- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087732177
感想・レビュー・書評
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『十五少年漂流記』や『八十日間世界一周』など少年向け冒険物語が有名なジュール・ヴェルヌの幻の作品。書いた1861年当初は出版されませんでした。
1960年頃のパリが舞台。世の中は科学に重きを置いていて、もはや文学や芸術は価値を持たない。主人公のミシェルはラテン語で一等賞を取るが、そもそもラテン語を学ぶ学生は他にいなかった。
両親はおらず、意地悪な叔父家族に厄介になっていて、彼の意志に反して銀行に就職させられる。配属された部署の計算機はピアノの形をしていて、うまく操作できない。なんだかボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』のイメージ。
古典を探し求めてたどり着いた図書館には「もうひとりの叔父」と名乗る男性が登場。しかしそこでも過去の文学はすべて残す価値の無いものとして扱われていて嘆く叔父。
ピアノ計算機が向いていないミシェルは文書を書き留める担当に配置換えされるが、そこで知り合った同僚キャゾナスと気が合う。図書館で知り合った叔父、叔父の友人の孫娘に恋をして、ようやく人生の春がやってくるミシェルだが、それを打ち明けると友人キャゾナスは狼狽し「女性なんて幻想だ」と暴れてしまい、なぜかふたりとも仕事をクビになってしまう。
友人は不動産資産があるので旅に出る余裕があるが、ミシェルは路頭に迷い、なんとか大衆向け芝居の脚本を書く仕事に携わるが、あえなくここでも挫折。最後のパンを買うお金を、彼女に渡す枯れたスミレの花束に使ってしまうというその精神は美しいけれども、それで生き延びることはできない。
ちょっとひどい話である。おそらくこの内容が文明社会批判というテーマであるという理由よりも、この本が出版されなかったのは作品として稚拙であったことも言い訳のように巻頭に述べられていて、後に有名になるような“当たる”作品ではなさそうだという出版社の判断があったからに他ならない。
でも求められる時代に供給されることに意味があるのなら、今の時期に読まれるのはそんなに間違ってない。文学って社会的に価値が低い学問と思われがちだ。でもそれは今も昔も変わらない。日本にしても、名だたる文豪は殆ど実家が裕福だ。文章書いて生活が許されるって、生活するアテがないと難しい。
作中には有名な作家だけでなくマイナーな劇作家がぞろぞろ挙げられていて注釈もたくさんあるけれども、それらに興味がなければ多くの人にとってはダルい本となりえるだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんともヴェルヌらしい本。物質的富とはなんなのか考えてみよう