- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094085433
作品紹介・あらすじ
家康が恐れた「大奥のキリシタン」
若き日の徳川家康を苦しめた浄土真宗信徒らによる「一向一揆」。家康は約30万人に膨れ上がり勢力を増すキリシタンに「一向一揆」化の悪夢を見た。
折しも江戸城大奥では女中・おたあジュリアを中心にキリシタンが増加し、家康の悪夢は現実のものとなりつつあった。
「伴天連追放令」から鎖国へと展開される徳川幕府の外交政策の裏面史を抉るとともに、徳川家康が「戦国日本」をいかにリストラし、「徳川三〇〇年」の礎をいかに築いたかを解明する!
感想・レビュー・書評
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最近は出張なんてしていないので、本当に久しぶりの出張のお供のシリーズである「逆説の日本史」を読んだ。
井沢氏の説に賛同するか、首を捻るかは別にして、毎回興味深く楽しい本。
今回は江戸初期。武断政治から文治政治に向かう過渡期であるが、恐妻家の秀忠、人斬りを楽しむ男色家の家光、病弱な家綱。家康の子孫がなんかパッとしない。
しかし変革者には著者は評価を高くする。信長しかり、綱吉しかり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本巻では、元禄時代にさしかかるまでの江戸幕府の鎖国政策、武断政治から文治政治への変遷、さらに茶道、歌舞伎、儒教などの文化史があつかわれています。
本巻があつかう江戸時代初期において朱子学が支配体制を正当化するイデオロギーの役割を果たしたという見方は、丸山眞男の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、1952年)でも採用されていますが、こうした見方については尾藤正英が『日本封建思想史研究』(青木書店、1961年)においてつとに批判しており、朱子学がじっさいの政治にどのような影響をあたえていたのかということは、もうすこし慎重に判断するべきではないかと思います。
また著者は、「儒教は、こうした慰霊の問題に触れているにもかかわらず、自らは宗教(儒教)ではなく政治学(儒学)であると、言いたがる」と述べています。孔子を中心とする儒教が宗教であるということについては、たとえば加地伸行の著書などでも主張されていますが、儒教と宋学を区別せずにあつかっているのはやはり引っかかってしまいます。もっとも本書では、山本七平の主張する「日本教」の枠組みにそって「日本は儒教国ではない」というおおざっぱな議論をおこなっているにすぎないので、そのかぎりではこうした区別にあまりこだわる必要はないのかもしれません。
めっぽうおもしろい歴史の見方が語られている本シリーズですが、著者自身の「思想」が濃厚に示されているということに、いまさらながら思いいたったしだいです。 -
鎖国を、三代家光の時代に、なしくずし的に成立されたことを幕末には「祖法」として敬ってしまった。成立に至る過程や、初代家康の外交政策などは忘れられ、観念としての祖法を守り続ける思考停止。
これは、平和憲法を祖法として敬う我々に酷似している。
世界情勢を理解せず、偶然を勝手に日本の力と勘違いし、祖法を神聖なものとしてしまう思考停止。変わるのは黒船や原爆などの外圧があるときだけ。納得!
というスケールの大きい日本人論。
また、二章では、大阪攻めからずっと浪人対策という観点から述べる。国政爺、天草一揆、由井正雪の乱と。急な戦後で仕事のなくなる食い詰め浪人をどうするかという政治問題 -
部分読み。
テーマについて結論がわかりづらい。
家康は自由貿易主義者でキリスト教限定許可→信長の宗教戦争(日蓮)
信長の対宗教、秀吉の唐侵略→キリスト教×、貿易◯(鉄砲の火薬)→家康は浦賀にオランダ商館OKプロテスタント
3代目家光では、貿易出島のみで渡航禁止→海外から鎖国と言われる -
宗教ってのはいつの時代も難しい問題だなぁ
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独自の歴史観が面白い
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kobo
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武断政治から文治政治への変換の観点での綱吉名君論は考えたことがなかったので大いに刺激を受けた。「鎖国」が外国からの評価の翻訳だとは知らなかった(無知)
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鎖國這個字眼是德國人先開始講的,其實這並不是一個明確定下的制度,而是なしくずし的過程,家康其實還是認可貿易的重要,只是想禁教(宗教的強大和年輕時一向宗的恐怖體驗)。
復原軍人與殺伐之氣,是江戶幕府開府之後的重要課題。武斷轉向文治主義的關鍵是綱吉治世和生類憐れみの令。(★作者認為,常識並不是自然隨著時代演進,人類的常識,沒有發生什麼「大事象」是不會變化的,或者是有什麼「無茶苦茶な政策」,例如新教徒認可商業上的利益為善,因此產生資本主義)