ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.54
  • (10)
  • (23)
  • (22)
  • (7)
  • (1)
本棚登録 : 293
感想 : 33
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882972

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 今回もすっごく攻撃的。
    裁判官の発言に「それってどうなの」と思うことが時々あっても、それは弁護士に対してだって思うことも、検察官に対してだって思うこともあるし、ほかの職種の人に思うことだってあるし、「裁判官」でひとくくりにすることが適切かはわからない。ただその与える影響の大きさについては、常に、裁判官も、意識していなくてはならないと思う。
    筆者は「絶望の裁判所」に対して裁判所からの反論がなかったことをしきりに言ってるけども、「大多数はこうなのだ」という決めつけに対して反論するのは、論理的に困難な気が…。「そんなことないよー自分や周りはそんなことなくがんばってるよー」って各自言えばいいのか?

  • 裁判における問題点が書かれてある。

    途中で興味が失せ、読むのを止めた。、

  • 2014年に同じ講談社現代新書で『絶望の裁判所』を発表した、元東京地裁、最高裁の民事系の裁判官による著作。
    前著が、裁判所や裁判官制度のような制度面の問題を取り上げていたのに対し、本書では、裁判そのもののあり方について論じられている。
    本書で著者は、
    ◆裁判においては、裁判官による「判断」が先にあり、その判断の後付けによる検証、説明、正当化として「判決」が存在する。人間の一般的な思考は、まず結論があって後からその検証、理屈付けが行われるのであり、裁判の場合もその例外ではない。
    ◆法的判断は、法をその枠組みとしながらも、本質的には、裁判官の個人的な価値選択・判断であり、その全人格の反映である。即ち、裁判官の価値観により判決は大きく異なり得るのであり、裁判官が「法」を作るとさえ言える。
    ◆日本では、容易な身柄の拘束と密室における過酷な取り調べ、捜査・起訴等に関する強大な検察の権限とそれをチェックする適切な仕組みの不在、被疑者・被告人に対する一般の人々の無関心などが相俟って、冤罪が構造的に作り出されてきた。また、有罪率99.9%という実績が、裁判官に無罪判決を下すことを躊躇させている。
    ◆最高裁判所事務総局は、下級審の裁判内容をコントロールしている。原告泣かせと言われた名誉棄損損害賠償請求は、政治家の圧力によりメディア等の被告の敗訴率が高まった。原発の運転差止め訴訟については、同事務総局は極めて露骨な却下、棄却誘導工作を行っていた。
    ◆日本の裁判官の多くは「裁判を行っている官僚」であり、行政訴訟の勝訴率の低さ、憲法訴訟の扱いを見ると、裁判所は国民支配のための道具・装置であるとさえ言える。
    ◆民事裁判の有力な解決方法である和解について、日本では、欧米諸国と異なる交互面接型で行われるため、裁判官により和解を強要されるケースが少なくなく、国際標準から大きく外れている。
    などと述べ、袴田事件、恵庭OL殺人事件などの具体的な事件についても詳しく解説している。
    日頃各種報道で様々な裁判に関わる事件・事象を目にしつつも、その判決の内容や背景を深く掘り下げて考えるための材料を持たなかったが、本書により、最終的な判断を下す裁判官の思考・判断の構造と、裁判の類型毎の特性や背景を網羅的に掴むことができ、今後の報道の受け取り方の一つのベースができたと思う。
    それにしても、“法的判断は裁判官の全人格の反映である”という考えは、重みがあり、恐ろしくもある。
    人が人を裁けるのか。。。司法の持つ根源的なテーマを改めて考えてしまう。
    (2015年1月了)

  • 明日はあなたも殺人犯!!という帯の文句はおおげさだとしても、日本の司法はかなり駄目になっているようだ。
    学生の頃、憲法の授業で統治行為論を習ったが、そのとき肝心のことに答えない歯痒い理論だと感じた。行政法を学んだときは、行政訴訟だと大抵行政側が勝ち、やけに門前払い判決が多いのだなと思った。そのときはあまり深く考えもしなかったが、こういうことなのねとこの本を読んで改めて思った。
    この本を読んで、裁判官には刑事系と民事系があること、最高裁長官は右の人が多かったことをはじめて知った。
    わりとためになる本だった。

  • 「絶望の-」とは違い、個別の判例を中心に批判を展開している。こっちの方が受けそうだが、タイトルのインパクトが落ちてしまった。

  • 読み終わった、としたが、最後まで読むのは辛いので止めたというのが本当のところ。あまりにも酷い話が続々出てきて、現行のシステムを根本から再構築しないと、正義は行なえないと思ってしまう。ナントカしなくちゃいけないね。

  • 昨年読んだ、無罪請負人刑事弁護とは何か? (http://mogura7.zenno.info/~et/xoops/modules/amaxoop2/article.php?lid=5892
    あたりから日本の司法が心配になってきて、その一貫で購入した本。上の著作も引用されていた。

    前著に「絶望の裁判所」があるそうで、その姉妹本ともなる本書。元エリート裁判官による、暴露本といっていいような内容なんだが、前著で批判の的となった司法の側が、何ら反論もせず頬被りを決め込んでいるという。

    大多数の国民にとって、縁のない世界ですが、ここまでひどいものとは思いもよりませんでした。やっぱ、国民が・・・というよりもその前に、これを報じるマスコミに頑張ってもらわねばと感じました。

    (2015/5/28)

  • 元裁判官が明かす、日本の司法の実態。それにしても酷すぎますね、最高裁判所事務局官僚。権力の犬、手先と化してしまっています。そら鬱病になってしまう裁判官は当然出て来るでしょう。マインドコントロールされてしまって、事なかれ主義に走り、それはそれでよしとする裁判官の絶対数は増えるばかりでしょう。日本の正義を司る最高裁判所は先進諸国からバカにされても仕方ないですが、冤罪、そして、正義の裁判を受けられない日本国民はたまったものではありません(涙)

  • 【目次】
    はしがき――ニッポンの裁判 003

    第1章 裁判官はいかに判決を下すのか?――その判断構造の実際 015


    第2章 裁判官が「法」をつくる――裁判官の価値観によって全く異なりうる判決の内容 041


    第3章 明日はあなたも殺人犯、国賊――冤罪と国策捜査の恐怖 065
    3.1 国家による犯罪であり殺人である冤罪 066
    3.2 民主主義国家の理念と基本原則に反する国策捜査 109
    3.3 あなたが裁判員となった場合には 118

    第4章 裁判をコントロールする最高裁判所事務総局――統制されていた名誉毀損訴訟、原発訴訟 127
    4.1 政治家たちの圧力で一変した名誉棄損損害賠償請求訴訟 128
    4.2 統制されていた原発訴訟 138

    第5章 統治と支配の手段としての官僚裁判――これでも「民主主義国家の司法」と呼べるのか? 159
    5.1 「超」絶望の行政訴訟 160
    5.2 そのほかの訴訟類型 188
    5.3 裁判の質の信じられない劣化 201

    第6章 和解のテクニックは騙しと脅しのテクニック?――国際標準から外れた日本の和解とその裏側 213


    第7章 株式会社ジャスティスの悲惨な現状 233

    第8章 裁判官の孤独と憂鬱 267


    あとがき――宇宙船と竹刀 308

  • 昨年話題になった「絶望の裁判所」の姉妹書。
    その「絶望ー」は読んでいないのですが、本書でも語られるニッポンの裁判の現実は、かなり「絶望」的に感じられます。
    以前から酷いのは漠然とはわかっていたが、改めて事細かに示されると、少々げんなりします。
    いったいどうすればいいのだろう?
    とりあえず、そのうち「絶望ー」も読んでみます。

全33件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年から裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)『民事裁判入門』(いずれも講談社現代新書)、『檻の中の裁判官』(角川新書)、『リベラルアーツの学び方』『究極の独学術』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社文庫)、また、専門書として、『民事訴訟法』『民事保全法』『民事訴訟の本質と諸相』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(いずれも日本評論社)、『民事裁判実務と理論の架橋』(判例タイムズ社)等がある。

「2023年 『我が身を守る法律知識』 で使われていた紹介文から引用しています。」

瀬木比呂志の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×