ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001425

感想・レビュー・書評

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  • クミコ の長い手紙が印象的な第2部

    第1部に出てきた謎の答えが
    少しずつ垣間見えてくるけれど
    そのおかげで余計に深まる謎の数々

    どこにどう辿り着くのか第3部に期待

  • 村上春樹らしい意味不明なお話の2部作目。
    第2部なのに、ストーリーが進んでいるんだかどうなんだか、一切わからない。でも読んでしまいます。

  • 加納クレタが加納クレタであることをやめてしまった。
    一緒にクレタ島に行けば少しは救われたのかもしれないのに…、と思う反面、やはりトオルくんもここで持ち場を離れるような人間ではないよなと再確認。
    宮脇さんの家は取り壊され、クミコは去り、笠原メイも引っ越していく。また「喪失」の繰り返し(悲しみや失望の濃度は薄まっていくようだけど)。色々風変わりな人が現れ、彼らに何らかの好意にも似た感情を抱かれ、あれこれ助言ならざる助言をされているのに、最後には結局一人で戦わなきゃいけないのか。「悪」と(綿谷ノボルは今や完全に「悪」だ!)

    歌手の存在がよく分からない。
    潜在的な破壊衝動の解放?でもその夜のグロい悪夢は?
    「痛み」を共有できたから笑っているのかな、でも分かったのはこの世界が血生臭く暴力的だというだけ(加納クレタが言ったように)。

    あんな酷い体験をしたのに間宮中尉が今でも井戸に惹かれてしまう、という言葉が刺さる。彼の話を聞いてから3日間井戸に入ったトオルは何を思ったのだろう?何が変わったのだろう?加納クレタと違って明らかに「別の人間」になったとも思えない。結局は何も捨てていないわけであるし。ただ櫛の歯が欠けるように少しずつ周りの人が去ってゆく。後には縺れた世界の糸の端を持って途方にくれた主人公と、「血生臭く暴力的な」要素、彼が一人で立ち向かうべき障壁だけが残る。『1q84』や『海辺のカフカ』と違い、逃げる選択肢はいくらでもあったのに(しかも最後の最後まで明確に示されていたのに、直前まで行ったのに)やはり逃げなかった。その結果、暴力をもろに受け、また一部では夢の中でまでその担い手と化した。

    最後にはっと出した結論、「謎の女」の名前…本当に?

    猫は?

  • 井戸の中で過ごすこと
    堕胎を選ぶこと
    女性を失うこと

    結構途切れ途切れで読んでいたので最後のオチっぽいところのダイナミクスが掴み切れなかったけど、いろいろな短編やエッセイで散見された村上春樹的なモチーフが詰まった物語だと思った 斬新で痛烈なものが物語が進むにつれて増えていく感じが印象的だった

    短編集がミニアルバム・EPなら長編はフルアルバム的な
    そういう体系的に読めてる小説家が村上春樹しかいないなー

  • 猫が消えたことは、始まりに過ぎなかった。謎の女はその奇妙な暗い部屋から、僕に向かって電話をかけつづける。「私の名前を見つけてちょうだい」。加納クレタは耐えがたい痛みに満ちた人生から、無痛の薄明をくぐり抜け、新しい名前を持った自己へと向かう。名前、名前、名前。名づけられようのないものが名前を求め、名前のあるものが空白の中にこぼれ落ちていく。そして僕が不思議な井戸の底で見いだしたものは…。

  • (~2004大学時代の本@202012棚卸)

  • とってもとっても好きだけどわからん☺️

  • クミコの突然の裏切りにより孤独と絶望に陥った主人公が自己を保つために行った行動に共感出来た。井戸の中で過ごす事によって生死の狭間を経験した主人公は自己の使命に気付けたのかもしれない。加納クレタとの束の間の共同生活が物語に面白みを与えてくれた。最終章はどんな展開になるのか楽しみである。

  • クミコの失踪から絶望、そして小さな声という、そのきっかけの存在に気づくまで。
    続きが読みたい。感想はまたこんど。

  • 相変わらずよくわからん。昔読んだ「24人のビリー・ミリガン」という本を思い出した。最終巻で回収されるのかなあ…?

  • 村上春樹という感じがすごい。

  • 『もし人間というのが永遠に死なない存在だとしたら・・人間はそれでもやはり、私たちが今こうやっているみたいに、一生懸命あれこれものを考えたりするのかしら?・・・自分がいつかは死んでしまうんだと分かっているからこそ、人は自分がここにこうして生きていることの意味について真剣に考えないわけにはいかないんじゃないかな・・・私たちが進化するためには、死というものがどうしても必要なのよ。死というものの存在が鮮やかで巨大であればあるほど、私たちは死にもの狂いで物を考えるわけ』

    突然こういう哲学的な投げかけがあるからたまらない。死にたくない、という人間の根源的な欲望と、それだからこその人類の発展という相矛盾した結果。うまく表現できないが、実態のある話からだんだんと観念的な方向に進んでいる。

  • 良くも悪くも春樹調です。主人公は周りで起こる出来事をほぼ受け入れ、流されていくパターンから脱する兆しがあります。サブタイトルの予言する鳥はたまたま流れてくるクラシックのタイトルで物語の筋には関わりなさげ。
    作者の嫌いなところは時折出てくる夢を克明にしかも主観的に描くところ。所詮夢なので物語にはせいぜい暗示レベルの関わりしかなく、自分の考える夢は客観的なので主観的なのは嘘くさいと感じる。客観的な夢も登場するのですが明確に書き分けているのか自分には分かりませんが読み飛ばしたい衝動に駆られます。
    キャラクターをしっかり作り込んでいるので作者も行く末を決めずに勝手に行動させている印象。
    奇をてらうエピソードも多いがどうでもよさそうな類もあり。例えばギター男が殴りかかってくる下りとか。
    後、主人公も言っいるが無駄に関わってくる女性多し。一種の願望かな?
    読んているときはそれなりに面白い。読み手のコンディションに評価が加味されやすそう。

  • 第一部で最期まで読みきれないかも…物語の特異性についていけない…と思ったんだけど、間宮中尉の話あたりから引き込まれて、2巻はあっという間に読んでしまった。井戸の底で、真の暗闇の中でしか見つけられない思考がある。それは記憶の中にあるものなのか…主人公がどうしても手に入れたい井戸と、クミコの真の記憶とは。。

    綿谷ノボル、加納マルタ、クレタ姉妹、笠原メイ、牛河…強烈な個性に囲まれながら、主人公は自分を見失うことがない。そこに一番強く惹かれたのかもしれない。



    -------------以下、引用-------------
    結果がどうあれ、誰かを全面的に信じることができるというのは人間の素晴らしい資質のひとつです。

    その気になれば僕はそれを暴くことができる。白日の元に晒すこともできます。そうするには時間はかかるかもしれないけれど、僕にはそれができる。僕はつまらない人間かもしれないが、少なくともサンドバッグじゃない。生きた人間です。叩かれれば叩き返します。そのことはちゃんと覚えていた方がいいですよ。

    人生というものは、その渦中にある人々が、考えているよりはずっと限定されたものなのです。人生という行為の中に光が射し込んでくるのは、限られたほんの短い期間のことなのです。あるいはそれは十数秒のことかもしれません。それが過ぎ去ってしまえば、そしてもしそこに示された啓示を掴み取ることに失敗してしまったなら、そこには二度目の機会というのは存在しないのです。

    それでも僕とクミコは少しずつ、自分の体や心を、我々の家庭という、新しい単位のために同化させていった。二人で一緒にものをかんがえ、ものを感じる訓練をかさねた。

    僕はその完璧な暗黒の底にしゃがみこんでいた。目にすることのできるのは無だけだった。僕はその無の一部になっていた。

    ねじまき鳥がもし本当にいなくなってしまったのだとしたら、誰かがねじまき鳥の役目を引き受けなくてはならないはずだ。誰かが代わりに世界のネジを巻かなくてはならない。

    私は孤独ではありましたが、不幸ではありませんでした。私は自分自身にしっかりとしがみついていることができました。少なくとも今では自分自身というしがみつくべきものがあったのです。

    ねじまき鳥はその辺の木に止まってちょっとずつ世界のねじを巻くんだ。ギリギリという音を立ててねじを巻くんだよ。ねじまき鳥がねじを巻かないと、世界が動かないんだ。でも誰もそんなことは知らない。世の中の人々はみんなもっと立派で複雑で巨大な装置がしっかりと世界を動かしていると思っている。

    世の中には分からない方がいいこともあるのです、と間宮中尉は言った。

    他のみんなは誰がみてもわかるような馬鹿みたいなところは簡単に素っ飛ばして、少しでも早く先に行こうとする。でも俺はそうじゃない。馬鹿みたいなところにいちばん長く時間をかける。そういうところに長く時間をかければかけるほど、あとがうまくいくことがわかってるからさ。

    世の中の大抵の人間は自分の目で見ることができない。/なにかがはっきりと分かるまで、自分の目でものを、見る訓練をした方がいいと思う。時間をかけることを恐れてはいけないよ。たっぷりと何かに時間をかけることはある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ。

  • 井戸の中で考えごとしたくなる

  • クミコとの馴れ初めの話はそれまでの雰囲気に比べて和んだ。
    新宿でのギターケースを持った男をつけてく話、本当の話?主人公が幻想でも見てたんじゃないかなと思ってたけど、最後まで読んで本当に体験した事かもなと思った。
    最後のプールでの話、幻想的な終わりと思った。

  • 第1部と第2部によく出てきた主人公の拍子抜けするような、こちらがほっとするような、「やれやれ」という口癖がなんか良かったです。ピンポイントですみません。

  • 第一部が不穏さを帯びた黄昏の雰囲気に対して、第二部は周りが見えず、手探り状態の深夜の雰囲気でした
    最後に夜明けをほのめかして終了
    次巻が楽しみです

    いやー、しかし、この本の登場人物みんな頭おかしいわ

  • 村上春樹ワールド。不思議な世界観に包まれている。クミコが抱えていた闇とは何なのか。
    それにしても「あるいは」の使い方が独特。

  • 第二部。井戸の中で長時間こもるシーンの描写が特に圧巻だ。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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