なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)

  • 集英社 (2024年4月17日発売)
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本 ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784087213126

作品紹介・あらすじ

【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

【著者略歴】
三宅香帆(みやけかほ)
文芸評論家。
1994年生まれ。
高知県出身。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。
著作に『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術―』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『人生を狂わす名著50』など多数。

感想・レビュー・書評

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  • 序章に映画「花束みたいな恋をした」の主人公、麦と絹の会話が出てくる。

    麦「俺ももう感じないのかもしれない」
    絹「……」
    麦「ゴールデンカムイだって7巻で止まったままなんだよ。宝石の国の話も覚えてないし、いまだに読んでる絹ちゃんが羨ましいもん」
    絹「読めばいいんじゃん、息抜きぐらいすればいいんじゃん」
    麦「息抜きにならないんだよ、頭入んないんだよ。(スマホを示し)パズドラしかやる気しないの」
    絹「……」
    麦「でもさ、それは生活するためのことだからね。全然大変じゃないよ。(苦笑しながら)好きなこと活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」(脚本坂元裕二)

    新書の内容は、明治から現代までのアカデミックな読書史なのだけど、基本的にはこの「台詞」の解題で1本筋が通っているところに、この本の特徴がある。つくづく「花束ー」は名作だった。

    パズドラはする時間はあるのに、どうしてゴールデンカムイは読めないのか。それは麦の中でパズドラは、70年代お父さんの日曜日のごろ寝のような息抜きであり、カムイは「教養」だからだ(私の中のパズドラとカムイの位置付も同じである)。では、何故絹はいまだに読めているのか。それは絹の職場がたまたまゆとりがあったからだけではなく、絹の両親が中産階級で将来失業したときの不安がなく、麦のそれは労働者階級だからだろう(←この視点は本書から教えられた)。

    明治時代から現代まで、読書階級は一部エリートから、どんどん大衆に降りてきて、読書の目的も教養から自己啓発、娯楽、今や情報というふうに変わっていると分析する(あくまでもベストセラー読書層についての分析)。←ちょっとザクッとまとめ過ぎ。もっと丁寧に分析しているので、読んでほしい。

    では、どうやって「働いていても本が読めるようになる」のか。三宅さんは「半身社会を生き」ればいい、と提案する。全身全霊で労働するのではなく、例えば「週3勤務、兼業、持続可能、ジェンダーフリー」の労働に切り替える。勿論、「読書」は「労働に関係しない文化的な時間を楽しむこと、或いは介護や育児」ということでもある。

    バブル崩壊あと、民営化・グローバル化のもと、仕事=自己実現となり、自己啓発に必要な情報以外は「ノイズ」として遠ざけられるようになったと三宅さんはいう。それがファスト教養などの流行にもつながる。それが「良し」とは、三宅さんも考えていない。だから、半身社会の提言などをしているのではあるが、全然深められていない。そこが「本書の限界」である。

    三宅さんは今年30歳。生まれたときは既にバブル崩壊。本書の史実はすべて「歴史=過去」として記述している。その後の展開は総て「仕方ない」ものとして受け止めているのが特徴である。三宅さんには、「何故このような社会になったのか」という視点がない。原因分析ができていないから「具体的にどうすれば「半身社会」というビジョンが可能なのか、私にもわからない」(265p)ということになるのである。

    イラストを描いていて生きていきたいと思っていた麦の夢が、何処で捻じ曲げられたのか、何が彼をそうさせたのか。

    まだまだ名作は、何度も観られ続けなれなくてはならない。

  •  
     2024年を迎えてから読書の冊数がガクンと落ちた。厳密に言えば、読んではいるけれども最後まで読みきれない。これまでは隙間時間が10分でもあれば本を開いていたのに、今では片道1時間以上かける通勤電車の中でさえ本を読む気になれない。読まなきゃ読まなきゃと思ううちに、月日は流れ、葉桜が目立つ時期になってしまった。
     時間はある。読みたい気持ちもある。ただ読むためのエンジンが駆動しない。本をなかなか開くことができないのだ。現に本を開き読み始めてしまえば続きが気になり読み進めていける。つまり本を開く行為そのものが億劫で、読み始めるのに膨大な労力が必要となる。
     これはいったい何なのか──
     さて、縁は異なもの味なものとは言い得て妙で、本との出会いは不思議なものだ。面白い本を求めているときに限ってめぼしい本が見つからない。逆にふらっと書店へ立ち寄ったときに「これは…!」という本に出会ったりする。
     本書はまさにその一冊だ。
     前置きはこのくらいにして、なぜ私は本を読むことができなくなったのか。分析するに、

     1) 時間がない
     2) 仕事による疲労

    の二つの要因に分けられると考えた。しかし考えても考えても、①読書する時間はあるし、②疲労困憊するほど働いているわけでもない。
     では、なぜ本が読めないのか。これにはさまざまなアプローチがあると思うが、本書は歴史的な文脈からこの問題を徐々に紐解き最終的には社会的な側面からアプローチを試みている。その過程が正しいのかは別として、非常に興味深い手法であり一読に値する価値がある。

     私たちが読書をする目的を考えてみよう。勉強するため、情報収集、仕事へ役立てるため、単純に趣味として、などなど高邁なものから凡俗なものまで多岐にわたる。それぞれにそれぞれの良さがあり、どれが良いと区別できるものではない。
     しかしどのような意識で読書するのかにより、その「やり方」が変わるのは事実だ。そして、現代の社会人が読書できなくなったポイントはここにある。

     大衆による読書という知的慣習は日本開国に遡る。明治政府は欧米諸国へ追いつき追い越せを果たそうと、国民へ教育の重要性を説き「勉強」のために読書を推奨した。つまり当時の日本国民は資本主義が流入し長時間労働が蔓延する中で本を通じて学んでいたのだ。
     そしてこの慣習は今もなお続いている。長く働くことは少なくなったが、多様なコンテンツが飽和している現代で私たちは日々時間に追われている。そんな中、本を読むことで「何か」を得ようとする。
     要するに私たちが読書をするのは、程度の差こそあれ、何らかの「答え」を探すためであると言える。出版業の業績が低迷していても「自己啓発系」のジャンルが堅調なのは、それが何らかの答えをくれるからだ。

     では、なぜ私たちは何でもかんでも「答え」を求めようとするのか。
     「タイパ」という言葉が世に浸透して久しいが、原因はこいつだ。現代人─特に若い世代─は無駄を嫌う。無駄なく効率よく情報を集めたい、答えを知りたい。そんな下心を持っている。
     人生をまるで一問一答集のように説こうとするのは現代人の特徴だ。心理学では「認知的完結欲求(NFCC)」と言うらしいが、どうやら私たちは物事の曖昧さへの耐性が著しく低いようだ。
     この事実をまず覚えていただきたい。

     さて、本書では、本から得られる知識を2つに分類し定義づけしている。一つは「ノイズありの知識」だ。これら小説などの本から得られる芋蔓式の知識を指す。
     もう一つは、「ノイズのない知識」だ。こちらは読み手が知りたい情報そのものを指す。
     そして読者は前者を不要なものと捉え後者に至上の価値を見出す。
     しかし、そんな偶発的な知識を切り捨てて良いものか。たまたま得た知識が、役に立とうが立たまいが、恩恵を与えてくれるのは確かだろう。そうした知識の積み重ねが精神的な余裕へとつながっていくからだ。これを人々は「教養」と呼ぶ。
     そう、私たちは「教養」が大事なものであるとは頭では理解している。けれどそんなものに労力を費やしている余裕がない。仕事に追われ、家事に追われ、推し活をして、見たい動画を倍速で見る。そんな私たちにとって、答えは今すぐに知りたいし、培った教養なんてクソの役にも立たない。
     だからこそ私たちは気軽に情報の手に入るSNSにのめり込み、直接的な解が導出されない文学作品を読もうとしない。一問一答を丸暗記したのも同然だ。そんな仮初の知識で人生の壁に臨もうなんぞ、丸腰で戦車に立ち向かうのと一緒だ。必ず返り討ちにあう。
     けれど私たちは懲りもせず一問一答を繰り返し挑戦する。まさに、実用的な情報を絶えず求める知性あるウォーキングデッドと言えよう。
     不屈の精神と称えるべきか、阿呆の骨頂と嘲笑すべきか。

     そして私たちが本を読めなくなった答えはまさしくこれだ。

     しかし、私はこれを書いていて思うのである。即物的な情報は結局はすぐに廃れる。新聞と同じだ。新聞はありとあらゆる情報が記載されているが、一年と経てばただの紙屑でしかない。激動の荒波に耐えうる本質的な知識は長い時間をかけて収集し、知識と知識を掛け合わせて自らが見つけ出していくしかない。つまりそれは「知恵」だ。
     皆さんも胸に手を当てて考えてみてほしい。ついこの間仕入れた実用知を現実世界へ上手く使うことができただろうか。おそらく多くの人が失敗に終わったことと思う。
     なぜなら、状況に応じて実用知を使い分けていないからだ。のべつまくなしに「チシキ〜」「チシキ〜」とさまよい求めてみても、そっくりそのまま適用できるわけではない。情報や知識は状況に応じて「加工」する必要があるのだ。
     にもかかわらず私たちは実用知を「加工」せずそのまま使おうとする。だがその試みは得てして失敗に終わりがちだ。だから私たちは次から次へと情報を求め続ける知的ゾンビへと化してしまう。
     言うなれば知識は食材だ。新鮮なうちに適切な調理をすれば美味しい料理になる。しかし、腐った食材を調理しても美味しいものはできない。また、いかに新鮮でも調理法を誤れば美味しくはならない。
     一方で、知恵つまり料理の技術があればどうか。食材が新鮮であればなおのこと、たとえ多少劣ったものであったとしても調理法ではいくらでもよくなる可能性がある。
     要するに知恵とは既存の知識に付加価値をつける技法なのだ。そしてこの技法を身につけるには、偶発的に得た知識の積み重ねが必要になる。
     知恵の前段階には「教養」が存在し、教養の前には「ノイズありの知識」が存在する。そして、ノイズありの知識の前には「ノイズなしの知識」が横たわる。だが、私たちはこの「ノイズなしの知識」だけを仕入れて満足している。本当に重要なのはその先の先だというのに。

     これまで私が切り捨てたモノの中にどれだけ高価ものが眠っていたことか。それを思うと、本の隅から隅まで暗記するほど読みたくなる。
     まあそれこそ本当に読む気が失せるんだろうけれど。

    • kmkm君さん
      めちゃめちゃスッキリしました。
      言語化上手すぎます!!
      めちゃめちゃスッキリしました。
      言語化上手すぎます!!
      2024/11/08
    • yoshino511224さん
      出版化された本を読んでるみたいでした。私もあなたのような文をかけるように沢山本を読んでみたい。
      出版化された本を読んでるみたいでした。私もあなたのような文をかけるように沢山本を読んでみたい。
      2025/05/11
    • こんちゃんさん
      yoshino511224さん
      嬉しいお言葉ありがとうございます。
      たくさん読んでたくさん会話して、そしてどう感じたのかを大切にしてください...
      yoshino511224さん
      嬉しいお言葉ありがとうございます。
      たくさん読んでたくさん会話して、そしてどう感じたのかを大切にしてくださいね。
      たとえ、一文でも、一文字であったとしても。
      2025/05/11
  •  タイトルが長く問いかけ調にインパクトがあり、惹かれました。話題にもなりましたし…。これだけで自分事として考えるので、効果大ですね。かつて「自分もそうだった」し、仕事と読書の両立への著者の結論に興味があり、読んでみることにしました。

     予想を超えて、明治〜現代の時代ごとの労働と読書に関わる歴史の変遷を、詳細にわたって調査・分析していて、その情報量と緻密さに驚きました。
     ただ、紐解いた膨大な事実と解釈は置くとして、本書表題の問いへの著者の答え、実現のための社会づくりの具体は、やや理想論で薄い気がしました。

     三宅さんは現代社会において、自分に不要な(関係ない)知識(情報)を「ノイズ」とし、コスパやタイパを重視する仕事を突き詰めるが故に、ノイズを排除すべきものにしてしまっているとしています。
     もともと、世界はノイズにあふれています。読書(他者の文脈)をシャットアウトせず、ノイズこそ重要で、あえて受け入れる発想には全面賛成です。

     紙の新聞を俯瞰して眺める、書店の棚をなんとなく眺めるという行為は、新たな気付きや動機付けにつながります。ネット記事や通販のピンポイント情報収集と一線を画しますが、両方のよさが活かされる社会であってほしいと願います。

     改革が叫ばれる働き方は、個人の努力だけではどうにもならないこともあります。それでも、私たちの豊かな思考や想像力の源となるのが読書の意義だと、もっと認知されてもいいですね。

  • Audibleにて。
    読書文化の歴史的経緯と分析は興味深く読んだけど、結論は自分の求めてた内容ではなかった。
    この手の本はいつもタイトル通りの中身ではないので予想はしてたけど。

    私が求めてたのは「忙しくてもどうすれば読書をもっと楽しめるか?」だったのかもしれない。
    人それぞれ違う読書の具体的な楽しみ方やこれからの新しい読書の楽しみ方など、もっと具体的なものが知りたかった。

    私が読書を毎日続けられるのは、ブク友さん達のおかげです。

    「いいね!」のやり取りだけでも、「本が好き」という共通の趣味を持ったブク友さん達と毎日一緒に読書を楽しんで繋がっているような気持ちになるのでとても嬉しい。

    ブク友さん達の本棚からは自分の知らない分野の本も知ることができて、様々な感性のレビューを見るのも楽しいし、皆さんレビューが上手なので勉強にもなる。

    今まで孤独に感じていた読書の時間がとても楽しい時間になりました。
    これからもブク友さん達と一緒に読書をずっと楽しみたいです。

    • bmakiさん
      わかります(*´꒳`*)
      私も1人では年間100冊なんてとても読めなかったです。
      ブクトモさんと出会って、色々な本に出会わせて貰えました...
      わかります(*´꒳`*)
      私も1人では年間100冊なんてとても読めなかったです。
      ブクトモさんと出会って、色々な本に出会わせて貰えましたo(^▽^)o

      Naotyさんの本棚は、私の好きなものどストライクですっ!!
      ミステリも、猫ちゃんも大好きですっ!!

      これからも興味深く読ませて頂きますm(_ _)m
      2025/02/13
    • Naotyさん
      私はbmakiさんのレビューがいつもどストライクですっ!!
      グロや痛いのが苦手というところや、感情移入して喜んだり辛くなったりして読まれてい...
      私はbmakiさんのレビューがいつもどストライクですっ!!
      グロや痛いのが苦手というところや、感情移入して喜んだり辛くなったりして読まれているのも一緒なのが嬉しくて、いつも共感しまくってます。
      正直な感想を書かれているのも大好きで、読みたい本を選ぶ時にいつもいつも参考にさせていただいてます(*´ω`*)

      bmakiさんはコメントも皆さんに温かくて、本当に素敵で優しい方だなぁと思いながら読ませていただいてます(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠♡
      いつもありがとうございます(=^・^=)
      2025/02/13
  • 一気に読んでしまった。それくらいの読みやすさ。
    著者の考えていることに共感しかなかった。

    私は働きながら本が読めてはいますが、孤独な人間に思われて、仕事中に後輩が聞きたいことを聞きにくいと言われたことがあるので、休憩時間の5分間は戯れて、残りは読書をしています。
    全然休めていない気がして、「どっちが無理しているんだろう」と思ったこともあったけど、「そもそも8時間働くのに正規の休み時間が1時間弱しかないのおかしいよ」と思うようになりました。

    やりたいことに対する余暇時間の少なさ。これが何もできなくなる原因の一つでした。

    たばこ休憩も認められているんだ。読書休憩もありだろう。明日からやるかぁ。

  •  本をたくさん読むようになったきっかけってなんだろう?そう思って思い返してみると、私が小学生の時だったかな、読書マラソンみたいなものがあって一冊本を読んだらひとマス塗りつぶしてゴールを目指す、晴れてゴールにたどり着いたら賞状がもらえるというものがあったような…。その後中学高校で自分で本を買ったり、友達と本の貸し借りをしたりして…中学でハマったのが赤川次郎さん、高校のときには吉本ばななさんとか、村上春樹さんの「ノルェイの森」とか読んでたな…。専門学校のときは、まぁ勉強がメインだったけど、ハマったのが綾辻行人さん、就職してからは山田悠介さんとか…よく読んでたかも!

     でも一時期、本を読むことって疲れるって思ってた時期がありました。ドラマとか映画とか映像を見てるほうがラクかなって、自然と読まなくなったことがありました。そんな私がまた本を読むようになったのは、娘が図書館に通うようになったからです。もう、図書館様々です!!図書館に通うようになってから、しばらくして、あれ?何を今まで読んできたのかわからなくなっちゃうのももったいないな…と、ブクログをはじめてみました。そしたらもっと読むのが楽しくなりました。なので、今は働いていても本は読めています!

     この作品って、本を読める余裕を仕事をしていても持ちましょう的な感じでした。でも工夫次第で働いていても本は読めますよね…。本を読めているから仕事も頑張れるって思っている私がいます。実際、ブクログで知り合った読書家さんは、みんな時間をやりくりして、仕事をしていても家事や育児に忙しくても本を読めてますもんね!ワクワクしながら、次は何を読もうかなって思うとき、ちょっと幸せ感じちゃいます♡

    • ぐっちょんさん
      TUGUMI、キッチン読みましたね〜
      確かに覚えてない笑

      ブクログを始める前に読んだ本って、感想を書くつもりで読んでないし、思い出しながら...
      TUGUMI、キッチン読みましたね〜
      確かに覚えてない笑

      ブクログを始める前に読んだ本って、感想を書くつもりで読んでないし、思い出しながら感想を書くプロセスもないから、ポロポロと記憶から落ちちゃうんだろうなぁ。

      吉本ばなな
      懐かしいってなっちゃってごめんなさいです。
      名作多いですよね〜
      2025/05/16
    • かなさん
      ぴこさん、こんにちは!
      やっぱり、吉本ばななさんの
      「TUGUMI」「キッチン」はみんな読んでますよね〜!
      高校生くらいのときかな、み...
      ぴこさん、こんにちは!
      やっぱり、吉本ばななさんの
      「TUGUMI」「キッチン」はみんな読んでますよね〜!
      高校生くらいのときかな、みんな読んでて
      私も友達から借りて読みましたもん♪
      でも、読んだことは覚えていても内容覚えてないんだけど^^;
      いつか、読み返してみたいとは思ってます。
      2025/05/17
    • かなさん
      ぐっちょんさん、こんにちは!
      ぐっちょんさんも読みましたか?
      すっごい流行ってた時期がありましたもんね!
      吉本ばななさんの作品を読むこ...
      ぐっちょんさん、こんにちは!
      ぐっちょんさんも読みましたか?
      すっごい流行ってた時期がありましたもんね!
      吉本ばななさんの作品を読むことは
      一種のステータスみたいな^^;
      読んだことは覚えていても、内容は覚えていない…
      しかも全く覚えてない^^;

      ブクログはじめたのは、数年前からだし
      その前だっていろんな作品を読めるときに読んでいたけれど
      そんな前に読んだ作品のレビューは読み返さないと作れません…
      でも、いつかは読み返して
      レビューを残したいと思ってはいます(*^^*)
      2025/05/17
  • 『疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ』

    この帯を目にした多くの人が「自分のこと?」
    と思ったのでは?

    疲れて思考能力が低下している時、次々と画面に流れてくる記事や動画をただ眺める…
    なんて事が私もある。

    普段新書はあまり手に取らないが、流行に乗って(ちょっと遅いけど^^;)読みたくなった一冊。

    2021年に公開された映画
    『花束みたいな恋をした』
    を参照し、なぜ働いていると本が読めなくなるという声が上がるようになったのか?という問題提起から始まる本書。
    私も大好きな映画なので、すごく入りやすかった。
    うん、いい映画だったな。
    また観たくなっちゃった(*´ェ`*)


    明治時代から2010年代まで、それぞれの年代ごとに労働と読書の歴史が書かれているのだが、これが私にとっては面白かった。

    例えば
    『昭和初期の円本ブーム』
    一冊一円の『全集』を月々に料金を払うシステムで、月給制のサラリーマンがターゲット

    『通勤電車と文庫本は相性が良い』
    1970年代は文庫創刊ラッシュの時代で、人気は司馬遼太郎作品
    (なぜ人気かの考察は第五章に)

    など、時代背景と社会的な階級に合わせた本の出版の歴史には「へぇ~」と思うことばかり。

    そして最終章
    『全身全霊をやめませんか』
    さぁ、どのように結論づけ、まとめていくのだろう…

    あとがき
    『働きながら本を読むコツをお伝えします』
    著者が6つの「コツ」を伝授!

    でもこのコツについては、ブクログに集う我々は既に実践していることばかり?
    わりと普通で肩透かしな感じがした( ´^` )

    • aoi-soraさん
      ひろちゃん
      コツはね、読書アカウントをフォローする、書店へ行く、iPadを使うとか…
      子育てと仕事をしながら、すごいスピードで本を読んでるひ...
      ひろちゃん
      コツはね、読書アカウントをフォローする、書店へ行く、iPadを使うとか…
      子育てと仕事をしながら、すごいスピードで本を読んでるひろちゃんは既に実践してると思う(⁠◠⁠‿⁠・⁠)⁠—⁠☆
      2025/06/01
    • かなさん
      私もこの作品読んで
      あ…もう私実践済み??って思いました(*^^*)
      私もこの作品読んで
      あ…もう私実践済み??って思いました(*^^*)
      2025/06/03
    • aoi-soraさん
      かなさん
      実践してますよね♪
      と言うか、それ以上でしょ
      かなさんが忙しい毎日のどこで読書してるのか、覗いてみたいもの⊙⁠.⁠☉

      かなさん
      実践してますよね♪
      と言うか、それ以上でしょ
      かなさんが忙しい毎日のどこで読書してるのか、覗いてみたいもの⊙⁠.⁠☉

      2025/06/03
  • 流行りに乗り、手に取りました。日本の労働の歴史を振り返りながら、現代人が本を読めない理由を考えていく本。といいつつも、40年前から若者の読書離れは言われていたんですね。いつの世もあまり変わりません。
    現代人が本を読めない理由として、スマホが普及して娯楽が増えたから読書に時間を避けないよね、みたいな凡庸な結論はなく、社会全体の風潮から理由を読み解いているのがとても新鮮で面白かったです。考え方と知識よりも、行動と情報が優先される時代になり、読書特有の幅広い文脈がノイズとみなされている、という話は首がもげるほど頷きました。ただ、そのノイズが欲しくて、私は読書してるんですよね。自分から離れたところにあるなにかしらに触れられることがある種の快感なわけです。そのノイズを許容できる余裕を持てている自分は幸運なのかもしれません

  • 読書論だと思って読み始めたが、文化史論のような、より深みのある内容だった。明治から現在にかけての労働と読書をめぐる日本人の文化的経緯を年代ごとに辿る構成は、さながらNHKのドキュメンタリー番組「世界サブカルチャー史〜欲望の系譜」のようで、興味深く読むことができた。

    各年代のブーム(円本、司馬遼太郎、出版バブル、さくらももこなど)やその背景分析には「そうだったのか」と膝を打つところが多々あった。が、途中から、これは表題の疑問解消に向かっているのかと思い始めた頃、1990年代以降の社会変化、すなわち新自由主義的な思想の影響への洞察のあたりから、ようやく本題に近づいていく。

    作者は、「読書」とは、自分から遠く離れた文脈、すなわち他者や歴史、社会に触れることであるという。労働への全身全霊のコミットメントが内面化された昨今の社会では、これをノイズと感じ、受け入れる余裕が持てないことが表題の真因と看破する。「そういうときは、休もう」「社会の働き方を、全身ではなく、『半身』に変える」という提言も含め、一つのものの見方として納得できた。

    個人的には、「片づけ本」ブームに対する以下の洞察がなかなか興味深く、社会は変えられないものとした上で、自分から社会を遠ざける、見方によっては病的とも言える側面があると認識できたことも収穫であった。
    -----
    「〈部屋〉=私的空間を「聖化」することが、自分の〈人生〉が好転することに直結する、というロジックが「片づけ本」の趣旨である。しかしそこには、本来〈部屋〉と〈人生〉の間にあるべき〈社会〉が捨て置かれているのだ。〈社会〉は自分を傷つけようとしてくる場所である。だからこそ「片づけ本」という名の自己啓発書は、コントローラブルな〈部屋〉をときめくもので埋め尽くすことによって、〈人生〉を社会から守らせようとさせる。」


  • フルタイムで働いていた頃、一日の疲れで、本が読めなかった。能動的な活動である読書よりも、受動的にテレビを見ることで疲れを癒していた。

    仕事を辞めたら、仕事につながる情報を得る必要がないのだから読書はさらに遠ざかるのでは?そう思っていた。でも、答えは否だった。仕事に全力投球しながらも、心の底では学生時代のように思う存分本を読んで音楽を聴きたいと願っていたのだ。

    絹と麦の会話からスタートする序章
    「花束みたいな恋をした」は恋愛の視点で観ていた。
    すれ違いのストーリーにがっかりしたのを覚えている。でも、三宅さんは労働と読書が両立しないという視点でこの二人の距離感を捉えている。

    この本のほとんどは読書と労働関係の歴史が論述されている。日本人がどう本を読んできたのかがわかる。特にベストセラーと時代背景の流れが興味深い。

    ほしい情報以外の偶然の知を得ること。これが読書の良さ。偶然性に満ちた知を楽しむこと。
    ノイズに思えることが他者の文脈につながるかもしれない。

    この本の中にも、タイトルに直接つながらない文脈に触れて、興味が生まれた。理路整然という本ではなかったけど、読書の幅を広げたい気持ちが生まれた。

    あとがきより
    働きながら本を読むために
    1 ブクログ、読書メーター、Xなどで読書情報を得る
    2 iPadなどで電子書籍を利用する
    3 カフェ読書の習慣化
    4 書店に行って刺激を得る
    5 今まで読まなかったジャンルに挑戦する
    6 無理をしない

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著者プロフィール

文芸評論家。京都市立芸術大学非常勤講師。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院博士前期課程修了(専門は万葉集)。京都天狼院書店元店長。IT企業勤務を経て独立。著作に『人生を狂わす名著50』、『バズる文章教室』、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『妄想古文』、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』、『「好き」を言語化する技術』、『30日de源氏物語』など多数。
X(旧Twitter): @m3_myk
Youtube : @KahoMiyake

「2025年 『言葉にできない想いは、どうしたら伝えられるだろう。──悩める大人に贈る万葉集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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