- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087714319
作品紹介・あらすじ
執筆期間15年のミステリ・ロマン大作『鈍色幻視行』の核となる小説、完全単行本化。
「本格的にメタフィクションをやってみたい」という著者渾身の挑戦がここに結実…!
遊廓「墜月荘」で暮らす「私」には、三人の母がいる。孔雀の声を真似し、日がな鳥籠を眺める産みの母・和江。身の回りのことを教えてくれる育ての母・莢子。表情に乏しく、置き物のように帳場に立つ名義上の母・文子。ある時、「私」は館に出入りする男たちの宴会に迷い込む。着流しの笹野、背広を着た子爵、軍服の久我原。なぜか彼らに近しさを感じる「私」。だがそれは、夥しい血が流れる惨劇の始まりで……。
謎多き作家「飯合梓」によって執筆された、幻の一冊。
『鈍色幻視行』の登場人物たちの心を捉えて離さない、美しくも惨烈な幻想譚。
【著者略歴】
恩田陸(おんだ・りく)
一九六四年生まれ、宮城県出身。九二年、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作に選出された『六番目の小夜子』でデビュー。二〇〇五年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞と本屋大賞、〇六年『ユージニア』で日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門、〇七年『中庭の出来事』で山本周五郎賞、一七年『蜜蜂と遠雷』で直木三十五賞と本屋大賞を受賞。ミステリ、ホラー、SFなど、ジャンルを越えて多彩な執筆活動を展開する。他の著書に、『スキマワラシ』『灰の劇場』『薔薇のなかの蛇』『愚かな薔薇』『なんとかしなくちゃ。青雲編』など多数。
感想・レビュー・書評
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恩田陸さんの作品では3作品目を読了した。この作品は、私にとって新たな作品世界との出会いとなった。読み始めて、いつの時代のどのような状況だろうかと、謎めいた感じがして、想像の世界に入り込めなかった。過去にこのような現実世界があったのだろうか、そのように想像させられていた。それが逆に、読み進めて、この作品世界を知りたいという欲求にもなった。
主人公はビイちゃん。子供なのだが、年齢は明らかではない。ビイちゃんとは呼び名で、本名も分からない。このことも、後の展開への伏線となっていく。冒頭で、母親が3人いるという、特異な設定へと誘われた。時代や状況など、はっきりとした場面設定が示されてなかったことによって、このビイちゃん目線での不思議な世界へと自然と入り込んでいた。3人の母親は、和江、莢子、文子であった。和江は産みの母、莢子が育ての母、文子が名義上の母。それぞれの母親としての意味はどういったことなのだろうと疑問に思いながら、興味をもって読み進めた。それぞれの母親とビイちゃんとのつながりは、少しずつ明らかになっていくのだが、それが本当なのかは分からない感じで、混沌とした世界であった。そのような中、ビイちゃんは母親を感じることがなく生活を送っていた。それも、この作品世界を特別な世界と感じさせられる要因となっていた。そのような中、物語の終わりにむかって、この設定と関係の背景が徐々に明らかになっていく。
作品の舞台となる墜月荘は不思議で奇妙で妖艶なものを感じた。部屋や外観が和風と洋風と中華風、黒の瓦葺き、造りは煉瓦、コンクリート、木造からなり、壁の色は紫がかった灰色、山中の館で際立つ妖しい色。部屋の窓は八角形で、各部屋とつながる回廊に欄干があり、それは中華風。池の上に張り出した座敷、離れのレストラン、和風と洋風の混在。庭は、枯山水、バラ園、菖蒲池、稲荷と統一感がないことが、一層の神秘性と妖しげな雰囲気を醸し出し、作品世界を現実から離れた世界としての想像が広がる。この世界は幻か亡霊か、現実世界にはない世界にいる感じがずっとする。
莢子が名付けたビイちゃんという呼び名。ビー玉から名付けたところに、ビイちゃんへの思いのなさを感じつつ、莢子はビイちゃんに勉強を教えていた。このことは、この館の中で過ごすことに当てはまらない不思議な感覚があった。なぜ勉強なのだろう、しかも館の中で、私の疑問は膨らみつつも想像世界を楽しんでいた。
奇妙な館である墜月荘では、残虐な場面や血が流れる場面も描かれていて、尋常ではない独特の世界へと誘われる。また、墜月荘にある月観台という場所から、交流部と呼ばれる部屋が一望でき、そこからみる状況の描き方が独特で、現実とはかけ離れている様子をより一層感じた。これも、恩田さんの詳細で丁寧な表現に、私がはまっている感じなのだろう。登場人物も独特で素性がわからない。名前と通称が入り混じって描かれていることも影響があるのだろう。私の想像を広げるそれぞれの登場人物の個性が際立つ。物知りの子爵、軍人の久我原、作家の笹野、浅黒で長身のなめくじ、物静かで無表情の匕首、成金の凍み豆腐、そして集団の呼び名であるカーキ色たち、墜月荘の用心棒の種彦とマサ。それぞれが個性的であり、想像の世界がどんどん広がる。個性的な登場人物による残虐なシーンもあり、それが現実離れした独特な世界を際立たせている。見てはいけない世界を覗いているような錯覚を得る。そのような中で、ビイちゃん目線での世界観だからだろうか、救われないモヤモヤとした感情が蠢くが、一方でそれがこの作品世界の魅力とも感じる。今まで読んだ恩田さんの作品との違いに、その魅力も感じる。この世界を描きたいという恩田さんの熱量も感じる。
ラストに向かって、ビイちゃん呼ばれた理由や、その素性が明らかになり驚愕する。この作品は『鈍色幻視行』との作品のつながりがあるということなので、『鈍色幻視行』を読むことが楽しみになった。新たな恩田さんの作品の魅力を充分に味わった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『鈍色幻視行』を読んだ後、気になって仕方なかった本。
幻の作家「飯合梓」によって執筆された幻想譚といったらいいのだろうか。
リバーシブルカバー仕様になっているところにも細やかさを感じる。
昭和初期の遊廓だろうか、山のなかにある「墜月荘」にいる私には三人の母がいる。
鳥籠を眺めて、ときおり奇声を発するのが産みの母・和江であり、身の回りのことを教えてくれる育ての親は、莢子。
無表情で帳場に立つのは文子。
私が鳥籠のなかにいるように三人の母をじっと眺めている。そんな奇妙な感覚のなか始まる夜と、夜が終わるところで生きていた。
私が見たもの。
私が書いたもの。
それは、まるで空想の出来事のようであったがすべてが終わったとき、現実だと感じる。
荒唐無稽な話のようであると思わせるのが、またこの昭和初期という時代だからだろうか。
私自身が何者であるのか、性も偽ることで「墜月荘」でいられた理由や私がしたことは本当なのか…。
あの「墜月荘」を忘れることがない私は、ずっと「ビイちゃん」のままでいたかったのかもしれない。
妖しく昏い話だった。
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人里離れた洋館。そこに集う人々、この世にあらざるものが見える美しい子ども…。
霞がかった、常に何かを含ませるような。そして、耽美的で怪奇的な恩田ワールド楽しめました‼️
恩田さんの作品の中には、謎がほとんど解明されないまま終わってしまい、「でも、文章を楽しめたからいい!」と、思うものもあるのですが、今回の作品は全ての謎が解き明かされます。それが作品としてよかったのかは謎。 -
好みの世界観の一冊。
こちらから読めば良かった。
誰もの心を掴んで離さないという飯合梓 書「夜果つるところ」はまさに耽美、幻想という言葉がしっくりくる恩田さんらしいグレー一色の世界。そこに赤の色彩だけが飛び込んでくる、そんな世界観に魅了された。
遊郭という舞台設定、革命という時代設定も陰鬱が纏い好み。
三人の母と共に過ごす限られた世界での「私」の時間はその場で一緒に体験しているような錯覚さえ覚えるほど。
そして次第に重さを増す時代背景と数々の言葉が意味するものの描き方が綺麗。
歪んだ鏡を見ているような余韻が続く物語。 -
「鈍色幻視行」を読んですぐに「夜果つるところ」へ。
やっぱり、この順番で正解。
鈍色…の登場人物が惹き付けられた世界観をあれこれ想像しながら読むという、普段とは違う楽しみ方が出来たのがよかった。
装丁も内容にマッチしていて素敵! -
恩田陸先生の『鈍色幻視行』内で話題に上がる謎の作家、飯合梓が唯一世に出した作品。
びぃちゃんには3人の母親がいる。
産みの母親、育ての母親、名義の母親。
びぃちゃんは山奥の墜月荘という遊廓で暮らしているのですが、びぃちゃんはなぜ遊廓で育てられるのか、何者かもわかりません。
そんな墜月荘では次々と人が死んでいき、最後には…
これは昭和のある時期を舞台にしたダークファンタジー小説だなと思いました。
一見、はじめは平たんに見えるストーリーで、これは鈍色幻視行で読んで思ってたのと印象が違うなと思ったのが本音。こんな作品になんで皆踊らされてるのかと。
しかし、読み進めれば読み進めるほどに陰鬱さは増していったのですが、呪いとでも言いますか、陰鬱になればなるほど墜月荘に引き込まれていく私がそこにいました。
登場人物が死んでいく度に次は誰が死ぬのかと気になり、最後のほうは日本の歴史のここに話がつながるんかい!?となりました。
淡々とした語り手のびぃちゃんを通じて描かれる登場人物たち。本当に彼らはびぃちゃんが思うような人だったのかは謎ですし、語られる登場人物の死や墜月荘はどこか幻想的でファンタジックで、不思議な世界。
読み返す度に感想が変わりそうな作品で、読後は鈍色幻視行内で語られてたまんまの感想を抱きました。
鈍色幻視行と本作、どっちを先に読むべきかは正直私にはわかりません。どっちから読んでも、良い気がするし、先にこっちを読んで、鈍色幻視行を読んだ感想も正直聞いてみたい思いもあります。
ただ、本作を読んで思ったのは、自分自身が何者かなんて自分でもわからないのに、なんで他人の真実がわかることがあるのか?いや、わかるわけないだろうということです。
結局、自分が何者かなんて鈍色幻視行のとある登場人物が言った、虚構の中にあるんじゃないかということです。
そんなことを感じつつ、読後感は不思議な気分にさせられる作品だと思いました。
追記
本作を読もうと思った初日になぜか仕事でクレームが入り、読書の気分じゃないくらい陰鬱とさせられ、2日目の昼は本をむき出しで手にもって昼休憩に行ったらゲリラ豪雨にあい、その夜に焼き鳥屋さんでお酒飲みながら読んでたら、隣の客が粗相をして本にゲ◯がかかるという前代未聞の悲劇にあった本作のパワーは並じゃないなと思いました。ほんまにこの本、呪われてるんじゃね?と思ったのは内緒です。
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前読み「鈍色幻視行」を読まなくても、十分に堪能できる。
昭和初期という時代背景、なにかヒリヒリした世界の中に幻想的な雰囲気が漂い、まさに古典を読んでいるようである。
前作で、中身は大体わかっていたはずだが、なるほどそうきたか・・・と改めて驚かされる展開である。