死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)
- 集英社 (2003年12月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087202212
感想・レビュー・書評
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【作成中】
大学の西洋史(ドイツメインだったが)の講義で、車裂き・八つ裂きの刑と衝撃的な死刑の執行方法があったことを知って、他国はどうだったのか興味が湧いていた。+荒木飛呂彦先生の帯で、購入を決意。
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サンソン、と言えばフランスの死刑執行人。代々世襲であり、非情な死刑を行うということで皆から恐れられていた。とはいえ、死刑執行は国王の名における命令であるし、残虐な刑はサンソンが考えたのでなく、時代が求めていたと言うべきもので、執行人たるサンソンは心を痛めていた。一番の悲劇は尊敬するルイ16世を処刑することが自分の手でなされた、ということであり、何も悪くないサンソンは終生その罪に苦悩することになる。全く理不尽な死刑執行人の世襲にかの時代の残酷さを実感するとともに、死刑囚を瞬時に死に追いやる「人道的な」ギロチンなればこそ血のフランス革命が成功した皮肉に歴史の哀しさを知る。
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死刑囚が処刑台の上から救出されると言う前代未聞のこの事件は、国家の決定が民衆の意思によって覆されたものであり、しかも、国王が宮殿を構える本拠地、ベルサイユで起こったことである。これを革命と言わずして、なんと言おう。67 68ページ
ジャン・ルイ・ルシャールはフランスで車裂きの形が宣告された最後の例となった。…事実上はこの時、ベルサイユ住民の意思で車裂きの刑は廃止されたのであった。68p
ギロチンは本来人道的配慮から生まれたが、あまりにもかんたんに殺せる機械だった。従来の処刑なら一日数人が限度だったものが、ギロチンにより数十人の処刑が可能になり、恐怖政治をまねいてしまっった228p -
序章 呪われた一族
第一章 国王陛下ルイ十六世に拝謁
第二章 ギロチン誕生の物語
第三章 神々は渇く
第五章 前国王ルイ・カペーの処刑
終章 その日は来たらず -
死刑執行人を努めたサンソン家と革命前後のフランスが舞台。首を切り落とすギロチンが、苦痛を減らす人道的な手段として発明されたものだったというのが驚き。しかし、その手軽さが大量処刑につながってしまったというのも皮肉。
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サンソンの存在はもともと知っていたし、大体の人物像も他の読み物で知っていたのでそこまでの真新しさはなかったが、彼の心情的側面をずっと深く掘り下げて知ることができたことは貴重だった。
当時は現代よりも人間の生き方が狭く、それだけに色濃い宿命を背負いながらそれぞれが生きていた。死刑執行人の家系などはその宿命の凝縮も並外れていて、自身を強烈に律することなしに人間としての精神を保ち続けることが難しかった様子がうかがえる。それだけに敬虔であり、それだけに無垢であり、平和を愛し、平等を望み、傷つきやすい。彼の独白は血にまみれながらも何度もドラマチックであろうか。剣からギロチンに代わってもその刃は人間の命を絶つだけで、運命も歴史も時代も立つことができない、ただ、歴史と時代の証となり続けるしかなかった。
読み終わった後、思わず240年前の革命に思いをはせざるを得なかった。
文章はわかりやすく、心理描写も心を惹きつけるものがある。しかし主人公が感傷的なだけに、その展開も感傷的におりなされ、後半著者の主張とサンソンの告白の区別が分かりづらくなる感があった。特に「死刑はなくなるべきである!」と繰り返し強調するラストは思想的な香りがしてちょっと現実に戻ってしまった。もしサンソンの回想録に同じような描かれ方があるなら、引用という形で閉じてほしかった。
17.1.10 -
「イノサン」の元ネタの一つ。
執行人から見たフランス革命というか。王政時代、革命期と恐怖政治の期間、ナポレオン治世下、と、ひたすら首を斬り続けた人物。国王も貴婦人も暗殺犯も革命家も強盗も、すべてが彼の前では平等で、彼はただ死の天使として職務を遂行するだけ。本人は国王派で敬虔なカソリでリベラルで死刑廃止論者というのが面白い。生涯で3度ルイ16世に会ってる、てのも出来すぎだ。罪人に死を命じる人々の矛盾や無責任さの対極に、執行人がいるのだなあ、と。
ギロチンの歴史についても触れられてるけど、あの三角刃を考案したのは技術オタクのルイ16世、てのも面白すぎる…! -
久し振りに読み応えのある新書だった。
見せしめ・拷問要素を多分に含む死刑制度、そしてそれを遂行するために必要となる執行人。そして、「死」を扱う者は、恐れられると同時に差別を受けることとなる。その差別により、結果としてその職業は世襲されざるを得なくなる。もちろんその世襲制から離れることは可能だ。だがそれは、先祖を否定し、先祖を恥じる事になる。
1693年12月11日にシャルル・サンソンは子孫たちに対する弁明の書として手記を書き始める。
当時のクリスチャンは、上からの命令は神から与えられた命令と同じであった。社会秩序を守るための上からの命令を忠実に守る事は、神への忠誠である。
4代目のシャルル・アンリは、高等教育を受け、時代の移変わりもあり、死刑制度自体に疑問を持つこととなる。そしてそのアンリ自身が、フランス国王ルイ16世の処刑にたずさわらざるを得なくなる。
フランス革命から恐怖政治下において、下される司法判断について、死刑制度の是非について思い悩み苦しみながらも、職務を遂行して2700を超える執行を行ったアンリ・サンソン。
ギロチンは本来受刑者の苦しみを軽減するものとして用いられるようになったものだか、皮肉な事に、あまりにも効率的に処刑が行われる事になってしまったために、かえって多くの者に対して死刑が執行されてしまう結果となってしまった。 -
歴史書であると同時に物語でもあるのが伝記というものか。本書は、国王の名の下に死刑を執行してきた役人が、国王をギロチンにかけることになるお話。
現代において描かれる中世の死刑執行人のイメージといえば、ズタ袋で顔を隠し、巨大な斧を軽々と扱う巨漢の姿が多いが、当時のフランスにおいては、執政者である国王の法=力を民衆に喧伝するための儀式を確実に執り行うことが求められる役人であり、市民とは一線を画す給与を受け取っていた。それでも民衆どころか貴族からも忌み嫌われる存在であったが、歴史に残る、死刑執行人の存在意義を訴えた発言からは、よき教育と理解者に恵まれていたであろうことが伺い知れる。
さてギロチンといえば現代においては非道なイメージを伴うが、当時においては、より残虐で困難であった死刑を、王だろうが一般市民だろうが等しいシステムに組み込むための装置として開発された。本書から伺える過去の刑は、報復、抑止、示威、娯楽と多数の意味を持たされていたが、昨今の法治国家においては、社会が許す範囲での個人への『報復』と『抑止』の手段としての"罰"のみが残されているように見える。だがこの先『抑止』の新たな手段が開発されたとしても、人から感情が失われないかぎり『報復』を完全に忘れることは難しいだろう。
革命の時代から月日は流れ、フランスから死刑はなくなった。稀な事象である以上、死刑の有無が社会に与える影響を測定することは難しい。それは即ち、その価値を、その良し悪しを、その善悪を、現時点では、はかりきれないということだ。だが、人の感情と刑罰が切り離せないからといって、感情のおもむくままに廃止したり採用したりで良いというわけではない。現代の統計学、社会科学、行動経済学、そして哲学がどこまでできるのかはわからないが、その効用を問うことは、続けていかなくてはならないだろう。