- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087208238
感想・レビュー・書評
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巷で耳にする"そんなん学んで何になるの"という言説に漠然とした不安を抱えている文系学習者にお勧めしたい一冊。文系の知が役に立つことを述べてくれるだけでなく、個人的には文系の論文の構成について詳しく述べているので、論文作成時にも役立つと思う。
吉見先生のゼミ、時間があれば参加してみたいな〜!今期のシラバスも凄かったそうな
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タイトルがキャッチーすぎて、コアな人文系の人々が敬遠するのではないかと心配してしまうけれど、とても読みごたえのある良い本だった。
教養とリベラルアーツの違い、文・理の区別の歴史的背景、文系は社会にとって長期的に役に立つということ、未来の大学像などなど、文学部の学生としては興味深い話題ばかり。
日本の文系軽視の問題だけでなく、現代において「学ぶこと」の価値とは何かというところまで深く掘り下げているので、文系や大学関係者だけでなく、あらゆる人に読んでほしい。 -
大学改革の近況を網羅的に把握するための好著。
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『大学とは何か』が大学論の基礎文献ならば、この本は現代日本への応用編。キャッチーなタイトルに反して、中味の射程は深い。前半の報道とその反応をめぐる浅薄さは痛快。学問の有用性を問い直す中で、文化にとって根源的な遊戯性の指摘で締めたことが印象的だった。
・大学には、学生や保護者への説明責任が大学にはあるのですが、説明責任を負うことと奉仕することは違います。
・「教養」は国民国家的な概念。グローバル教養は形容矛盾。
・イギリスでは「カレッジ」とは学寮のことで、学生が所属する大学の基本単位。日本でいえば学部。米国では「大学院」と「高校」にはさまれた「学部レベル」の教育課程を意味する。
・「教養」がどちらかというと近代産業文明の中で国民の人格を陶冶・涵養するために過去の伝統との結びつきを強調したのに対し、「一般教育」は人類の未来的な課題に立ち向かう能動的な知性を具えた市民の育成を目指した。リベラルアーツ=中世的な貴族社会、教養=近代的なブルジョア社会、一般教育=現代的な民主主義社会に対応。
・人文社会科学の様々な知は、その本質において、複眼的で流動的な「価値」を問い、観察し、分析し、批判し、創造していく視座や方法として、19世紀から20世紀にかけて形成された。
・大学はそもそも高度な知識を備えた教師と学生の協同組合として誕生したのであり、この協同組合の掛け金は「資本」ではなく「真理」でした。
・もはや教育と研究だけで大学がその価値を証明するのは難しい時代であり、社会的実践という第三の要素が重要になってきている。
・中高で要求される優秀さは確実な記憶力や思考の緻密さ、地道な努力など「失敗しない能力」。大学は、そうした基礎に立ちつつも、むしろ「失敗する能力」が求められる。
・日本の大学で25歳以上が占める割合は2%。世界は20%。
・文系において論文とは、著者の問いについての学問的方法論に基づく「認識」の深まりを、実証的な根拠を示しながら文章として構造化したもの。(このあと論文論もあり)
・個人的動機と学問的問いは別。問題意識は後者。
・大学と専門学校を隔てる最大のポイントは、大学は社会的需要に応じて、人材を供給する訓練所ではないこと、そのような神座自受用の短期的変動を超える時間的な長さや空間的な広がりを持った価値と結びついていることにある。
・ホイジンガ:遊びは文化の周縁にあるのではなく、文化は遊びを通して生成する。遊びのないところに真に充実した意味は見いだせない。