暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065246344

作品紹介・あらすじ

広島の軍港・宇品に置かれた、陸軍船舶司令部。
船員や工員、軍属を含め30万人に及ぶ巨大な部隊で、1000隻以上の大型輸送船を有し、兵隊を戦地へ運ぶだけでなく、補給と兵站を一手に担い、「暁部隊」の名前で親しまれた。
宇品港を多数の船舶が埋め尽くしただけでなく、司令部の周辺には兵器を生産する工場や倉庫が林立し、鉄道の線路が引かれて日々物資が行きかった。いわば、日本軍の心臓部だったのである。
日清戦争時、陸軍運輸通信部として小所帯で発足した組織は、戦線の拡大に伴い膨張に膨張を重ね、「船舶の神」と言われた名司令官によってさらに強化された。
とくに昭和7年の第一次上海事変では鮮やかな上陸作戦を成功させ、「近代上陸戦の嚆矢」として世界的に注目された。
しかし太平洋戦争開戦の1年半前、宇品を率いた「船舶の神」は志なかばで退役を余儀なくされる。

昭和16年、日本軍の真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争は、広大な太平洋から南アジアまでを戦域とする「補給の戦争」となった。
膨大な量の船舶を建造し、大量の兵士や物資を続々と戦線に送り込んだアメリカ軍に対し、日本の参謀本部では輸送や兵站を一段下に見る風潮があった。
その象徴となったのが、ソロモン諸島・ガダルカナルの戦いである。
アメリカ軍は大量の兵員、物資を島に送り込む一方、ガダルカナルに向かう日本の輸送船に狙いを定め、的確に沈めた。
対する日本軍は、兵器はおろか満足に糧秣さえ届けることができず、取り残された兵士は極端な餓えに苦しみ、ガダルカナルは餓える島=「餓島」となった。

そして、昭和20年8月6日。
悲劇に見舞われた広島の街で、いちはやく罹災者救助に奔走したのは、補給を任務とする宇品の暁部隊だった――。
軍都・広島の軍港・宇品の50年を、3人の司令官の生きざまを軸に描き出す、圧巻のスケールと人間ドラマ。
多数の名作ノンフィクションを発表してきた著者渾身の新たなる傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 暁の宇品(うじな) 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川惠子著:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/122562

    『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川 惠子)|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000354870

  • 数多の将兵を送り出した広島の宇品港
    日清戦争から昭和20年の終戦まで、およそ半世紀に渡って帝国陸軍の兵站の要を担っていた宇品に陸軍船舶輸送司令部があった。
    普段スポットライトが当たらない船舶輸送司令官の視点から歴史を紐解いていく本書は、これまでにない解像度だった。
    よく目がする「要約された歴史」では、単に"陸軍の暴走"などと片付けられているが、いくらなんでもこんな巨大組織で、しかも何段階も選抜を繰り返す当時の軍の全員が蒙昧だったはずがないと疑問だったのだが、これを読んで大分腑に落ちた。
    しかし、いつの世も組織が巨大化すると腐るのは変わらない。

    古代から現代まで変わらず重要な戦時の兵站問題は、海に囲まれた日本では全て船舶に頼らざるを得ない。
    船を持たない帝国陸軍の命運を船が握っているとは皮肉だが、当初は民間船をチャーターして出兵していたとは驚いた。

    明治の軍人たちは輸送の重要性を正しく認識し、宇品港開発(単に港としてだけではなく、検疫・研究・病院・倉庫など軍港としての機能を整備)に多額の予算を割り当てて来る国難に備えていたにも関わらず、その後の軍上層部に精神主義が蔓延り、兵站軽視になっていったことが残念でならない。
    (さらに皮肉なのは、米軍は軍艦には目もくれず輸送船を集中的に攻撃し、海上輸送の遮断に注力していたことで、兵站の重要性を認識していたことだ)

    歴代船舶輸送司令官の視点で丹念に描かれている大正・昭和の陸軍が、いかに道を間違え、いかに多くの犠牲を強いてきたかがよく分かった。

    終始広大な海と不足する船舶と戦ってきた船舶司令部だが、最後の戦いは原爆が投下された広島の陸(おか)だった。
    このとき既に海上輸送は崩壊していて、船舶輸送司令部は本来任務をまともに行えなかったが、原爆投下直後から市民の救護と消火・復旧活動に全力を上げた。
    これで救われた命も沢山あっただろう。
    船を持たなかった陸軍の船舶を司り海を縄張りとする軍人達の最後の戦場が陸であったことは、偶然だったのか必然だったのか?本書を読むとよく分かります。

    余談ですが、戦争物で度々登場する辻政信は、漏れ無く悪者扱いなのは余程酷かったのかと思いました。



  • 広島市の南にある港、宇品。
    例えばヒロシマの原爆投下後の記録や、証言を少し読めば、港の名前として「宇品」という地名はすぐに出てくる。
    広島が原爆投下の目標とされた一つの理由として、広島が軍都であったという事が挙がる。何故ならば、宇品は日露戦争の時代から、日本から兵士や資源を戦地へと送り出すための日本帝国陸軍の港であったからだ。
    本書ではその宇品がどのようにして日本の軍の兵站の中心となったのか、そして第二次大戦において日本は兵站を軽視したために、あらゆる作戦が破綻し、敗戦へと突き進むのだが、その時に宇品はどうなっていたのか、という歴史を当時の宇品の指導者たちの記録を丁寧に読み解いて語っていく。
    そして、原爆が投下され、広島が焼け野原のヒロシマとなったとき、宇品にいた陸軍の兵士たちはどのように行動したのか。

    今まで数多くの原爆とヒロシマの記録を読んできた。その中で何度となく見た「宇品」、「似島」という地名が、単なる漢字の組み合わせでしたなかった地名が、具体的な、そこで汗をかき、笑い、泣き、叫び、怒り、悲しむ人々の生きている土地として立ち上がってきた。

  • 日露戦争から太平洋戦争終戦後までの船舶輸送、そして宇品の船舶司令部の歴史を調べ上げた渾身の一冊。やはり堀川恵子さんはその調査の緻密さ、文章力とも今の日本で最高のノンフィクションライターだ。日露戦争の成功体験から抜け出せぬまま、現実を直視することなく無謀な戦争に突き進んでいった過程がよくわかる。船員の多くが兵士ではなく、丸腰の民間人だったとは。鳩より下に扱われた彼らのガダルカナルでの惨状などもっと知られていい。南方での死者のほとんどが餓死だったこと、杜撰な計画と甘い読みから船を作る資材もなくなり油布で石油を運ぼうとすらしていたこと、また、特攻は飛行機だけではなくベニヤ作りの船でも行われていたことなど、何もかも暗澹たる気持ちになる。
    輸送や船員の地位の整備を訴えて罷免された田尻元司令官、無為に多くの兵を海で失わせてしまいながらも原爆投下直後から救援活動を的確に手配した佐伯司令官。彼らを通して輸送の歴史を俯瞰させてくれた堀川さんに感謝。自衛隊の災害活動の原点が関東大震災後の軍の活動にあったというのも目からウロコだった。佐伯司令官が原爆直後「流言飛語を防止し、民心を安定せしめる」よう説いたのも、関東大震災の時の経験によるものだったのだろう。
    生涯の一冊とも言える素晴らしい作品。

  • 凄い。

    最後のページの写真。
    読み終わる前に目に入って、なんの写真か分からなかったのだが…
    読み終わり、ページをめくったら、言葉をなくした。

    組織は狂う。
    俊英が集い、そこらの通りがかりが見ても、愚かしい隘路に、何故全力で突き進むのか。

    組織の狂った突進に、軋みに、不条理に轢き殺される多くの人々がいたことに慄然とする。英俊であろうと魯鈍であろうと、そのときがくれば、等しく擦り潰される。

    社会とは、組織とは。
    人類は、社会や組織を通じて、地球上の覇者として君臨している。
    しかし、社会も組織も狂う。

    「本書で繰り返し問われたシーレーンの安全と船舶による輸送力の確保は、決して過去の話ではない。食料からあらゆる産業を支える資源のほとんどを依然として海上輸送に依存する日本にとって、それほ平時においても国家存立の基本である。」(p381)

    あとがきに記された上記の言葉に、そこに至るまで気がつかなかったことに、その不用意さに、我ながら情けない思いがした。

    戦後、約80年も前の、敗戦を経て記録も少ないはずの内容を、このように活写できる著者の力にも、感服した。

    石をもて 追わるるごとく 去りたれど 忘れがたきは 金輪島山
    つゆ空に 花一つ散りぬ 花月園
    「ズーズー弁の天才技師」市原健蔵氏の歌。
    歌を詠める教養が羨ましい。

  • ズシン、ズシン、ズシンときました。
    補給と兵站の重要性がよくわかる本。
    また、整理して書きます。

  • 宇品、と聞いても全くピンとこなかったが、昔広島の宇品に陸軍の船舶輸送司令部があり、陸軍の各種派兵の海上輸送を担ったという。このことは、ヒロシマに原爆が落とされた理由のひとつになっている。

    本書は、「船舶の神」田尻中将の歩みとともに発展した陸軍船舶輸送について、膨大な史料をもとに構成された大変な労作

    田尻中将は、兵站の観点から、日中戦争が泥沼化するなか、ある意見具申をする(具申が原因か定かではないが、この直後司令官を罷免される)。その後は、田尻中将の懸念の通り、多くの船員の死を招き、戦局は益々悪化することになる。

    そしてヒロシマに原爆が落とされたとき、被害を免れた船舶輸送司令部は、佐伯司令官の指揮のもと、迅速な救援活動を繰り広げる。(このとき、著者が疑うほど、迅速かつ的確な救助活動が行われている。その理由については本書参照)

    この二人の指揮官は、当時としては傍流に置かれた軍人だったかもしれないが、国民の生命・財産を守る軍人としての本分を全うしたと言えるのではないか。
    こういった人がいたことを、本書を通じて知ることができたことに感謝したい。

    そして、防衛省は、今後島嶼部への脅威に対処するため水陸機動団を新編し、輸送力の強化を図ろうとしている。

    歴史は繰り返さないが、韻を踏む。
    まさに今、読むべき本だと思いました。


  • 当時を生きた一人一人にそれぞれの人生があったという当たり前のことを改めて感じながら、のめり込むようにあっという間に読んでしまった。

    以前『失敗の本質』で、太平洋戦争での兵站線確保ができていなかった問題点についてなんとなく読んだことがあった。本書では、兵站線確保について、戦地へ輸送する食糧や兵器、それらを運ぶ船舶の確保などを任務としていた陸軍船舶指令部の立場から当時の様子を窺い知ることができた。

    船舶輸送に携わった無名の軍人の生き様にも泣けてきた。
    田尻昌次、佐伯文郎、篠原優、覚えておきたい。
    広島の宇品にも行ってみたい。

  • なぜ、広島に原爆が落とされたのか。
    日本の戦争は宇品港の輸送に支えられていた。
    原爆を新たな視点で捉えた力作。

  • 小さな島国が資源不足で補いきれない部分を精神論で埋めていこうとする姿勢。
    実力を顧みず思い上がる。
    それを正直に指摘しようとする者は組織から排除される。
    こういう話しは昔話じゃない。
    考えさせられます。

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著者プロフィール

1969年広島県生まれ。『チンチン電車と女学生』(小笠原信之氏と共著、日本評論社)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)で第32回講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』(講談社)で第10回新潮ドキュメント賞、『永山則夫―封印された鑑定記録』(岩波書店)で第4回いける本大賞、『教誨師』(講談社)で第1回城山三郎賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)で第47回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社)で第23回AICT演劇評論賞、『狼の義―新 犬養木堂伝』 (林新氏と共著、KADOKAWA)で第23回司馬遼太郎賞受賞。

「2021年 『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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