- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087605242
作品紹介・あらすじ
アラスカの荒野にひとり足を踏み入れた青年。そして四か月後、うち捨てられたバスの中で死体となって発見される。その死は、やがてアメリカ中を震撼させることとなった。恵まれた境遇で育った彼は、なぜ家を捨て、荒野の世界に魅入られていったのか。登山家でもある著者は、綿密な取材をもとに青年の心の軌跡を辿っていく。全米ベストセラー・ノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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大学を卒業後、ヒッチハイクを繰り返しながらアラスカへ辿り着いた青年は一人で荒野へと足を進める。結果、彼は荒野に置き捨てられた廃バスの中で孤独死し、アメリカ中を震撼させることとなる。
いったい彼はなぜ荒野へ足を運んだのか?そして荒野での廃バス生活の中で何が彼を孤独死させる要員となったのか?極めてミステリアスなこの出来事を巡って描かれるノンフィクションが本作である。
アメリカ出身の稀代なるノンフィクション作家、ジョン・クラカワーの出世作である本作では、若かりしクラカワー自身の姿が孤独死した青年に重ね合わされている点が魅力的である。かつて、若きクラカワー自身は登山を通じて自己のアイデンティティを確立しようともがいていた。その姿は孤独死した青年と重なり、”荒野への冒険を通じて自己のアイデンティティを証明する”のが青年の冒険の目的だったのではないか、というのが冒頭の問に対するクラカワーの仮説である。
しかし、青年の失敗はアラスカという極めて過酷な自然に対する甘えであった。刻々と変わる自然状態の中で青年の行動圏は徐々に狭まっていき、食料も尽きる中で栄養失調と共に死を迎えることになる。青年が廃バスに残した日記には、その恐怖がありのままに残されており、読み手を震撼させる。
誰しもが若き時代に一度は考える自らのアイデンティティの確立。一人の青年は危険な登山で死の間際にまで直面するが何とか生き延び流ことに成功し、方やもう一人の青年は孤独に死を迎えることになる。その対称性が痛ましく悲しく映る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
20代の男性がアラスカのバスの中で腐乱死体となって見つかるまでの話。
自然に憧れて、その自然には牙を剥かれ喰われた、という感じ。
散々批判されてた通りに準備不足だったんだろうなとも思う。
きっちり準備してたって死ぬ時は死ぬのが山とかそういう地域だし。
元々のスキルその他が高くて、自分ならなんとかなると思ってしまったのか。
準備不足でアラスカの自然の中に4ヶ月間生き延びれたっていうのはすごいと思う、けどやっぱり無謀。
ただ、その憧れはちょっとだけわかる。 -
「本の雑誌がつくる夏の100冊」から、まずこれを。クラカワーはずいぶん前にエベレスト登頂について書かれた「空へ」を読んで、とても面白かった記憶がある。これも、人間を拒絶するようなむき出しの自然に惹かれて、最終的には命を落としてしまった若者の軌跡が共感を持って書かれていて、いろいろ考えさせられた。
この青年が、アラスカの荒野へ、十分な装備を持つことなく分け入っていったことに対して、愚かで傲慢だと厳しく批判する声も多かったそうだ。著者は、青年に若かった頃の自分と共通するものを感じ、あくまで彼の心に寄り添って考えようとする。家族や彼と接触を持った人たちの証言を丁寧に追いながら、荒野に惹かれていく彼の心情や、餓死に至ってしまった原因を追求していく。
読み進めていくうちに、次第にこの若者の人物像が厚みを増していく。確かに、未熟で視野の狭いところはあっただろうが、若い時って誰でもそうじゃないだろうか。たまたま危険な淵に近づかなかったり、偶然に助けられて事なきを得たり、大なり小なりそうした幸運の積み重ねによって、疾風怒濤の青年期を通過していくものではないだろうか。
彼の家族、特に母親の悲嘆が胸に痛い。ほんの少し事態が違えば、彼はおそらく荒野から帰ってきて、再び人との交わりの中で生きていったように思われる。拒否していた両親の愛情も受け入れられる日が来ただろう。運命の重さに粛然とした気持ちになる。 -
映画を観たあと、数年経ってから読んだ。良くも悪くも原作のほうが筆者の思い入れが強く現れているような気がする。アレックスという一人の人間の心のうちに少しでも寄り添おうとして、細かな手かがりでもとにかく全部拾っていく。人間の行動を簡単に表面的に理解して心理学用語で分類して片付けるなんてできないと改めて感じた。
壮大な自然に憧れたり、文明に嫌気が差すことはあっても、人と人とのつながりは心に絶対に必要な要素なんだろうなあ。 -
友人のおすすめ本。
2008年に映画化もされてます。
ノンフィクション。著者のクラカワー自身が登山家であり彼の経験したエピソードを交えることで、恵まれた環境から抜け出し数年の放浪の後1992年にアラスカで餓死しているところを発見される20代青年の軌跡がより鮮明に浮かび上がっていると思う。
バックパックひとつ背負って世界中を旅するのとはまた一線を画した放浪の旅であり、そういう人種もこの世には少なからずいるということはわかった。決して破滅に向かいたいのではなく、あくまで本人にとっては前向きな生き方のようだ。
所謂冒険家とは全然違う気がする。冒険家は最後は必ず生きて生還するために万全の準備を整えて旅に出ていると思う。(亡くなった彼はほぼ全ての食料等を現地調達しようとしてアラスカへ向かっている。)
読んでる途中では、亡くなった登山家栗城さんを思い出してしまった。
2024年のアメリカでもこのような旅ができるのだろうか?広大な国土だからまだまだ未開の地はあるのだろうか。
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アラスカの荒野に一人分け入って、帰ってこなかった若者の物語。読んだあと、ネットを検索してみたら本人が最後に撮った写真が見つかった。映画になったと聞いていたので、映画のワンシーンかな、と思った味のある顔。ボロい服を着こみ、髭面で痩せてはいるが、生き生きとした目をしている。やせ我慢には見えない。彼なりに楽しかったのだろう。
想像していたような、若い隠者風の話ではなかった。彼を荒野に向かわせたのは、自然への憧憬や社会の生きにくさではなく、こうあるべき、という理想論のようなものだ。青臭いが非難するいわれはなく、結果としてクリスは死んだがそれは事故で、他人がどういういう筋合いのものではない。家族は辛かっただろうとも思うが、だからまじめに地道に生きていけ、というのもずいぶん傲慢な言い分だとぼくは思う。
長生きをすればよい人生、というわけではないし、アラスカの廃バスの中で一人で餓死したら悪い人生、というわけでもない。 -
命は儚い。
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雑誌で各分野の有名人が影響を受けた本を紹介していて、確か恐竜の発掘をしている学者が紹介していた。
今やアラスカと聞けばこの本の主人公、クリス・マッカンドレスを思い出すようになった。
なぜか私はこういう、遭難する話が大好きだ。
新田次郎の「孤高の人」や、「八甲田山死の彷徨」、オーストラリア探検隊の滅亡を描いた「恐るべき空白」、消息を絶った女性飛行士アメリア・イアハートの話のように、生命感覚を刺激される一冊だった。
食料が手に入らなくて餓死する手前の、かなり痩せた主人公の青年マッカンドレスが、遺体となって発見されたバスの前で笑顔で撮影した写真を見るとなんとも言えない。
またマッカンドレスが旅先のマクドナルドでバイトして旅費を稼いでいたという話が出てきて、現代の話なのだなと思った。
この青年と私は何年か、共に同じ時代を生きていたのだ。
マッカンドレス以外にも、過去のアメリカ史において文明を離れて生きることに取り憑かれた人物の話が出てくる。
作家自身が、冬季登山で死にかけた話も出てくる。
エヴェレット・ルースなんて人の話を初めて知ったが、面白かった。
アラスカの原野で石器時代と同じ生活を試みて、結局それは無理だったと言い残して自殺してしまった男性の話は衝撃だ。
かつて我々は洞穴に住み、石器を研ぎ、マンモスを狩って暮らせていたはずだ。なのに、今や火の起こし方もよく知らない。
ロビンソン・クルーソーを読むときにも感じた、動物としての生存本能が薄れゆく危機感を思い起こす。
恐竜学者がこの本を紹介したといったが、さらにこの本のおかげでジャック・ロンドンと「野生の呼び声」などの作品、トルストイの「戦争と平和」を読むきっかけができ、新しい世界が開けた。
これらはマッカンドレスの愛読書だった。
名も無いアラスカの青年が私に与えたもうひとつの影響だ。
こういった形でも名著と、その豊かな読書体験は後世に受け継がれていく。 -
「空へ」の著者、ジョン・クラカワーのノンフィクション。
1992年アラスカの荒野に置いてある廃バスの中で餓死した死体が見つかった。
そこで死んだ青年は、大学卒業とともに有り金を寄付し、放浪の旅に出て、最後にアラスカにたどり着き、自分の力だけで荒野で生活することを目的とし、荒野に分け入っていった。
死体が見つかって、著者は雑誌に寄稿する。
反響が予想以上に大きかったため、改めて死体の主「クリス・マッカンドレス」の足跡をたどる。
冒険とは何か、自分とは何か?