- Amazon.co.jp ・本 (592ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087603699
作品紹介・あらすじ
パリ。プールサイドに寝そべっていた「私=作者」は、見知らぬ女性の、軽やかにひるがえる手の仕草を見て、異様なほど感動し、彼女をアニェスと名づけた…。こうして生まれた「女」の、悲哀とノスタルジアに充ちた人生が、時空を超えて、文豪ゲーテと恋人の「不滅」を巡る愛の闘いの物語と響きあう。詩・小説論、文明批判、哲学的省察、伝記的記述など異質のテクストが混交する中を、時空をゆきかい、軽やかに駆け抜けていくポリフォニック(多声的)な、壮大な愛の変奏曲。
感想・レビュー・書評
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クンデラの語り方は普通の手法や感覚ではありませんね。一見すると、バラバラの短い断章が訥々と語られながら何本もの糸を紡いでいくようです。同一場面のアプローチを微妙に変えながら、読者の短期記憶を何度もリハーサルすることにより中期記憶へと移行させていくのですが、この手法とタイミングが絶妙です。そうやっていくつもの糸を織りなすうちに、見事な絵のような織物があらわれるような高揚感が味わえます。多分こういったところを、音楽で表現される方もいるはずで、多彩な作品なのでしょう♪
「存在の耐えられない軽さ」に比べると、その独特の手法はさらに進化しています。時空を超えて、一見すると脈絡のないゲーテを取り巻く話、そこに同時代のベートーベン、ナポレオン、はたまた時代の異なるヘミングウェイといった歴史上の人物が、違和感なく縦横無尽に動き回りながら、著者の哲学・思弁が織り込まれていきます。
「火星という惑星が苦しみそのものでしかないとしても、火星の石さえも苦痛で呻いているとしても、それでわれわれは心を動かされたりはしないさ、火星はわれわれの世界には属していないからね。世界から離れてしまった人間は、世界の苦痛に無感覚なんだ」
「人間がただ自分自身の魂と戦うだけでよかった最後の平和な時代、ジョイスとプルーストの時代は過ぎ去りました。カフカ、ハシェク、ムージル、ブロッホの小説においては、怪物は外側から来るのであり、それは<歴史>と呼ばれています。……それは非個人的なもの、統御できないもの、計りしれないもの、理解できないものであり――そして誰もそこから逃れられないのです」(「セルバンテスの貶められた遺産」と題する講演記録)
ここで言う「最後の平和な時代」というのが、近代に焦点を当てたものなのか、どこを起点にしたものなのか、いまひとつ定かではないのですが、このあたりをみても、クンデラがいかに小説戦略として現代世界の「実存の探求」をしているか、ということがわかります。
自ずと、不滅(不死)と愛というテーマはヒントになるのでしょうが、いずれにしても形容しがたい作品です。
別の作品も読んでみたいと思わせる魅力に溢れていますし、ゲーテ「ファウスト」のテーマ、愛と不滅に呼応して、クンデラ独自の哲学・思弁を織り込んだ、思索に富む現代的な作品に仕上がっていると思います。 -
500ページ以上に書き記されているのは、一本の軸を基本としながらも、複雑に入り組んだ構成をしている物語である。主人公はアニェスという女性なのだが、作品中にクンデラ自身が登場したり、唐突にゲーテやヘミングウェイのエピソードを挟んだりと一筋縄ではいかない。しかし、それらのエピソードが物語の最終局面に向かい収束していく様子は見事で、思わず唸ってしまう。訳者あとがきにもあったように、これは変奏曲なのだ。オーケストラの演奏のように、それぞれのエピソードが重なり合い、大きな響きを創りだしている。
そういった手法もすごいが、文章中で随所に散りばめられた引用や言葉にも胸を突かれる。
「つまり、仕草のほうが個人そのものよりも個性的なのだ」(p5)
「十九世紀の作家たちが結婚で小説をしめくくるのを好んだのは、愛の物語を結婚の倦怠から守るためではなかった。そうではなく、それを性交から守るためでだった」(p333)
複雑な物語を退屈させずに読ませる、という点でこれらの言葉たちはその役を充分に果たしているのだろう。それもまたクンデラの意図するところかもしれない。 -
いつ読み終わったのか、、
傑作
存在の耐えられない軽さよりも良い
こんな小説あるのか、と -
3回、4回、5回と繰り返し読むのにふさわしい傑作。
クンデラ氏の最高地点ではないか??? -
村上春樹が好きな人は、きっと好きだと思う。
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ミラン・クンデラの集大成
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とりあえず一読。
安易に整理をつけようとすると、作者から嗤われそう。
もう何周か読んできちんと書きたい。
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まさに自由奔放
時間は真っ直ぐ進まなく、現実/虚構の区別も曖昧。
けれども、それぞれの「エピソード」が、複数の主題と結びついていき、壮大な人生の小説となる。
■「不滅」「顔」「イメージ」
2020年代現在、当時よりもより一層、(一般市民の)私たちにとって身近に潜むテーマなのではないか。
私たちは片手一つに収まる電脳世界の中で、ほぼ四六時中イメージの生成に勤しんでいるし、さらにそれを不滅の世界にいとも簡単に残せてしまう。
そして、あまりにも多い顔たち……。
■アニュスが意図もせず、死によって他者の中にあるイメージを強く刺戟したことを考えると、
きっと私たちは不滅にならざるを得ないのだと思う。殊に現在……。
■私たちは定められた主題に沿って、生きている。喜劇的な存在である。
主題と関係がないエピソードは積み重なっていくが、これは謂わば地雷みたいなもので、何かの折に強く私の気持ちを揺さぶる可能性がある。
■記憶は映画的ではなく、写真的である。