月下の犯罪 一九四五年三月、レヒニッツで起きたユダヤ人虐殺、そして或るハンガリー貴族の秘史 (講談社選書メチエ)

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065168554

作品紹介・あらすじ

1945年3月24日の晩、ハンガリー国境沿いにあるオーストリアの村レヒニッツで、約180人のユダヤ人が虐殺された。彼らは穴を掘るように命じられ、その縁に服を脱いでひざまずかされた挙げ句、射殺される。死体は穴の中に崩れ落ち、折れ重なっていった。穴を埋めたのもユダヤ人たちだったが、彼らもまた作業を終えた翌朝には無残にも射殺された。
 主犯とされているのは、当時レヒニッツにあった城でパーティーを行っていたナチスの将校や軍属たちである。ナチス・ドイツの劣勢が明白になり、ヒトラーが自殺するひと月前にあたる。戦後になって、彼らが埋められた場所が捜索されたが、今に至るまで死体はおろか、何の証拠も見つかっていない……。
 本書は、この「レヒニッツの虐殺」と呼ばれる事件の真相を追っていくノンフィクションである。2016年に出版されると、たちまち話題を呼び、ベストセラーになった。英語をはじめ、各国語への翻訳も進められている。
 この書物の最大の特徴は、1973年生まれの著者サーシャ・バッチャーニの出自にある。主犯格の将校たちが集っていた城はバッチャーニ家の持ちものであり、当主イヴァンの妻マルギットが問題のパーティーを主催したと言われている。イヴァンは著者サーシャの祖父の兄。つまり、マルギットは著者の大伯母にあたる。
 一時は「ヨーロッパで最も裕福な女性」とまで言われ、派手好みで娯楽にふけり、狩猟を趣味にしていたマルギットこそ、この事件の首謀者だったのではないか、という噂は事件の直後からささやかれ続けてきた。近年でも、これを題材にして、劇作家エルフリーデ・イェリネク(1946年生まれ)が戯曲『レヒニッツ(皆殺しの天使)』(2008年)を書いている。
 では、本当の真相はどうだったのか? 新聞記者を務める著者サーシャは、祖母マリタが残した日記、レヒニッツで食料品店を経営していたユダヤ系の娘アグネスの日記などを手がかりに、レヒニッツはもちろん、関係者に会うために各地を訪れながら、謎に迫っていく。実に7年間に及ぶ探求の旅は、著者自身が抱える父との関係に潜む闇とも交錯しながら、さらに深い次元に向かうことになる。
 こうして、ドキュメンタリーふうに進行する調査を描写していくパートのあいだに、当事者たちが残した手記が挟み込まれ、時には当時展開されたはずの会話を再現するシーンも織り交ざって、独特の雰囲気をそなえたスリリングな読みものが完成した。
 はたして著者は真実に到達できるのか? 探求の旅はどこにたどりつくことになるのか?──衝撃のラストまで読む者を飽きさせない話題の書、ついに選書メチエで登場!

感想・レビュー・書評

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  • 第2次世界大戦中のユダヤ虐殺にかかわる一族の歴史を明らかに

  • 234-B
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  •  1945年3月、ドイツ軍に占領されたハンガリー貴族の城でナチスのパーティーが開かれ、180人のユダヤ人が虐殺された。
     スイスに住んでいるジャーナリストの著者は、そのときのパーティーの主催者が自身の大伯母だったことを新聞記事で知ってショックを受け、封印されていた自分の家族史と事件の真相を探る長い旅に出る。

     本当に大伯母がユダヤ人虐殺に関わったのかを探る旅はいつしか、当時城に住んでいた祖母マリタと、幼なじみだったアグネスの身に起きた悲しい出来事を調査する方向へ変わっていく。
     マリタが遺した古い手記の解読と、アウシュビッツから奇跡的に生還してブエノスアイレスで暮らしているアグネスとの短い会合によって、当時の状況が徐々に再構築されていくところは推理小説さながらにドキドキすると同時に、胸がつまる。アグネスが体験したアウシュビッツでの生活や、マリタが死ぬまで後悔していた事実を前にすると、異常に共感しやすい著者でなくても空想の世界に逃げたくなる。

     なお、著者自身が執筆前から精神分析医にかかっていたり、祖父が抑留されていたシベリアを仲の良くない父親と訪問する途中で神経衰弱になったりと、メンタル面での弱さを正直に露呈させる場面と、過去と現代を行ったり来たりする偏執狂的な妄想が随所に文章にあらわれ、肝心の探索がときどき脱線するのが玉にキズ。
     ジャーナリストの作者がハンガリーで起きたこの悪名高い事件を知らなかったり、同僚がわざわざ「あなたの家のことでしょ」と虐殺の記事の切り抜きを持ってくるのもどうかしていると思った。

     それでも、本書がなければ知り得なかったハンガリーの屈辱の歴史と、戦争に翻弄された人々の生の声、そして真摯に過去のタブーに向き合い悩むひとりの現代ハンガリー人の姿に心を打たれた。
     ユダヤ人虐殺に関わったかもしれない家系の当事者という現実から目をそむけず、過去を明らかにする過程をわざわざ書物で公開することに、どれほどの苦悩があっただろうかと想像する。

  • レヒニッツ虐殺。バッチャーニ伯爵家。いずれも、日本ではあまり知られていない名前だろう。
    しかし著者の祖母は、かのエステルハージ家の出身なのだという。ブダペストの地下鉄駅にその名が残るというバッチャーニ家がどれほどのものか、極東の蛮族にもようやく想像がつくようになる。
    本書はそんな「バッチャーニ家の末裔」が描く、一族の罪の物語である。しかも、その罪状はユダヤ人虐殺とくれば、本書がヨーロッパに一大センセーションを巻き起こしたのもうなずける。
    「罪の子供」として一族の秘密を追う著者は、そうでなくても良く言えば繊細、悪く言えばメンヘラ気質で不安定だ。「捜査官」たる著者の、過去を糾弾する正義の人とも、逆ギレして猫を噛む窮鼠とも異なるこのスタンスは、本書に独特の味を生む。
    著者が幸運だったのか、調査にかけた7年という歳月ゆえか、あるいはその身分ゆえに、資料が多く残されていたのか。「70年前に何が起きたのか?」という事実関係に関しては、フィクションでもこうはいくまいと思うほどにさまざまなことが判明する。それに比して人間の感情は、過去の人々も現在のそれも、ぼんやりと曖昧模糊に混乱したまま取り残される。著者らとともにこちらまで途方に暮れてしまうような読み味が、このやるせない物語には実に合っているのだろう。

    2019/12/16〜12/17読了

  • 第二次世界大戦中、ある虐殺事件に、自分の家族が関わっていたかもしれない……ということを知った日から、著者の旅は始まる。
    まるで映画やサスペンス小説のように話が進んで行くが、ラストがもやもやとしたまま終わるところで、改めて『これはフィクションではない』ということを思い出す。
    本書は構成にしろ文体にしろ、かなりフィクションを意識しているんじゃないか、と思える。

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著者プロフィール

1973年生まれ。チューリヒとマドリッドで社会学を修めたあと、日刊新聞『新チューリヒ新聞』の記者、同じくチューリヒの『ターゲス・アンツァイガー』の記者を務める。2015年より、ワシントンDCで『ターゲス・アンツァイガー』などの特派員を務め、2018年より再びチューリヒ在住。本書(2016年)は世界的に高い評価を受け、英語やフランス語をはじめとする各国語に翻訳されている。

「2019年 『月下の犯罪 一九四五年三月、レヒニッツで起きたユダヤ人虐殺、そして或るハンガリー貴族の秘史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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