- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087715781
感想・レビュー・書評
-
レインボーフラッグもLGBTという言葉も、本作を読むことで初めて知った。
LGBTとは、Lesbian、Gay、Bisexual、Transgenderの各セクシュアルマイノリティの頭文字の略号から構成され、LGBTを象徴しているのが、「レインボーフラッグ」であるようだ。
また、レインボーフラッグを考案した人物は、サンフランシスコのギルバート・ベーカー氏で、1976年にはフラッグが既にデザインされていた。また、1978年6月25日に「サンフランシスコ・ゲイ・フリーダム・デイ・パレード」という公の場もあったようである。
当初は8色のフラッグであったが、ピンクとターコイズを抜いた現在では6色となっている。
8色は、ピンク=性、レッド=生命、オレンジ=癒し、イエロー=太陽、グリーン=自然、ターコイズ=芸術、ネイビー=調和、パープル=精神である。ターコイズがなくなるのは理解できても、ピンクは重要ではないかと思ってしまう。
本作は「別居中の夫との関係に苦しんでいた泉は、両親との関係に悩み、命を絶とうとしていた千代子と出会う。戸惑いながらも、お互いをかけがえのない存在だと気づいたふたりは、泉の一人息子・草介を連れて、星がきれいな山里「マチュピチュ村」へと駆け落ち。新しい生活が始まる―。特別なようでいてどこにでもいる、温かな家族の物語。 (Google booksより)」である。
自分がマジョリティーであると、違う世界で生きる人たちのことをこんなにも知らなかったのかと改めて認識すると同時に家族のあり方を考えさせる作品であった。
実はこの本の前に読んだ、辻村深月さんの「朝が来る」で子供を授かることができない夫婦と子供を育てることができない母親について、家族の血の繋がりについて考えた。本作で偶然にもこの問題を考えることになった。
血が繋がっていなくても、結婚していなくても(結婚できなくても)、一緒に暮らし、人生を共に歩んで行くことで、血の繋がりに以上に繋がりが太く、強くなっていくことがある。もちろんそれは、お互いが信頼し、相手に対する優しさがあることが前提ではある。そのことを本作から学んだ。
高橋泉(泉ちゃん)と息子・草介、島原千代子(おチョコちゃん)とその娘・宝。二つの家族がタカシマという1つの家族となり、家庭を築いていく。本作の中でも『はしっこ』という言葉が出るように、泉ちゃんもおチョコちゃんも自分たちは端ではあっても世の中、世間という集合体の中にいると括っている。この言葉が登場する度に何が普通で、普通でないのは何なんだろう?
今でこそ、テレビを通してセクシャルマイノリティーの芸能人が活躍している。心のギャップに問題は抱えていても、人間としての問題はなく、物事に対する思慮や人に対する配慮は、お手本とすべき人がたくさんいる。普通ではない、一般的ではないという考えよりも、人としてその考え方、人としてその行動のとり方をもっと考えなければならないと認識する。
いきなり同性愛者という課題を突きつけられ、はじめは戸惑ったが、家族のあり方、人との接し方、人生の歩み方について新しい考え方を提案されたように感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カカとママと草介と宝。
日本で一番星がきれいに見える里〈マチュピチュ村〉での、家族の物語。
設定や展開が唐突で、最初の方はちょっとありえない感じがあった。
それがだんだんと、家族の魅力にひかれていく。
視点人物を変えながらえがかれる、高島家の暮らし。
反抗期も喧嘩もあるけれど、根底には相手を大切に思う気持ちがあり、あたたかく、時に泣ける。
草介の最後は、もやもやするものがあった。 -
三十代半ばの泉は、別居中の夫との行き詰った関係に
苦しみながら小学生の草介と二人で暮らしていた。
ある日、駅のホームから列車に飛び込もうとしていた
女子高生の千代子を助ける。
千代子は、自由な生き方を認めない両親との関係に悩み
傷付いていた。
お互いをかけがえのない存在だと気付いた二人は、
星が綺麗な山里『マチュピチュ村』へ駆け落ち
新しい生活が始まる--。
千代子の妊娠を知る。
二人の母と二人の子供の『タカシマ家』
16年間の軌跡…。
章ごとにそれぞれに視点が変わり、時間も進んで行きます。
読み始めは、何て安易な…駆け落ちって…。
出会いから駆け落ちまでが、余りにも早く
何となく共感も出来ず、戸惑いました。
血が繋がってなくても、毎日の生活の積み重ねで時間を掛けて
少しずつ形成されて家族になっていくんだなぁ。
家族には男も女も年齢も関係ない…。
終わりの方は涙・涙・涙でした。
タカシマ家の『虹色憲法』
そして、ニイニイ…タカシマ家の憲法を守れなかった…。
優し過ぎたニイニイ・優しさナンバーワンのニイニイ
切な過ぎます。
目覚めて欲しい…。
小川糸さんの著書を初めて読みましたが、
とても温かい文章を書く人でした。
素敵な作品でした。 -
小川さんの本は大衆向けだなっていつも思う。例え今回のようにレズビアンをテーマに入れたとしても。面白い面白くないで聞かれたら面白い。けれど好きか嫌いかって言われたら好きではない、になる、個人の見解ですが。綺麗すぎて好きじゃない。安定しすぎてて好きじゃない。人の死を絡めすぎてて好きじゃない、のだ。
夫と別居中の主婦高橋泉と近所でも評判のいい医者の高校生の娘島原千代子があるとき出会い恋に落ち、駆け落ちをする。千代子のお腹には泉と出会う前にヤケクソになって男と関係を持った際に宿った子供がいた。駆け落ちをしてマチュピチュ村のボロ家に越し、高橋と島原を合わせてタカシマヤ家を結成する。家の外にはレインボーフラッグわ掲げ、同性愛への偏見と戦いながらタカシマ家の結束は強くなり、マチュピチュ村の中でも次第に打ち解けていく。
はじめは泉目線の章、次は千代子、次が泉の息子の草介、そして最後は千代子の産んだ娘の宝。
駆け落ちをし、ゲストハウスをつくり、ハワイで結婚式とハネムーン、そして千代子の病気に草介の恋心と生と死。
これが幸福な物語なのかはたまた不幸な物語なのかはわからない。けれどおそらくこれは幸福な物語であって、癌とか交通事故とか、血の繋がりのない特殊な家族とかそういったスパイスを散りばめながらも、これは正真正銘の幸福な、未来ある家族小説として描ききっている。
泣けるのかもしれない。けれど、わたしはやはり好きではないなって、読後しばらくたったあとも思うのです。こういう、よくある感じのドラマっぽい話、好きじゃないなと。 -
最後は涙涙だった・・
この話を読んでいると女性同士のカップルってのも悪くなさそうに思える。もちろん、現実には辛いこともたくさんあるのだけれど。
途中まではいままでにじって不吉な予感?みたいな印象だったなぁとか(キレイだし、見つけるとわぁって思うのに)、この物語でいろんな形の「にじ」が出てきていいなって思っていたのに、宝の物語で急変した。ちょっと予感はしていたけど。草介は何を思っていたのだろうか。 -
泉ちゃんとちよこちゃんの夫婦がとてもよかった。
家族の形はいろいろ。
でも最後ニーニと宝が報われなくて残念。 -
子持ちのレズビアンカップルが故郷を離れて、田舎で一緒に暮らし始める。
都会で「手を繋いで歩」いた時の理想と現実の乖離が切なかった。
自分のアイデンティティを周りに伝えたいと思うチョコちゃんと、敢えて周りに言う必要はないと考える泉ちゃんの違いも印象的だった。 -
虹色に輝くアットホームな物語と思っていたら、LGBT家族の話にビックリした。
LGBTに慣れていない私は戸惑いながら読んだ。
家族とは何か。考えさせられた。
家族の2人が亡くなる結末に作者の複雑な気持ちを感じる。 -
人それぞれなのだから、本人が納得していればそれでいいと思うのだけれど、周囲からすると「他と違う」というのは許せないことなのかもしれない。親ともなればなおさらかぁ。
千代子は泉と出会ったから、泉は千代子と出会ったからお互いが救われた。
お互いを補いあうような関係、いいな。 -
まさかレズビアンの話とは思わず読み始めたけど、家族の形はそれぞれなんだと思わされた。
途中までは温かい気持ちで読んでたのに、後半が…。
「そこで終わる!?」
と思ってしまった。
モヤモヤが残る読後感。 -
マチュピチュ村行ってみたい!
-
ふたりの母親とふたりの子供。偶然が重なって生まれた奇跡みたいな家族の物語。
先日、わたしを可愛がってくれていた叔父が亡くなり、葬儀に参列して命の儚さに思いを馳せていたところだったので、なんだか色々と考えてしまった。
死にたいと感じても、生きていればその後の人生できっと嬉しいことや幸せなことが待っている。地獄のような日々しか待っていないことなんて、死ぬ気で環境を変えればきっとない。
それでも人はいつか死ぬ。死ぬ日に向かって生きている。
そうなると今日というこの日を楽しく生きるしかないんだよなあ。
そのために胸を張って自分らしく生きることを選んだ彼女たちは強いし、その選択に巻き込まれたふたりの子供たちの成長が読んでいるこちらまで嬉しくなるものだった。
その後のこの家族がどうなっていくのか、奇跡が起きるのかは分からないけど、きっと彼女たちなら幸せに生きていけるとそう思った。 -
ふたりの母親とふたりの子ども。偶然の出会いから
始まった”同性婚”のタカシマ家。たくさんの
喜びといくつもの悲しみに彩られた、16年間の
軌跡を描く。 -
ハワイ語で「オハナ」=「家族」のこと