裸の大地 第一部 狩りと漂泊 (裸の大地 第 1部)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087817140

作品紹介・あらすじ

『極夜行』後、再び旅する一人と一匹に、いったい何が起こったか。
GPSのない暗黒世界の探検で、日本のノンフィクション界に衝撃を与えた著者の新たなる挑戦!
探検家はなぜ過酷な漂泊行にのぞんだのか。未来予測のない世界を通じ、人間性の始原に迫る新シリーズの第一作です。
「この旅で、私は本当に変わってしまった。覚醒し、物の見方が一変し、私の人格は焼き焦がれるように変状した」
―――本文より


四十三歳の落とし穴
裸の山
狩りを前提とした旅
オールドルート
いい土地の発見
見えない一線
最後の獲物
新しい旅のはじまり
*巻末付録 私の地図

著者プロフィール
角幡唯介(かくはた ゆうすけ)
一九七六年北海道芦別市生まれ。早稲田大卒。探検家・作家。チベット奥地のツアンポー峡谷を単独で二度探検し、二〇一〇年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第八回開高健ノンフィクション賞、一一年同作品で第四二回大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。
その後、探検の地を北極に移し、一一年、カナダ北極圏一六〇〇キロを踏破、一三年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第三五回講談社ノンフィクション賞。一六〜一七年、太陽が昇らない冬の北極圏を八十日間にわたり探検し、一八年『極夜行』(文藝春秋)で第一回Yahoo! ニュース 本屋大賞ノンフィクション本大賞、第四五回大佛次郎賞。ほか受賞歴多数。
一九年から犬橇での旅を開始、毎年グリーンランド北部で二カ月近くの長期狩猟漂泊行を継続している。近著に『狩りの思考法』(清水弘文堂書房)。

感想・レビュー・書評

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  • 何でもやれると勘違いしやすい…「43歳」に多くの冒険家が命を落とすのは偶然ではない それでも私を北極に向かわせた「焦燥感」の正体 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
    https://president.jp/articles/-/56524

    裸の大地 第一部 狩りと漂泊 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」
    https://subaru.shueisha.co.jp/books/2205_2/

    角幡 唯介 裸の大地 第一部 狩りと漂泊(刊行記念インタビュー)
    http://gakugei.shueisha.co.jp/image/kikan/hadakanodaiti/essay.html

    裸の大地 第一部 狩りと漂泊/角幡 唯介 | 集英社 ― SHUEISHA ―
    https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-781714-0

  •  なぜか、第2部から読み始めて、この第1部にたどり着くという、まあ、知らない人との出会いという時にありがちな展開なのでしたが、だから、第1部で二人、じゃなくて、一頭と一人で橇を引いて歩く相方のエスキモー犬、ウヤミリックくんのことはすでに知っていたりするわけですが、だからこそかもしれません、道ばた、ウーン、そんな場所がグーンランドの果てにあるのかどうか(笑)、でころがっているジャコウウシの死体に、二人で、いや、一頭と一人で、欣喜雀躍して、あまりの臭いに食べられない一人が、平気で食べて、デカいうんこをする一頭に嫉妬する様子なんて、サイコーですね(笑)
     あれこれは、ブログに書きました。そっちも、覗いてくださいね(笑)。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202310140000/

  • ーーあらゆる細密な情報が書きこまれた、私以外のすべての人にとっては完全に無用な地図。でもだからこそ、そこに書きこまれていることが私という存在そのものであるという、そういう地図。…そういう地図を、私はつくろうと思った。(p.284)

    時系列的には『狩りの思考法』の前段にあたる極地行。角幡さんとウヤミリックの1人と一匹で旅するのは、確かこれで最後だったはず。この後、犬橇という新しい旅行法に舵を切る、そのきっかけとなった出来事が語られる。
    冒頭で引用したのは、その末尾の部分。
    角幡さんは足と文字の両方で物語を語る人なんだなと思った。地図の上に自分の足跡を残し、そして残した足跡が如何なる意味を持つのかを文字化することで理解し、腹に落としているように思える。

    たぶん似たような(もちろんスケール的には極小の)経験は自分もしていて、それは幼少時の体験に顕著だ。たとえば、無謀にも三輪車で四キロ以上離れた集落に住む曽祖母に会いに行った時の道は、四歳の記憶のはずなのに田んぼの稲の伸び具合や空の青さ、橋の勾配の具合すら鮮やかに記憶されていて、それ以後30年以上訪れていないが、今行ったとしても、迷わずに行ける自信がある。それはおそらく、行けば曽祖母に会えるという根拠のない自信と、この道を真っ直ぐ行って橋を越えて果樹園を抜けた先の用水路を右、という記憶だけを頼りに自分の足で目的地に向かったからなのだろう。しかも、ひとりぼっちだという、不安を抱えながら進んでいたはずだ。だからこそ、その時、五感を通して体の中に入ってきたあらゆる情報が、地図、として自分の中にストックされている感覚があるのだと思う。
    逆に、どんなに長く住んだ土地でも、車の移動が主になってしまった今では体に染み込む感じがしない。住居の近所でさえ、だ。このことはおそらく娘も同様で、近くの川に住んでいる魚のことさえ知らないに違いない。私と夫の仕事の関係で預かり保育や学童に預け、ろくに近所で遊ばせていないことをものすごく申し訳なく感じている。
    幼少時の自然体験の大切さがあちこちで強調されているけれど、その本当の意味というのが、冒頭にあげた一節で示されているように思う。その人が何者であるかということは、どういう土地とどういう結びつきを作り、どういう地図を描いてきたかということに集約されるのだ。そして、地図は自分の体を使って歩き回らないことには、作れない。点から点へと乗り物で移動することによっては、地図、にはならないのだ。生きて、ドキドキしながらそこを這いずり回らないといけないのだ。

    角幡さんは、ここから犬橇のための訓練に入り、チーム・ウヤミリックを結成する。その先に待つものを既に知ってはいるけれど、あらまし、としてではなく、角幡さんの物語、として早く読みたい気持ちでいっぱいだ。続刊が待たれる。

  • いわゆる冒険家としてはかなりの冊数を出しているので、ほぼ作家と言ってもよいのではないか。文章も非常に達者でユーモアにあふれているのでとても読みやすい。いずれ冒険から離れても面白いものを書くんじゃないかと思っています。
    さて、極地探検ものをかなり連続して書いているので、新味は正直なくどちらかというと今後の決意表明みたいな本に感じました。
    そりで氷の壁を超えるってどういう状況なんだろう。ジャコウウシってどんな味なんだろう、臭いなんだろうと想像働かせて読みますがなかなか頭に像を結ばないです。経験したことがないからサンプルが無いんですね。そう考えると本当にすごい体験しているなあ。
    彼が今後やろうとしている漂泊の狩猟者としてその土地に深く根ざしていくのはとても面白いし、狩猟主体の冒険譚とても読みたいです。という期待も込めてここでは☆3。

  • 相変わらず面白かった
    グリーンランド(たぶん行かないけど)行きたくなる
    橇で冒険したくなる

    角幡さん人間くさい書き方が好き

    冒険とは最終到達点に向かうこと
    漂泊は狩猟民族のごとく食糧を調達しながら行けるところまで行くということの
    大きな違い(普通の人からは何が違うのかわからなかったけど)、漂泊の面白さが存分にわかった

    やらないけど

  • 未来予期せずにという漂泊旅の目的は面白い
    最後の方、時間感覚が狂っていったのも興味深かった。
    極限状態など体験したことがないし、したくもないが、こういうリアルに生と死を感じる体験に誘われてしまう人もいるんだなあと、疑似体験させてくれてありがとうと思う。

    文章は全体的には拙速な感じというか
    荒々しい感じがした。
    そして、なんとなく探検家ってゲームをクリアしていく感覚でやってるのかな?と思った。
    でもそれがまた探検家っぽくて
    角幡さんの人柄が表れているのだと思い面白く感じた。

    以前、星野道夫さんの本を読んだとき
    探検家というよりは写真家だからか
    土地のこと、動物のことを深く知ろうという意志を感じて、そしてすごく静かな感じがした。
    対照的だなと思う。

    次回展望では、土地への関心が高まっていたので、どんなふうに変わるか次回も読んでみたい。

  • いやあ、相変わらずすごいとこ行ってるなあ角幡さん
    死と直結する飢えとか絶対経験したくないわーー
    旅行行く時も事前にめっちゃ調べるし、
    その時その場を丸ごと体験してする、とかちょっと私には無理
    だからこそ、この体験記に興味津々だ
    本当の、体験ってもの
    自分自身で生きるっていうこと
    多分昔の人間がみんなしていたこと
    でもそれはやっぱ大変だし、辛いこと多いし、読むだけならいいけど経験したくはないな
    いや、でも読みたい、と思うことはどこかで経験したい、
    という気持ちもあったりするのか?
    自分だけの自分が生きている、という価値を持つ地図
    いいなあ

    未定な未来、不安な未来は死を孕み、
    それをみないように人は考える、というのに納得
    そうかも、結局はそこに行き着くのかも
    でも死自体は不安なものじゃない気もする。
    ただの終着点、とういか。
    不安なのはそこに至るまで、だ。
    いや、いつそれがくるかわからない、という点も、不安か
    諸行無常、わかっちゃいるけど
    安定した日常がずっと、ズーーーっと続いて欲しいと思ってしまうのはどうしようもないよなーーー

    これ検索したらどうやら犬橇編がすでに出ているらしい
    ということはプラスで犬を飼うのか?
    それも大変そう。
    そして読むだけなら面白そう

  •  「四十三歳の落とし穴」という一章から始まる。旺盛な体力の勢いのまま冒険行を重ね経験値をあげていき、降下し始める体力と、積み上げていくことが可能な経験値が、いつか逆転を起こしてしまう。スポーツであればその帰結先は競技としての「敗北」だが、冒険行においてそれは「死」だ。

     本書では実例として河野兵一さんと植村直己さんをあげている。著者はどうだ。ぎりぎりの冒険旅行を生還し、さらに狩猟を通じて価値観が転換する経験をすることにより、これからも大丈夫なようだ。

     著者は価値観の転換を、狩猟を通じてと描かれているが、私はまさにその思考こそ四十三歳の転換点だと思う。『狩猟』ではなく、四十三歳という年齢が転換の引金だ。加齢こそが価値観を転換させる原動力だ。

     そうであれば、読者である僕も著者のような価値観の転換を経験できるはずだ。ある地点まで移動することが目的ではなく、自身の価値観による視線でその土地を経験する、そういう旅だ。

     その人の経験値から思いつくテーマを実行することが、その人らしさを強調していくというからには、より思いつくままに旅してみたいと思う。

  • 「極夜行」も読んだので、なじみの土地となじみの犬が出てくる。今度は白夜のなか、狩りを主体とする漂泊行だ。新しい旅のあり方を模索し、極地でそれを見出した角幡さんの挑戦は、たぶん第二部で読めるはず。

  • 2022/08/07
    ギリギリの時のウヤミリックとのやりとりが好きです。ネタバレになるので書けないのですが。

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著者プロフィール

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
 1976(昭和51)年北海道生まれ。早稲田大学卒業。同大探検部OB。新聞記者を経て探検家・作家に。
 チベット奥地にあるツアンポー峡谷を探検した記録『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。その後、北極で全滅した英国フランクリン探検隊の足跡を追った『アグルーカの行方』や、行方不明になった沖縄のマグロ漁船を追った『漂流』など、自身の冒険旅行と取材調査を融合した作品を発表する。2018年には、太陽が昇らない北極の極夜を探検した『極夜行』でYahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞を受賞し話題となった。翌年、『極夜行』の準備活動をつづった『極夜行前』を刊行。2019年1月からグリーンランド最北の村シオラパルクで犬橇を開始し、毎年二カ月近くの長期旅行を継続している。

「2021年 『狩りの思考法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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