「3000行もの韻律に秘められた愛」
「新訳聖書」は20000行はあるという、そこまではいかないが、ゲーテは1人で3000行の文で50年以上の歳月をかけてこの作品を仕上げた、「色彩論」で「聖書」について特別な思いを書いていたゲーテにとって「愛」や「光」や「神」は人生のテーマであり、詩を書いて、それを集め、整理し構成し、3000行なる詩にまとめ上げた、ゲーテの韻律の特徴は詩の1行目と最後の行に「愛」や「光」や「神」の存在を綴ることだった。
「ファウスト」において「合唱」という歌によってゲーテは「愛」や「光」や「神」などの知の存在とそれらを知らない無知の存在である人との対比を描き人が知の存在へと導かれることを描いた。
ゲーテの音楽論は未完成のままに終わったが「ファウスト」による戯曲を描いたことでゲーテの死後、グフタス・マーラーによる交響曲第8番によって完成された、この交響曲第8番はグフタス・マーラーの妻アルマ・マーラーに捧げられている。
「ファウスト」はモーツァルトが音楽を作るはずであったが叶わなかった、また、ベートーヴェンも第10番を完成することが出来なかった、ただ、彼らが芸術を追求したことでグフタス・マーラーが交響曲の9番のジンクスを避けて番号を組み替えることで交響曲第10番まで完成することが出来た、当時の観衆にとっては期待した第9番が実は第8番だということになるので混乱するが完成はした、グフタス・マーラーの最期の言葉は「モーツァルト」であった、彼らは皆、芸術をとことん追求した、彼らにとって音楽は宇宙のハルモニアと考えられていて音楽を追求することは知の存在を明らかにすることでもあった。
「ファウスト」は悲劇であろうけれども、合唱劇でもある、劇の終盤になるにつれてゲーテの詩も洗練された愛の詩となってくる、愛という光またたく薔薇がファウストに添えられて彼は天国へと旅立つことができたのである。
ルター、バッハ、ダンテ、ゲーテ、モーツァルト、ベートーヴェン、シラー、マーラーなどを知っている人は彼らに1本の薔薇を添えるだろう。
悪魔の大敵であり、不浄なものを焼く炎ともなる
愛のシンボルである薔薇の花はゲーテにとっても愛のシンボルであったのだろう。
モーツァルトがレクイエムでラテン語でイエス・キリストの名を書いたようにグフタス・マーラーの交響曲第8番に引用された「ファウスト」の韻文にもイエス・キリストの名が歌われている。
「ファウスト」はゲーテの讃美歌の最高傑作であろう。