、庶民が行列を横切ったら切り捨てることだ。かなり頭のネジが緩んだ御仁だ。その後、行列を横切ろうとした幼児を取り押さえて、切り捨てた。しかし切り捨てた場所が、あの尾張徳川家の領地である中山道の木曽路で、尾張徳川家は、幼児を殺すとは何事かということで、「今後、当家の領土を通行御無用」と通行禁止を言い渡されてしまった。

     それでは、馬と鹿のn乗殿様はどうしたかというと、参勤交代ができないと困るので中山道を変装してこそこそと通り過ぎようとしたが、殺された幼児の親が猟師で恨んでいたために、殺されたとある。葵の紋どころはなくても悪は成敗されることがあるのだな。この父親がどうなったか気になるが、著者は何もこの点については言及されていないので分からない。

     ところで、なぜ、大正時代になって江戸の歴史がねじ曲げられたのか気になる方もいるだろう。その理由は、明治維新以来の「欧化政策」によって、江戸時代のものはいけませんとなり、歌舞伎、文芸、落語などで江戸時代にまつわるものを排除させた。

     江戸時代がまたもてはやされる頃になると、江戸時代の実情を知る人がいなくなっていったので、現代の時代劇で見られるような形になった。たとえば、座布団を座っている大名を時代劇では見かけるが、実際は、江戸城で使用していたのは、将軍と御三家のみで、ほかの人は許されていなかったとあり、そうなのかと思った。時代劇で将軍や大名を演じる役者の方々は、虚構のおかげで脚の痛さが軽減されている。

     このほかにもいろいろなことが書かれていて面白い。

  • 江戸時代考証本。へえーへえー!と言いながら読んだ。結構知らない事が書いてあって面白かった。ただこれは江戸時代全体の事が書いてあるので幕末には当てはまらない事も多い。
    私としては引用文献が本文に付いてたら良かったなと。

  • 【目次】(「BOOK」データベースより)
    第1章 これが本当の江戸庶民の生活/第2章 ビジネスに行政ーこれが本当の江戸社会/第3章 嘘かまことかーこれが江戸の現実/第4章 時代劇の英雄たちの現実/第5章 江戸の歳時記の現実/第6章 関東平野に残る江戸の現実

  • 明治政府は「反逆」「反抗」「革命」「無頼」「刀」などを過敏なほど嫌った(7)
    四民平等、文明開化は、江戸時代を一掃する狙いだった(8)
    1文は47.6円相当。長屋の家賃は400文(19千円)、表店は5倍から10倍(95千円から190千円)(29)
    ペリーに随行したシュリーマンによると「江戸の娼婦は10万人」(31)
    徳川吉宗の治世まで、江戸の男女比は3:1だった(32)
    英タイモン・スクリーチによると、浮世絵は「左手で読む絵」(35)
    女性の着物はインテリアにもなった(36)
    「年季者」とは、親方に年季や修行の内容などを誓約した「年季証文」を入れて、徒弟修業する者のこと。「年季を入れる」とは、親方の人別(戸籍)にハイって、衣食を与えられながら修業をすること(57)
    男子実子相続は少なかった。三井大阪別家によると、実子相続は51件中12件で39件は養子だった(59)
    ーどうりで、若旦那は、ダメなわけだ。
    需要を喚起するため、町奉行が命じて、火事を起こしていた(74)
    「生類憐みの令」は動物の飼育責任を問うた最初の法律(78)
    幼君への性教育。『秘事作法』(岡山藩元後中臈の秀麗尼の作)によると、女中は幼君の性器を鍛える任務があった。センズリのみならず筆下ろしもしていた(135)
    初詣は昭和に始まった(146)
    年貢の納入は旧暦の10月から2月(3月)まで。これがきっかけとなり、江戸時代の会計は4月1日をもって新しい年度とした(152)

  • 作者はサブカルチャーの本などを書いているようで、全部が全部本当かな?と疑う気持ちもあるものの、単純んいへええと楽しめた。

    明治維新以後、政府は脱江戸政策をとっていたので、明治の人達は近代化に忙しかった。平和な対象の時代になって、いざ江戸時代の芝居をしようと思っても、その頃には本当の江戸時代を知っている人がいなくなっていた。だからいわゆる時代劇の定番、浪人が悪をやっつけたり、お代官様と証人が手を組んで悪さをしたり。。。なんていうのは実はすべて西部劇を元に作られていた。本当の江戸時代は治安も結構しっかりしたいたし、刀でやりあうなんて事は滅多になかったようだ。

    他にも江戸時代の町人や武士、大名にいたるまでの当時の暮らしぶりなどが面白かった。下ネタもかなり書かれている。

  • タイトルに即した内容って、結局ちゃんばらの由来とか、限られた部分だけだった気はするけど、それはさておき内容としては、なかなかに興味深いものも多かった。生類憐みの令の解釈とか、老中と大奥の関係性とか、教科書とは違った観点も味わえたし。総評としては、期待以上でも以下でもない感じでした。

  • 江戸時代というと、チャンバラ映画や士農工商といった身分制度のひどい時代と思われるが、それは対抗する明治政府が作った虚像にすぎない。200年以上続いた平和な時代は徳川政府によって作られたもの、日本の歴史の中で一番長く続いたことは伊達ではないはずです。

  • 造られた情報が真実だと
    信じ込まされる一例。
    (この本の内容が真実なら)

    文章はあまり見かけない
    語彙が使われているので読み
    にくい部分もありますが、
    雑学としては、役になる部分も
    多かったですね。

  • トレビア本
    時代劇で語られる江戸時代が嘘ばかりという良くある主題の本である。
    まあ、へーっと感心させられる部分が多く面白くはある本ですが、なんと言っても構成がひどい。いろんなトピックスを思うがままに書いただけという感じが否めない。特に終末部は何のオチもなくまとめもなくいきなりトピックスで終わっているのである。因みに最後のトピックスは幕末の慰安婦外交とハーフの運命って、日本という国は見境なく慰安婦を造り出すのか(^^ゞ

    一番判らないのは「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」というタイトル。本編のどこを読んでもそんな事は書かれていないような気がするのだが、読み落としかしら(^^ゞ

    軽く読み流すには良い本かも

  • チェック項目18箇所。明治政府は「反逆」「反抗」「革命」「無頼」「刀」「剣戟」などを過敏といえるほど嫌い、禁圧しました、三百年近い徳川幕府を倒して明治維新政権を樹立したのですが、それだけに「反逆」「反抗」「革命」「無頼」「刀」の力を恐れました、武士の行動原理と文化を極端に否定したのです。明治4年(1871)には「散髪脱刀令」を発して、髷を落とし、帯刀の習慣をなくそうと試みています、また明治9年(1876)には「廃刀令」を公布して、軍人、警官以外の帯刀を全面禁止しました。明治の後半まで「江戸の世が懐かしい」とでもいえば、危険思想の持ち主とされたのです、時代小説、時代劇が作られる頃は、明治生まれの人々の世になっていました。武家は一人で歩くことはなく、必ず中間に挟箱を担がせるなどして、従者を連れていた、町人は将軍、御三家、御三卿ぐらいには土下座をしたが、それ以外は、道の左右に避けて済ませた、武家が上司と出会ったときは、小走りにより、地面に片膝を付けて挨拶した。庄司甚内は公許の遊郭設置が必要な理由を①家業を怠り浪費する者を、遊女は何日はも泊める、②遊女の家は、浪人その他の不穏分子の溜まり場になる、③人身売買、誘拐など不埒な遊女稼業の者がいる。地獄……「地女の極上」の略である、地女とは、遊女に対して素人の町屋の女の意味で、御家人の妻の身分を隠して、裏長屋を借りた「地獄宿」に通って「つゆ稼ぎ」をしたのだろう、地女の極上だから、それなりの値段がしたに違いない、家主の監視を潜っての地獄宿も、そうとう危険な商売であった。女性の晴れ着は、基本的に畳みの上で艶やかに見えるようにデザインされていた、そのため室内ではひときわ生彩を放つので、インテリアになり得た。江戸時代の人々の性感覚は、今日からは想像するのが難しい、男にとっては妻は子孫を残す相手であり、恋愛は遊女を相手にする遊びだった、江戸時代の中期後半までは、性は子孫繁栄と遊びに峻別されていたのである、妻への義理さえ立てば、妻は悋気(嫉妬)はしない、朝帰りと妾は男の甲斐性の時代である。夜鷹(ヨタカ)……夜になると仮小屋を作ったり、川の土手や橋の下などで体を売った遊女、船饅頭……江戸は水路が巡らされた水の都市、船の中で売春をする女性のこと。家主は、三年燃えなければ元が取れる安普請(粗雑な作り)にしたので、この建築感覚が後々まで地震大国日本に大きな被害をもたらすことにもなった。年表を見ると大火は、景気低迷の時代に起きている。「生類憐れみの令」の意外な効果……人間も生類に含まれていて、「捨て子捨て病人」を禁止した、道中保護令も出て瀕死の旅人の救護も命じられたが、それまでは知らぬふりをされていた、「人や動物を殺す」「人や動物が死ぬ」ことを何とも思わない風潮を止めたのが「生類憐みの令」である。尾張藩……「生類憐れみの令」の15年前には9歳の林徳之助が2歳年上の川口三平を斬り、自分は自害した、9歳と11歳の殺し合いである、翌年は14歳の少年が斬り合って、互いに絶命するまで戦っている。時代劇で「面を上げぃ」というが、将軍はもとより上位の人の前では相手の顔を見ないのが作法だ、そのせいで近代になっても日本人は、相手の目を見て話さなかったという。学問が道楽か実学か区別のつかないところが江戸の時代を支えた、ところが時代が下るほど、武士は道楽として学問を楽しむ人が少なくなる、出世のための学問の時代である。「秘事作法」によれば、御殿女中には、幼君の性器を鍛える任務があった。凧揚げには天と人とを繋ぐ意味があり、将軍の凧揚げも天上と天下をを繋ぐ絆を再確認する行事だった。

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著者プロフィール

古川愛哲(ふるかわ・あいてつ)

 1949年、神奈川県に生まれる。歴史資料収集家。日本大学芸術学部映画学科で映画理論を専攻したあと放送作家として活躍。同時に、東西の歴史や民俗学をはじめ「人間とは何か」を追求。また、世界の映画大学ともいえる「国際学生映画祭」の創設に加わり、新しい視点から芸術をバックアップする。
 著書にはベストセラーになった『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた』『九代将軍は女だった!』『江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた』『坂本龍馬を英雄にした男 大久保一翁』『悪代官は実はヒーローだった江戸の歴史』『原爆投下は予告されていた』(以上、講談社)などがある。

「2017年 『西郷隆盛の冤罪 明治維新の大誤解』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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