- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065172384
作品紹介・あらすじ
月曜の朝、小六の一将(かずまさ)に声をかけたのは、幼なじみの咲良(さくら)でした。「一将の弟、荻野先生に怒られて泣いてたよ」。運動が苦手な弟の将人(まさと)は、「できない子は朝練に来て」と先生に言われたのに練習に行かず、しかられたのです。でも、将人にとって、数ある運動のなかで、大縄飛びは「できる」に入ります。将人は怒られなくてはならなかったのか、そもそも大会に勝つことが、そんなに大事なのだろうか……。一将のもやもやを咲良が大問題に発展させていくうちに、一将も咲良も、そして代表委員会メンバーの五年生も六年生も、ひとつのクエッションに突き当たることになりました。「学校は、だれのものか?」。小学校高学年の彼らは、この答えにたどり着くことができるのでしょうか。【対象:小学上級以上】
イラスト:稲葉朋子
感想・レビュー・書評
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児童書はいい本が多いです。子供に読ませるという事で関わっている人たちも本気だからではないかと思います。普通の本が適当と言っている訳ではありませんが、意識的に大人たちが良い本を読ませたいと、真摯に考えていると思えてなりません。
そしてこの本もとてもいい本です。
学校行事で競い合う事と、勝つ為に強者だけで固まって他者を排除する事の違い。型にはめて、それにそぐわないから駄目と決めつける事を指導とする事の是非。先生も過酷な中で子供たちを導かなければいけないプレッシャーと、それに相反する機械的なカリキュラム消化義務とのジレンマ。色々な学校の問題点が平易に一方的ではない視点で書かれていてとてもいい本だと思いました。
学校は誰のものなのか?子供の頃は先生のものだと思っていましたね。今より先生の力が強かったのも有りますが、一概にそれが悪かったのかも今となっては分からないです。今はクレームが怖くて、先生がいじめに介入出来る機会が無いんではないでしょうか。
でも、先生にも色々いるので、無限の権力を与えた時に暴走した人が沢山いたから、今のような状況にもなっているんでしょうから。先生が皆正しくて優しい人格者だったら一番なんですけどね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
6年生の一将は弟で2年生の将人が泣いていたと聞かされる
大縄跳び大会の朝練に来なかったことをみんなの前で先生に強く怒られたらしい
「大会で勝つためにうまく跳べない子は朝練に参加するべき」
というのが先生の言い分
でも、朝練は自由参加のはずだったのでは
そもそも、大縄跳び大会に参加するのは勝つためなのか
勝つことがそんなに大事なのか
「学校は、だれのものかって……考えたことはありませんか?」
若くて頼りなさそうなハシケン先生のひとことがみんなの心に波紋をひろげる
大会にはもう参加しないと言って学校を休む将人
そんな将人にアニキとしてできることを考える一将
友だちや先生、親や地域のおとなたちを巻き込んで
大縄跳び大会が開幕する
『セカイの空がみえるまち』『となりの火星人』(ともに講談社)で小中学生の言葉にならないホンネをくみとり描き出した工藤純子の最新作
みんなが行きたくなるような学校にするにはどうしたらいいか
みんなで読んで考えてみよう -
大縄跳び大会をめぐりゆれる子どもや先生の気持ちを丁寧に描く。
大人のパートになっても違和感なく読める描写がうまい。
一人一人が自分の意見を言うこと、言えること。ほんの少しでいいから。その大事さがよくわかった。 -
大縄跳びの練習で先生に怒られて学校を休んでしまった弟を、助けてやりたかった一将だが、幼なじみの咲良以外の人には聞く耳を持ってもらえなかった。
橋本先生の「学校はだれのものか」という言葉が気になるも、答えはなかなか見つからない。 -
誰もが自分らしくいられる、学校がそんな場所だったら…。「また明日」と言える場所が、誰にもありますように。児童書は、それを通じて自分が過ごしたかった子ども時代を疑似体験できるところに醍醐味がありますね。
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学校のあり方を考えさせられました。
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「月曜の朝、小六の一将(かずまさ)に声をかけたのは、幼なじみの咲良(さくら)でした。「一将の弟、荻野先生に怒られて泣いてたよ」。運動が苦手な弟の将人(まさと)は、「できない子は朝練に来て」と先生に言われたのに練習に行かず、しかられたのです。でも、将人にとって、数ある運動のなかで、大縄飛びは「できる」に入ります。将人は怒られなくてはならなかったのか、そもそも大会に勝つことが、そんなに大事なのだろうか……。一将のもやもやを咲良が大問題に発展させていくうちに、一将も咲良も、そして代表委員会メンバーの五年生も六年生も、ひとつのクエッションに突き当たることになりました。「学校は、だれのものか?」。小学校高学年の彼らは、この答えにたどり着くことができるのでしょうか。【対象:小学上級以上】」
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荻野先生が一番の被害者だ。
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あした、また学校で。これはよくよく考えてみると当たり前のようでいて、当たり前のようでない言葉。最後の台詞の重みがすごい。学校は誰のためのものなのか。自分の気持ちを押し付けて、こどもの思いを汲み取らない教師、周りと発達に差のある主人公の弟(健気でよい子)など、身近にありそうな出来事、いそうな人が出てくる。物語によって救われるこどもがいますように。
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6年生の一将は、2年生の弟(将人)が荻野先生に怒られて泣いていたと知る。将人は、大縄跳び大会に参加することになっていて、朝練に参加しなかったことを練習の指導をしていた荻野先生に怒られていたらしい。一将が将人の教室に様子を見に行くと、男子3人が大縄跳びのことで将人を責めていた。家に帰ると、将人は大会に出るのをやめると言い出す。みんなに将人が出ると負けるから出るなと言われたのだという。
代表委員会でこの出来事を伝えると、代表委員会の担当のハシケン先生は、荻野先生が間違っているとも、先生に言うときについてきてくれるとも言ってはくれなかったけれども、「学校は、だれのものかって……考えたことはありませんか?」と問いかける。
著者プロフィール
工藤純子の作品






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