この一月に単行本が出たばかりであるが、読者モニターでいち早く読ませてもらった。
激動篇では、親鸞の壮年時代を描く。35歳の時に越後に流罪になったあと、むしろそれからが親鸞の思想が花開くときだったようだ。
関東常陸の国へ足場を移し、念仏の教えを広めていたとき、弁円という修験者が親鸞の暗殺に赴く。
弁円は親鸞のかおをまっすぐ見ていった。
「われらは山中修験の功徳を世間の人びとに伝えて生きている。病気平癒を祈り、家内安全、五穀豊穣を願う。そのための呪文と、そなたたちの念仏と、どこが違うのだ」
「われらがとなえている念仏とは、依頼祈願の念仏ではない。阿弥陀さま、おすくいください、と念仏するのではないのだ」親鸞の言葉に弁円は戸惑いを覚える。
「われらの念仏とは、自分がすでにして救われた身だと気づいたとき、思わず知らず口からこぼれでる念仏なのだ」
おそらく親鸞の「革新」とは、かつてそして今でも日本人に根付いている「現世利益」を徹底的に否定し、純粋な阿弥陀信仰を追い求めていった処にあるのだろう。坊さんの頭の中にでは無く、それを日常生活の中にひろめて行くのは、どうしたのか。五木版「親鸞」は、それを哲学書では無く、エンターテイメントで描き切った。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
さ行 フィクション
- 感想投稿日 : 2012年1月27日
- 読了日 : 2012年1月27日
- 本棚登録日 : 2012年1月18日
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