- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062910064
作品紹介・あらすじ
海がある。山がある。川がある。すべての人々に真実を伝えたい。流罪の地・越後へ向かった親鸞は、異様な集団の動きに巻きこまれる。累計100万部突破の、前作『親鸞』につらなる超大作。
感想・レビュー・書評
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この一月に単行本が出たばかりであるが、読者モニターでいち早く読ませてもらった。
激動篇では、親鸞の壮年時代を描く。35歳の時に越後に流罪になったあと、むしろそれからが親鸞の思想が花開くときだったようだ。
関東常陸の国へ足場を移し、念仏の教えを広めていたとき、弁円という修験者が親鸞の暗殺に赴く。
弁円は親鸞のかおをまっすぐ見ていった。
「われらは山中修験の功徳を世間の人びとに伝えて生きている。病気平癒を祈り、家内安全、五穀豊穣を願う。そのための呪文と、そなたたちの念仏と、どこが違うのだ」
「われらがとなえている念仏とは、依頼祈願の念仏ではない。阿弥陀さま、おすくいください、と念仏するのではないのだ」親鸞の言葉に弁円は戸惑いを覚える。
「われらの念仏とは、自分がすでにして救われた身だと気づいたとき、思わず知らず口からこぼれでる念仏なのだ」
おそらく親鸞の「革新」とは、かつてそして今でも日本人に根付いている「現世利益」を徹底的に否定し、純粋な阿弥陀信仰を追い求めていった処にあるのだろう。坊さんの頭の中にでは無く、それを日常生活の中にひろめて行くのは、どうしたのか。五木版「親鸞」は、それを哲学書では無く、エンターテイメントで描き切った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
親鸞激動編。30〜60歳くらいの親鸞。親鸞ですら、こんなに悩んで右往左往してるのかと知ると、俺ごときは何をか言わんやだ、と思う。おお、これが念仏力か。甘えと紙一重。
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2012/8読了
読みやすくて良かった。自力の念仏と他力の念仏がなんとなく理解できた。南無阿弥陀仏。救いを求めて、自然と言ってしまう他力の念仏。唱えれば誰でも救われるとはいえ、そこまで信仰を自分の中心におくということだろう。
自ら雑念が多く、苦悩する親鸞に共感できる。 -
2023/4/15
漫画みたい。 -
前作同様、冒険小説のようなシーンが折々展開する。特に下巻の緊迫したシーンはアクション映画さながら(笑)
しかし、これらのシーンも含め、前作以上に、特に法然上人没後の布教に対する親鸞自身の迷いが、民との問答、恵信とのやりとりなどに臨場感をもって表現されており、物語に引き込まれていく。
やはり面白い! -
越後に流刑になった親鸞は外道院との出会い、国司、郡司の対立など色々な経験を経ながら自身の宗教的経験、念仏と向き合っている
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なぜだか、冒険活劇みたいになっている。
走る親鸞は、予想外だった。
でも、真摯に念仏と向き合う姿は凛々しい。
史実のこともあるのだろうが、ほとんどオリジナルの物語になっている。