- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087212440
作品紹介・あらすじ
全共闘に代表される若者たちの社会変革の運動が、国内のみならず世界で最高潮に達した「1968年」。
あれから現在に至るまで、国内ではいまだに当時を超える規模の若者の叛乱は出現していない。
そもそも、あの叛乱は何だったのか。
そして現在の日本に何をもたらしたのか。
メディアに流布される「1968年」の物語の外側から、その意義を洞察してきた笠井潔と絓秀実。
同世代の批評家同士であり、かつ時に互いを批判し合ったこともある二人。
この論敵同士による、最初で最後の「対話」の行方は--。
聞き手は外山恒一。
◆目次◆
序章 対話の前に
第一章 1968
第二章 1968以後
終章 国家と運動のこれから
◆著者略歴◆
笠井 潔(かさい きよし)
1948年東京生まれ。
小説家、文芸評論家。
日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞(小説、評論・研究部門)などを受賞。
著書に『テロルの現象学』『3.11後の叛乱』『例外状態の道化師』『煉獄の時』ほか多数。
絓 秀実(すが ひでみ)
1949年新潟生まれ。
文芸評論家。
「日本読書新聞」編集長、近畿大学国際人文科学研究所教授などを務めた。
著書に『革命的な、あまりに革命的な』『1968年』『反原発の思想史』『天皇制の隠語』ほか多数。
感想・レビュー・書評
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左翼を気取る大学教授がインチキだということはよくわかった。所詮は「体制側」でしかないから。全体的には対談本ということもあって、まとまりはない。特に1章は1968年の2人の思い出話で内容的にもかなり細かく、同時代を生きた学生運動に興味のある人しかついていけないかもしれない。縄文礼賛する岡本太郎批判は興味深かった。2章はその後の現代的なテーマに関してが議論が展開されるので、それなりに読み応えと面白さはある。
所謂左翼運動の盛衰というものを学生運動からレジャーランド、そして昨今の文科省支配された大学に視点を絞って再構成するとオモシロイ内容になるのではないかと思った。 -
あまり目新しいことを話しているわけではない。1968年についての思い出話。いま現在のことも語られるが分量としては少なめ。
ただ、このふたりも齢70代を過ぎており、学生運動を体験した世代の語り手もこれからどんどん死んでいくわけで、そういう意味ではこのような形の思い出話を残しておくのも悪くないと思う。 -
重版
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有り S309/カ/22 棚:13
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57〜 大衆蜂起⇔市民運動
66 自分探し 生きづらさ 主体性
『万延〜』から大江は単純な疎外論ではなくなる
78 太陽の塔=原発
縄文あるいは土着的なものの古層が天皇制に絡めとられることについてきちんと考えなかった。だから戦後天皇制の経済基盤である高度成長的な産業主義と結果的に一致した。
84 主体性の空洞化
90〜 60年 70年安保
99 68年ではなく60年安保をリベラル派の市民運動の源流に位置づけようとしている
108 大江健三郎 坂口安吾
『遅れてきた青年』『われらの時代』『日常生活の冒険』
140 ポリコレ
149 ポリコレ批判
160 川口事件
167 村上春樹
三部作
ぼく=反全共闘派シニカル 鼠=全共闘派 の対立
最後に鼠を殺してしまう
ノルウェイの森やダンスダンスダンス、鼠がいないのが80年代の高度消費社会のリアリティ(竹田青嗣、加藤典洋)
ノルウェイの森は革マル批判?
『村上春樹と小阪修平の1968年』
村上春樹は解放派の周辺にいた?