みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (469ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101001753

作品紹介・あらすじ

ようこそ、村上さんの井戸へ── 川上未映子はそう語り始める。少年期の記憶、意識と無意識、「地下二階」に降りること、フェミニズム、世界的名声、比喩や文体、日々の創作の秘密、そして死後のこと……。初期エッセイから最新長編まで、すべての作品と資料を精読し、「村上春樹」の最深部に鋭く迫る。十代から村上文学の愛読者だった作家の計13時間に及ぶ、比類なき超ロングインタビュー!

感想・レビュー・書評

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  • 【読もうと思った理由】
    そもそもの購入理由は、村上春樹氏のことをもっと知り、苦手意識を払拭するためだった。ただ、いちど購入後すぐ読了し、そこから長編小説の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「街とその不確かな壁」を読み、長年に渡る村上春樹氏の苦手意識を完全に払拭できてしまった。なので、本書の感想もブクログに書いていなかったが、当時読みたい本がかなり溜まっており、感想を書くことを完全に後回しにしていた。そして何ヶ月も経過すると、内容を結構忘れかかっている。今ちょうど自分の中で積読本の解消期間のため、再読するならこのタイミングしがないと思い、再読するに至る。

    【川上未映子氏って、どんな人?】
    (1976年8月29日〜)
    大阪府生まれ。「乳と卵」で芥川賞、『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、『夏物語』で毎日出版文化賞など受賞歴多数。『夏物語』は英、米、独、伊などでベストセラーとなり、世界40ヵ国以上で刊行が予定されている。世界でもっとも新作が待たれている作家のひとり。他の作品に『すべて真夜中の恋人たち』、『あこがれ』、『ウィステリアと三人の女たち』、『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹との共著)などがある。

    【村上春樹氏って、どんな人?】
    早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』『1Q84』などがある。

    日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している。デビュー以来、翻訳も精力的に行い、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーほか多数の作家の作品を訳している。また、随筆・紀行文・ノンフィクション等も出版している。後述するが、ビートルズやウィルコといった音楽を愛聴し自身の作品にモチーフとして取り入れるなどしている。

    【本書概要】
    ようこそ、村上さんの井戸へ——
    川上未映子はそう語り始める。少年期の記憶、意識と無意識、「地下二階」に降りること、フェミニズム、世界的名声、比喩や文体、日々の創作の秘密、そして死後のこと…。初期エッセイから最新長編まで、すべての作品と資料を精読し、「村上春樹」の最深部に鋭く迫る。10代から村上文学の愛読者だった作家の計13時間に及ぶ、比類なきロングインタビュー。

    【感想】
    いや〜、しかし川上氏って、村上春樹氏の知識が半端なくすごいんだと、若干引いたのを再び思い出した。作品の内容を村上氏本人より、圧倒的に知り尽くしている。そう、僕が引くぐらいに。本当のファンの人って、こういう人を言うんだなぁってまざまざと感じた。僕もそういうタイプなので、村上氏の気持ちは凄くよく分かる。何のことかというと、一度その仕事が終了し、次の仕事に取り掛かると、以前に取り組んだ仕事のことは、どんどん忘れていく。過去書いた作品の登場人物のことで村上氏が「あれっ、誰だっけ?」というと「〇〇さんですよ」と言うツッコミが、川上氏から入る。インタビューはだいだいそんな感じで、アットホームな雰囲気で進められる。

    本書は470ページ弱あり、本来であれば決して薄くない本だ。だが、ファンである川上氏が村上氏にインタビューをする形式なので、この上なく読みやすい。村上春樹氏のことを書いたエッセイ及び対談本は、この本を読む前に二冊(「職業としての小説家」と「村上さんのところ」それぞれの本の感想欄に感想も書いてます)既に読了しており、村上氏の人物像はけっこう把握出来ていた。

    ただロングインタビューなので、とうぜん新しい発見や気づきも多い。再認識したことだが村上氏は小説に対しては、この上なく真摯に、そしてこだわりを持って取り組んでいる。職業としての小説家や村上さんのところにも、推敲に関して書いてあったが、本書でも推敲に関して触れている。
    書き直しに関してだけは、唯一自慢出来ると、村上氏は話していた。また第一稿を書くときには、多少荒っぽくても、とにかくどんどん勢いに任せて片っ端から書いていくんだと。ただそれだと、話がとっ散らかって矛盾するけど、気にせず書いて後から調整すれば良いと。大事なのは自発性なんだと。なぜなら自発性だけは、技術では補えないからと言う。

    実はこの話を学んでから、仕事で文章を書くときや、ブクログで感想を書くときにも応用している。村上氏の言う様に、まずは話の整合性など一切気にせず、思いつくままに書いている。ある程度、頭の中にある書きたいことを書ききってから、そこから推敲に移っていく。そうしないと、文章に勢いがまったく出ないのだ。なので、最初に頭の中で整理してから書いた文章を後から読んでも、まったく面白くない。

    本書でもみっちり書いているが、文章を書くということに関して、村上氏は本当に好きなんだと断言している。自分が好きな文章を書いて、生活できている。最高じゃないかと。「好きこそ物の上手なれ」とは、物事を上達する秘訣だと、再認識できる本だと思った。けど、好きなことを仕事に出来ている人などほんの一握りじゃないかと、おっしゃる方が多いかもしれない。いま取り組んでいる仕事が好きになれない方は、以前感想を書いた「人間の建設」に、養老孟司氏と岡潔氏の考えを融合した考えを書いています。気になる方はご覧くださいませ。

    実は本書で、めちゃくちゃ日常生活で使える技を教えてくれている。以下だ。
    村上氏は本書で、文章を書くときのコツを伝授してくれた。それはたった2つしかないんだとか。一つは会話に動きを生み出すことだと言う。具体的に例を出してくれている。ゴーゴリーの「どん底」という小説で、乞食(コジキ)が話している。「おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか」って一人が言うと、もう一人が「俺はつんぼじゃねぇや」と答える。※つんぼとか乞食は今は差別用語で使えない言葉だけど、昔は使っても良かったと村上氏はフォローしている。

    これが普通の会話なら「おまえ、俺の話聞こえてんのか」「聞こえてら」で済む会話だ。でもそれだとドラマにならないという。「つんぼじゃねえや」と返すから、そのやり取りに動きが生まれるんだと。単純だけどすごく大事な基本なんだと。実はこれが出来ていない作家が、世間には沢山いると村上氏はいう。

    また2つ目は比喩表現だという。チャンドラーの比喩で、「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というのがある。これがもし、「私にとって眠れない夜は稀である」だと、読者は特に何も感じない。すっと、読者に読み飛ばされてしまう。でも、「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というと、「へぇー!」っと思う。「そういえば太った郵便配達って見かけたことないよな」みたいに。それが生きた文章なんだと。そこに反応や動きが生まれる。「つんぼじゃねぇや」と「太った郵便配達人」、この二つが村上氏の文章の書き方のモデルになっているんだという。そのコツさえつかんでいれば、けっこういい文章が書けると、村上氏は話していた。

    この二つのコツを読んだときに、文章を書くこととコミュニケーションは、本当に似ていると再認識した。比喩は「たとえ話」とも言い換えられる。ある芸人が昔言っていたが、トークが面白い人は、もれなく「たとえ話」が面白いと。また「武士道」の感想でも書いたが、アインシュタインの名言で「6歳の子供に説明出来なければ、理解したとは言えない」というのがある。この名言の本当に伝えたいことは、難しい内容や専門知識を、いかに素人の人でも理解できるように、分かりやすい言葉に変換して伝えるということだ。分かりやすい言葉に変換するときに、例え話を活用すれば、より納得感が得やすい。

    実はコミュニケーション本にも例え話を会話に活用することは、よく書かれている。なるほど。それを文章を書くときにも流用すれば良いんだ。今回めっちゃ良いことを教えてもらった。いきなり明日から実践投入していこうと思った。

    また村上氏は文章を書く練習として、牡蠣フライについて書くことは、非常に難しいので練習になるという。具体的には、牡蠣フライがどんなふうに美味しいか、どんなふうに揚げるときにジュージューという音が美味しそうに響くかとか。それをできるだけ文章で、ありありと書き込む。それは村上氏にとって、文章を書くための大事な訓練だと言っている。

    この部分を読んだときに、そりゃ、村上氏はいつまで経っても文章力がアップデートされ続ける訳だわと、感服した。牡蠣フライのことを具体的に文章に書こうとするなんて、年がら年中、文章のことをずっと考えてないと、そもそも思いつきもしない。つまり村上春樹氏は、何十年にも渡って、毎日どうやったら文章が上手くなるのかを常に考え続けているということだ。

    以前「ヒエログリフを解け」の感想にも書いたが、天才と呼ばれる人は例外なく、一つのことに何十年も集中して取り組み続けている。ニュートンも、アインシュタインも、養老孟司氏も、そしてもちろん、村上春樹氏も。だからだろう、アインシュタインの以下の名言が染みわたる。「私は、それほど賢くはありません。ただ、人より長く一つのことと付き合ってきただけなのです。」

    【雑感】
    次は、「文学の淵を渡る」を読みます。この本は、大江健三郎氏と古井由吉氏の対談本だ。実は二人を知ったきっかけは、伊坂幸太郎氏が編者として携わったアンソロジーだ。(「小説の惑星」という本です。)実はこの二人とも短編を数本しかまだ読めていない。古井由吉氏と大江健三郎氏は、僕が今後、真剣に読んでいきたいと思っている作家だ。

    大江健三郎氏はノーベル文学賞を受賞しているので著名だが、古井由吉氏はどちらかというと、知る人ぞ知る作家だと思う。この方は僕のような素人ではなく、プロの作家が次の新作を心待ちにしていた作家だったらしい。(詳しくは、平野啓一郎氏の「小説の読み方」の感想に書いています。)あの伊坂幸太郎氏が、古井由吉氏の「先導獣の話」を読んで、完璧な小説と絶賛していた。(「小説の惑星 ノーザンブルーベリー編」)

    ただこの本、パラパラと読んでみたが、二人が過去に読んだ日本の作家の感想をメインで語っている。その作家が、僕がまだまだ手を出せていない近代の作家が多い。なので、近代の作家をある程度読んでから手を出す方が良いかなとも思った。だがそうなると、この本を読めるのが数年後になってしまう。それなら積読本解消のこのタイミングで、読んでしまおうと思った。

    • kaonioさん
      私は普段この手の対談ものは読まないんですけどこれは本当に面白かったですね。
      帯にある『ただのインタビューではあらない』には思わず笑った。(騎...
      私は普段この手の対談ものは読まないんですけどこれは本当に面白かったですね。
      帯にある『ただのインタビューではあらない』には思わず笑った。(騎士団長殺しを読むとツボにハマります)

      毎回毎回レビューコメントが見事ですね。
      私にはこれだけまとまった長文は書けませんよ。
      2023/08/21
    • ユウダイさん
      kaonioさん、コメントをくださり、ありがとうございます!「騎士団長殺し」ですね。お教えくださりありがとうございます!元々読もうとは思って...
      kaonioさん、コメントをくださり、ありがとうございます!「騎士団長殺し」ですね。お教えくださりありがとうございます!元々読もうとは思っていたのですが、何せいま積読本を消化するのに精一杯でございまして…。積読本を消化してから、何を優先的に読むのか、じっくり考えたいと思います。これに懲りずに、今後とも宜しくお願いします!
      2023/08/21
    • 本ぶらさん
      村上春樹にほぼ興味のない自分wがコーフンして読んだんですから、これはかなり面白い本だと思います。
      ユウダイさんも「日常生活で使える技を教えて...
      村上春樹にほぼ興味のない自分wがコーフンして読んだんですから、これはかなり面白い本だと思います。
      ユウダイさんも「日常生活で使える技を教えてくれている」と書いていますけど、今、あるいはこれからの時代の仕事への向き合い方のヒントが書かれているようにも思いました。
      2024/05/01
  • 2022年の150冊目。

    川上未映子さんが、村上春樹さんの井戸に一緒に入ることを試みた対談集。かなり、井戸の深いところまで二人で潜っている、そんな印象だ。

    川上さんは鋭くつっこみ、村上さんが楽しそうに真剣に受け答えたり、華麗に受け流したり、そんな展開で、飽きることなく(文庫本だが)437ページの対談を読み切った。

    特に、面白かったのは、村上作品に出てくる女性について「男性の自己実現のために、血を流して犠牲になっている」例が多いと言及しているところ。
    川上さん、強いなあ笑
    「女の人が性的な役割をまっとうしていくだけの存在になってしまうことが多い」とか
    「井戸とかに対しては惜しみなく注がれている想像力が女の人との関係性をおいては発揮されていない」とか、けっこう言いたい放題。
    それに対する村上さんの受け答えは見ものです。

    あと、村上さんから「僕より小説をうまく書ける人というのは、客観的に見てまあ少ない」という発言を引き出した川上さんはインタビュアーとしてすごい!

    • たけさん
      Macomiさん、コメントありがとうございます。
      返信が遅くなりました。すみません…

      川上さん、すごいですよ。
      でも、度胸がいい、というだ...
      Macomiさん、コメントありがとうございます。
      返信が遅くなりました。すみません…

      川上さん、すごいですよ。
      でも、度胸がいい、というだけでなく、下調べもしっかりしてプロのインタビュアーの仕事をしているし、何よりも村上作品を強く愛しているんですね。だからこそ痛快に突っ込んでいけるんだと思うんです。

      愛のある仕事。
      村上さんもそれを認めているからこそ、深い深い対談になっているんだと思いました。
      2022/12/20
    • Macomi55さん
      たけさん
      そっか。愛が大事ですね。
      たけさん
      そっか。愛が大事ですね。
      2022/12/20
    • たけさん
      何事も愛が大事です笑
      何事も愛が大事です笑
      2022/12/20
  • 川上未映子さん以上のハルキストはいるのだろうか。
    村上春樹さんが忘れていることまで、ディテールまで覚えていてたじたじの場面も。でも、のらりくらり「覚えていない」という春樹さんは本当に覚えてないのかもしれない。
    それにしても鋭かった。特に村上作品における女性の描き方、女性の見方についてのところ。
    村上さんは、文章を書くのが大好きで基本ポジティブだということ。地下一階の自我の葛藤には興味がなく、地下二階に降りようとしていること。集団的無意識みたいなところに。
    文章を読んだら、カキフライが食べたくなるような文章を書きたいというのが、村上春樹さんの目指すところ。
    それと忘れちゃいけない直接的なメッセージは決して書かないけど、フィクションの中でかなりポリティカルということ。

    この本を読んでさらに村上春樹さんの魅力が浮き彫りになった。川上さんのファンにもなった!

  • ずっと読みたかった本。内容が騎士団長殺し関連の会話が多いので、騎士団長殺しをちょうど読了したタイミングで読み始めた。川上未映子が村上春樹ファンということで濃い内容であったし、そういうの聞きたかったって内容をずばずば質問していて良かった。ラジオ感覚ですらすらと読めた。

  • 村上春樹さんの作品は最近読んでなくてご無沙汰してたけど、この対談は村上さんのコンセプトとか頭の中をのぞいてる感じがして面白かった。しっかり言語化できていてそれがわかりやすいのと村上さんの感性も伝わってきて読んでいて楽しかった^ ^

  • 文庫化されたので実に3年ぶりに再読。
    どんなこと書いたっけなぁと思ってレビューを読み返そうとしたら何も書いてなかった。そうだそうだ、あまりに濃密で果敢で超絶怒涛のインタビューに圧倒されて言葉が出てこなかったんだ、と思い出した。

    インタビュアーとしての川上未映子さんの資質には、ほんとうに驚くべきものがある。
    この本をまだ読んでいなかった2016年頃、NHKのSWITCHという番組で「君の名は。」の公開間近だった新海誠監督にインタビューをしている未映子さんを見たことがあって、彼らはイノセンスについての話をしていたのだけど、未映子さんはそのとき新海誠監督が話すイノセンスに「季節は?」ってさらに突っ込んだ質問をしたのね。
    私はそれをきいたその瞬間に、全信頼を未映子さんに寄せたのを確かに覚えている。イノセンスの季節を知ろうとする人を私は絶対的に信頼する。
    この本の中で村上春樹さんも言及していることだけれど、作者と読者の間に必要なのは信頼関係だと強く思う。
    「どや、悪いようにはせんかったやろ?」というあれ。

    それにしても3年前に読んだ時と今とでは、やっぱりあらゆる変化(成長といってもいいかもしれない)がある。
    川上未映子さんの小説はすべて読んだし、村上春樹さんの猫を棄てるだってンダーグラウンドだって読んだし騎士団長殺しだって読み返したし。グレートギャツビーもキャッチャーインザライも読んだ。村上RADIOも聴いた。
    とにかく前回とは比べられないほど深い次元で吸収することができた気がする。地下二階の話が特に興味深くて、あぁ私がなぜ村上春樹をこんな好きかって地下二階に連れて行ってくれるからなんだ、って気づけた。
    大切な言葉はいくつもいくつもあった。

    「大切なのはうんと時間をかけること、そして「今がその時」を見極めること。村上さんはくりかえしそれを伝えてくれたように思う。ミネルヴァの梟がそうであるように、物語の中のみみずくが飛びたつのはいつだって黄昏、その時なのだ。」

  • 村上先生の本ということでこの本を読み、川上未映子先生を知りました。
    村上先生のファンで小説家になった方なんですね。
    小説家は「洞窟内でのストーリーテラー」という言葉が、情景が目に浮かんできました。
    お二人の対談が読者に対してすごく誠実で真摯だなと思いました。すてきという言葉では言い表せないくらい、「ああ、こんなことを考えて書いていらっしゃるんだな」というのを文章で読めました。
    またいつかどこかで、お二人が対談した記録が本になったらいいなと願っています。

  • 村上春樹にインタビューしたのが川上未映子だから買おうと思いました。
    予想に反して、若くて押しが強い人だな!って感じのインタビューだったのですが、もっと予想に反したのは、終えてから村上春樹が「また機会があれば」と思ったことに対してでした(笑)

    「でもその肝心の、本を好きになるっていうところだけは教えることはできない。好きになりなさいと強制することもできない。すべての偶然が一致して、本と出会わなければ、本の世界を熱烈に求めていく魂でなければ、書きつづけるというところに行かないと思うんですよね。」

    川上未映子のコメント。
    そうなんだよな。強制はできない。
    その中で、自分が触れてきた手触りみたいなものを、周りにどう宣伝するか、どんな風に世界に触れられるか、そういうことを考えます。

    「自分たちもヒトラーに騙されて心の影を奪われ、そのおかげでひどい目に遭わされたんだという、おおむねそういう被害者感覚だけが残ることになります。日本の場合もそれと同じようなことが起こっている。」

    こちらは村上春樹。
    随分前に、日本国民の被害者感覚について、全員が被害者であるはずはなくて、どこかに加害者がいるはずなのに、そうしたことが見えなくなっている、という文章を読んだのを思い出した。
    本当の被害者と言えるのは、子ども達だ、と。

    「その信用取引を成立させていくためには、こっちもできるだけ時間と手間をかけて、丁寧に作品を作っていかなくちゃいけない。読者というのは、集合的にはちゃんと見抜くんです。」

    村上春樹のコメント。
    私はこの人の、こういう所が好きだと思う。
    スピーチにしても、インタビューにしても、一度きりの言葉だからこそ、込められているものが、飄々としていながらも優しい。

    いわゆる近代ウジウジ文学を地下一階、村上春樹の井戸を地下二階と例えて、話が展開していくのも、分かりやすくて、面白い。
    夏目漱石『こころ』を好きではないと言う村上春樹に苦笑するが、地下一階には地下一階の良さがあると私は思います(笑)

  • 注! インタビュー本なのでネタバレ設定にしていませんが、内容にかなり触れています。



    年末(2023年のw)、本屋をブラブラしていた時、表紙のフクロウ(あ、みみずく…、ねw)が、なぜかミョーに気に入ってしまって、ついつい衝動買いしちゃった本。
    ちなみに、フクロウとミミズクの違いは、羽毛が耳のようにちょこんと出ているのがミミズクで、頭が丸いのがフクロウということらしいけど。
    ウチに時々やって来るのは頭が丸い方なせいもあって、ミミズクよりフクロウの方が好きだ(^^ゞ

    ……って、最近は、文章の終わりに「。」をつけたりすると怒られたり(ニュースで見た)、「、」や絵文字が多いと“おじさんの文章”とバカにされるらしい(『脳の闇』で中野信子が自分だってチューネンのクセに変に上から目線で書いていたw)が、今は多様性が尊重される時代だ(爆)
    文章の終わりに「。」をつけるのは、自分にとっては長年の習慣だし。
    また、あふれるネットの文章(情報)に、誰もがテキトーに読みがちなネットの文章だからこそ、書いている意図を少しでもわかりやすくするために「、」は、(読みにくかったとしても)あった方が意図が伝わりやすくていいと思う。
    絵文字は、エラそぶって書いてるけど、所詮は普通のバカが書いていることだよw、とわかってもらうために、じゃんじゃん多用することとする(^^)/
    (ま、例の「。」ハラは、あくまでLINE等、連絡アプリでの話なんだろうけどね)


    ま、それはともかく(^^ゞ←だから、絵文字多すぎw
    本を読むのが好きな人には、本そのものは好きだけどそれを書いた作家には特に興味を感じないという人も多いらしいけど、自分は作家の人となりや考え方にすごく興味を持つ方だ。
    読んで面白かった作家は、「作家の読書道」に載ってないか必ず見て、その作家がどんな本を読んできたのかを知るのが楽しいし。
    テレビ等で作家のインタビューがあると、知らない作家でもとりあえず録画して見る。
    その作家がこれまでどんな風に生きてきたのかとか、世の中をどう思っているかとか、人生観や恋愛観、思想等々、興味があることはイッパイあるが、特にその作家の小説を書くスタイル…、つまり、普段どういう風に小説を作っているか?ということに、すごく興味をおぼえるのだ。
    いや、ノウハウ云々ではなく(たぶん、小説を書くのにノウハウはない)。
    その作家が小説をどういう風に書いているかの一端を知ることで、あの小説のあの急展開はどの時点で決まったんだろうか?とか、この小説はどんなことを意識して書いていたんだろう?といったことを想像するのが楽しいのだ。
    ついでに言うと、その作家が、まがりなりにも作家としてメシ食ってけるまでの苦労話や、業界、さらに読者への恨みつらみの話も大好きだ(^^ゞ


    ただ。
    村上春樹のそれに興味があるか?っていうと、まー、ない(爆)
    もちろん、それは自分が村上春樹の小説に興味がないからなんだけどさ。
    とか言って、実は村上春樹は、例の『1Q84』が出た時、世の中の大騒ぎがすごく不思議で、逆に興味を覚えて何冊か読んだ。
    ちなみに、今、ウィキペディアを見ながら確認してみると、その時読んだのは、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『スプートニクの恋人』、『アフターダーク』、『海辺のカフカ』。
    あと、短編集の『中国行きのスロウ・ボート』、『カンガルー日和』、『螢・納屋を焼く・その他の短編』、『回転木馬のデッド・ヒート』、『パン屋再襲撃』、『レキシントンの幽霊』、『東京奇譚集』だったから、まぁー、そこそこ読んだ。
    その時に思ったのは、村上春樹って、面白いのは面白いんだけど。『1Q84』が出た時の、あのバカ騒ぎする面白さというよりは、物語として普通に面白い小説を書く人なんだなということだった。
    だから、あのバカ騒ぎっていうのは、(メディアを含めた)騒ぎたい人たちの騷ぎたい人たちによる騒ぎたい人たちのためのネタってことか…、と気付いた。
    ていうか、なんであんなに騒いでるんだろう?という不思議さはどーでもよくなって、(バカ騒ぎしていた人たちではなく、たんに)村上春樹の小説を面白く読んでいる人はこれらの小説のどこをどういう風に面白いと思っているんだろう?という興味に変わった記憶がある。

    というのは、自分にとって村上春樹の小説っていうのは、面白いのは面白んだけど、でも、妙に「つるんとした小説」なんだよね。
    面白く読めるんだけど、触感が「つるん」としているから印象に残らない。
    印象に残らないから、頭の中にある好きな本、好きな作家の棚に入らない。
    変な話、村上春樹の小説には「ペ●ス」って言葉がよく出てくるけどw、読んだ触感が「つるん」とした感じがするというのは、その語感とどこかダブっている気がする(^^ゞ
    だってさ。日常で、あるいはエッチの場面で、それをその言葉で言う人っている?
    いや、他の人がエッチしている時にそれをどんな言葉で言っているかなんて、わかるわけないんだけどさw
    でも、なんとなく、エッチの時にその言葉を口にしている人っていなさそうな気がしない?
    そんな言葉を言われたら、むしろ恥ずかしいっていうか、生物学用語で会話しながらエッチしている気がしちゃうっていうか(・・;
    とにかく、村上春樹の小説っていうと、その言葉の音感も相まって、「つるんとした小説(てろんとした小説って言った方がいいかもしれないw)」というイメージが強い。
    それは、不思議なくらいコーフンを催さないエッチのシーンのあの感じと大いにダブるしw
    また、小説って、読んでいると頭の中にその情景が自然にバァーっと浮かんでくるものだけど、村上春樹の小説の場合は、それが昔の漫画のような画(藤子不二雄みたいな画?)で浮かんでくる、あの感覚ともダブる。


    そんな村上春樹だけど、デビュー作の『風の歌を聴け』は、出た当時、本屋に並んでいたのを見て、妙に引っかかったのを憶えている。
    それは、本屋で村上春樹のそれを見た時、1979年というその時代の空気を感じたからだ。
    つまり、(そのタイミングで自分が読んでいたかどうかは定かではないが)同じ群像新人賞の中沢けい『海を感じる時』のような、いわゆるその当時の一般常識での「文学」とは全然異なるもののように見えたのだ。
    だから、本屋で『風の歌を聴け』を見ても、手にとろうとはしなかった。
    1979年当時のあの時代に流行っていたものと同じもの、今で言う「シティポップ」とか、やたらと目にしていたカリフォルニアや海辺のリゾートをイメージしたイラストとか、CMに出てくる渡辺貞夫や浅井慎平、なにより当時人気だった片岡義男っぽいアホバカなカッコつけや気取りを感じて、子供ながらに「ダッセーっ!」のひと言で片付けた(爆)

    そんな流行りっぽくて「ダッセーっ!」のひと言で片付けた村上春樹wが、ミョーに一昔前の文学っぽさをまとった『ノルウェイの森』を出した時は呆気にとられたのを憶えている。
    『ノルウェイの森』は1987年くらいだっけ?
    ウィキペディアで見てみると、87年の9月とあるけど、自分が読んだのは年明けだった記憶があるから、ということは、88年の初めだったのかな?
    もちろん、上下で赤と緑という、やたら当時っぽいクリスマスカラーな表紙も相まって、秋には本屋に置かれているのを見て気づいていたけど、それにしても9月には出ていたんだ。
    その時、『ノルウェイの森』を読んだのは、もちろん流行っていたからだ(^^ゞ
    ただ、今思い返すと、それよりも、その当時の自分のミョーにうら寂しかった毎日になんかしら彩りが欲しくて、あの赤と緑を手に取ったのかもしれないな?なんて思う(爆)

    87年の秋っていったら、個人的には大貫妙子の「スライス・オブ・ライフ」と、やたら地味だったスプリングスティーンの「トンネル・オブ・ラブ」なのだが。
    そうか。それらと『ノルウェイの森』って、なーんか、それにある何かと通ずるものものがあるような、ないような……w

    その『ノルウェイの森』だが、内容は全然憶えていない。
    憶えているのは、読み終わった後、友だちにビートルズの「ノルウェイの森」ってどんな曲だっけ?と聴かせてもらって。
    なんだ、それならウチにある「ビートルズ・バラード・ベスト20」に入ってたじゃん、と思ったことだけだ。
    ただ、読み終わって、悪い感想を持ったわけじゃないんだろう。
    だから、ビートルズの「ノルウェイの森」が気になって、どんな曲だっけ?って聞いたんだと思うのだ。
    でも、今となっては、「ノルウェイの森」を読んでその時どう思ったか?なんて全く憶えていない。
    確かなのは、村上春樹の他の小説を読んだりはしなかったことくらいだ。

    そんな村上春樹(の小説)が自分の人生に登場(?)するのは、社会人になって3、4年も経った頃だったと思う。
    同僚に、やたらと優秀なヤツがいたんだけど、彼は某国立の文学部出身で。
    ある時、彼が村上春樹を語りだしたのを聞いていて、「なんだ。コイツって、村上春樹とか好きなダサいヤツだったんだ」と、心のなかでほくそ笑んでしまったのだ(爆)
    (ちなみに言っておくと、後に彼は親しい友人になったw)


    村上春樹のイメージを自分史的に見るとそんな感じだ(^^ゞ
    面白いのは面白いんだけど、なんか「つるんとした小説」か「てろんとした小説」を書く人で。
    それがあるから、読み終わった後、「あぁー、面白かったぁーっ!」と、素直に言う気にならない(なれない?)作家。
    だから、村上春樹本人にも何の興味も感じない。
    言ってみれば、「ジャズファンなんでしょ? なら、ジャズでも聴いてればぁ?」って感じ?←ジャズ嫌い(^^ゞ
    そう、あと、『1Q84』の大騒ぎで村上春樹の本を読んだ時、ウィキペディアを見たら、レディオヘッドが好きみたいなことが書いてあって。
    (レディオヘッドが大嫌いな自分としては)ダッサぁ〜とか思っちゃったこととかw


    そんな自分が村上春樹を見直しちゃったんだから、この本はスゴい!(爆)
    なにがスゴいって、P145にある、“物語というのは、解釈できないから物語になるんであって、これはこういう意味があると思うって、作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなもの面白くもなんともない。(中略)作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている”は、目ウロコで、ものすごくエキサイティングだった。
    バカな話だけど、村上春樹のイメージが540度くらい変わった。←180度でいいだろ!w

    そう。そういう意味では、この本は第二章に入ってからの方が面白い。
    第一章は、インタビュアーの作家がファンであるがゆえに、村上春樹を奉りすぎちゃってて、言ってみれば「村上春樹さまからご託宣を聞く」みたいになっちゃっているのに対して。
    第二章以降は、村上春樹 > ファンの関係は引きずりつつも、なんとかかんとか、村上春樹 vs 作家・川上未映子の話として形になっているように思う。
    というのは、読んでいると、村上春樹が大人気(オトナゲねw)を出して、少しでもこのインタビューが形になるようにと、インタビュアーの反応を見ながら発言しているように感じるんだよね。
    変な話、へぇー、村上春樹って、こんな風な人だったんだ…、と意外な気がしたって言ったらいいのかな?(^^ゞ

    もっとも、第一章にも面白いところはある。
    小説(フィクション)におけるリアリズムへの意識の差…、未だ”今”を意識することから逃れられないことにジレンマを抱える川上未映子と、批判されることで"今”を解脱してしまった村上春樹の意識の違いは興味深いし(ま、現在の日本の本の世界において、村上春樹は絶対神になっちゃったからっていうのもあるのか?w)。
    初期の頃、たぶん批判に嫌気がさして海外にいっちゃう前の村上春樹が持っていた、"前の時代に対する反抗心”なんかは、ちょっとワクワクする。
    こんなことを書くと怒り出す80年代アレルギー過多の人wもいるかもしれないけど、村上春樹というのは、戦前からずっと引きずっている日本の文学(純文学?)にあった、あの「貧乏=正義」ではなく、(70年代の終わり〜)80年代以降今に続く、日本の現在の豊かなライフスタイルの肯定で小説(文学)を書き始めた作家のように思うのだw
    ただ、それと同時に、戦後の進歩的文化人的なあの感覚(=それまでの日本文学)から逃れられない人でもあるような気がするんだよね。
    その、60年代でもなく80年代でもない、言ってみれば、宙ぶらりんな70年代的な位置?、視点?、基点?こそが、今の豊かな暮らしを享受しつつも80年代を全否定する人(というよりは時代?)の感性にすごくフィットするんだと思うのだ(^^ゞ
    そんなことを書くと、「村上春樹は海外にもファンが多いじゃん」と言う人もいるかもしれないが。
    そっちは、「都市化」や「中産階級化」が進むと、村上春樹の小説の感覚がフィットするようになるってことなんじゃない?
    それは、今、都市化や中産階級化が進んでいるアジア諸国で「シティ・ポップ」がウケているあの感覚と同じだと思う。
    あまりいい例えではないけれど、イスラエルには村上春樹のファンはいるけど、パレスチナにはおそらくいない。
    そういうことだと思う。

    そういえば、終わりにある「文庫版のためのちょっと長い対談」で、インタビュアーだった川上未映子がインタビュアーではなく川上未映子として、“『ノルウェイの森』の世界観や時代みたいなものを、30歳くらい年の違う私が10代で読むわけです。私たちの青春とは違うのに、なぜか自分の話として読めてしまうところがあります。文化的なディティールは共有できないのに、不思議ですよね”と言ってるんだけど。
    それなんかは、まさにそういうことのような気がするかな?

    ただ、川上未映子はその後、“逆に90年代について書かれている小説も結構あるんですけど、まったく自分の青春として読めないのも不思議なんですよね。渋谷とか、ファッションでもいいんですが、90年代の文化ってあるじゃないですか。私が本当に18、19でリアルに聴いた音楽とかリアルなものがリアルに思えない”と言っているように。
    村上春樹の書く小説にある、60年代でもなく80年代でもない、ある意味、宙ぶらりんな70年代的なナニカが今の時代にフィットするのは、それは、あくまで村上春樹を読む(好む)人の感覚、さらには、本を読むのが好きな人の感覚であって。
    インタビュアーと同世代だけど本を読まない人からしたら、『ノルウェイの森』よりも、自分が90年代にリアルに体感してきたものにこそ、自分の青春を感じるんじゃないのかな?
    それは、第三章のP277でインタビュアーが、“(『風の歌を聴け』が出た時)最初から若い読者が興奮した、という話をよく聞きます。「来たな、俺たちの時代が来たな」と激烈に感じた人が、今の50代半ばくらいに多いです”と言っているのを見てもそう思う。
    1979年頃といったら、一般的な感覚としては文学の本なんて読んでいたら、即「ネクラ(←死語w)」とバカにされた時代だ。
    そんな時代に『風の歌を聴け』を読んで興奮していたような人は、大学生等、ごく一部のスノッブな文学ファンのはずだ。
    おそらく、インタビュアーは作家であるがゆえに、業界の人の話を聞くことが多いんだろう。
    でも、業界の人=一般の人ではないし。
    もし、今の50代半ばくらいの一般の人に、『風の歌を聴け』が出た時に“俺たちの時代が来た”と感じた人が多いのだとしたら、それは、今の世に「村上春樹のファンであることは、なぁ〜んかカッコイイこと」という情報(空気)がネットに蔓延しているからにすぎないんじゃないのかな?w
    それは、渋谷陽一がなにかにつけて言っている、「当時はビートルズファンはマイノリティだった」っていうのと同じだと思う。

    ていうか、インタビュアーが、『ノルウェイの森』を世代が違うのに自分の話として読めるのが不思議だ、と言っていたことに戻るけど。
    メールだ、連絡アプリだ、チャットだ等々、いくらコミュニケーションが便利に密に出来る、今の時代になっても、恋愛がうまくいかないものであるのは、昔と変わらないわけだ。
    人間関係が、今も昔もギクシャクしがちなのも同じだ。
    つまり、世の中がどんなに変わって便利になろうとも、人間そのものは結局同じで。
    『ノルウェイの森』の世界観を文化的なディティールは共有できないのに、自分の話として読めるのを“不思議”だと感じるのは、いつの時代にもある、その時代の人による昔への上から目線にすぎないように思う(^^ゞ

    ま、それはともかく。
    今の村上春樹の人気っぷりっていうのは、今が”何をするにもまず情報”という面が前提としてあるのは確かだと思うけど、なにより今の感性や感覚に合うってことが大きいんじゃないのかな?
    だからって、村上春樹を好まない人が、今の感性や感覚からズレているっていうことでは決してなくて。
    村上春樹を好まない人というのは、今の感性や感覚に内包される60年代的なもの、あるいは80年代的なものといった、村上春樹の小説にある特定の要素に過敏に反応してしまうってことのように思うんだよね。
    60年代も、80年代も、ある意味どちらもスノッブだから(爆)
    すごくスノッブであり、その反面、スノッブでない、今みたいな世の中を生きているからこそ、同じ感性や感覚を持っていたとしても、ある人は村上春樹の小説にあるナニカが心地よくフィットするし、ある人は受け入れられないっていうのはあるんだと思う。
    それこそ、村上春樹の小説を読んで「面白かった」という人、「面白くなった」という人に、なぜそう思ったのか?を聞くことで、その人が「今の世の中」をどう捉えているか、あるいはライフスタイルや消費スタイルが見えてくる…、みたいなマーケティング的な指標をつくることだって出来るかもしれない。
    そういう意味では、村上春樹っていう人は、今を解脱しちゃったようでいて、実はその時代の影響をものすごく受けてしまうタイプの人なんだと思う。
    村上春樹がマスコミ等のインタビューを受けないようにしている等、(たぶん)意識して自分が世の中に露出しないようにしているのは、自らにそういう面があることをわかっているからなのかもしれない。


    繰り返しになるが、第二章にある、“物語というのは、解釈できないから物語になるんであって、これはこういう意味があると思うって、作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなもの面白くもなんともない。(中略)作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている”という、言ってみれば、いい意味での読者への突き放し発言wは、ものすごくエキサイティングだった。

    それは、やっぱり第二章で、“「これは出産のメタファーだな」と考え出したりしたら最後だから”、“頭を使って考えるのは他の人に任せておけばいい。それは僕の仕事じゃない”と語っているように。
    村上春樹っていうのは、もしかしたら、作家がやることは、あくまで物語を書くことであって。
    物語を「文芸」にしてはならない。それを「芸」とするのは他の人、つまり、評論家や読者に勝手にやらせておけばいい、という考え方なんじゃないだろうか?
    それは、元々ファンであり、なにより、インタビュアーとして、このインタビューの前に過去の作品を念入りに復習してきたであろう川上未映子の追求wに、あっさりと「忘れたよ」と答えたのをみてもそんな気がする。
    インタビュアーとしては、あるいは、この本を企画した編集部、さらにはファンからしたら、あの小説のここはどんな意味があるのか?とか、あの小説のこれはどんな意図で書かれているのか?という村上春樹本人による「正解」を期待していたところなんだろうが。
    書いた当の本人からしたら、場面場面での意図や意味は瞬間的に頭の中にあったとしても、それは、あくまでその瞬間にあった意図や意味にすぎなくて。
    そんなものは、書いた当の本人ですら、時期やタイミングによって全然変わる、言ってみれば、後付けの正解(のようなもの)にすぎないってことなんだろう。

    そういえば、篠田節子が、“小説は書き終えるまでは100%作家のもの。書き終えた瞬間、100%読者のもの”みたいなことを言っていたけど、それは村上春樹の「忘れたよ」に通じているんだろう。
    ていうか、自分が書いた小説をそういう風につき離せるか否かが、作家の一つの分かれ目なのかもしれない。
    そういう意味でも、村上春樹に好感を持った。

    自分が文学を読んだのは、せいぜい大学生くらいまでで。
    それ以降は、海外ミステリーを中心にエンタメ小説ばかり読んできたわけだが、村上春樹のそれによって、自分がいかにエンタメ小説のお決まりやルールこそが小説(物語)の常識だと勘違いしてきたかを思い知らされた気がする。
    物語の中で語られてきたパーツ、パーツが一つ、一つ、収まるべきところに収まっていった結果、読者が今まで見えてなかった大きなストーリが見える、もしくは、読者が思ってもみなかったストーリーに変わるみたいな小説っていうのは、もちろんそれはそれで面白いし、自分もそれを楽しんできたわけだが。
    でも、そういう小説っていうのは、本来は小説の中の一つのタイプにすぎないわけだ。
    そういうタイプの小説こそが優れた小説だという価値観は、(読者によって)それはそれでアリなんだろうけど。
    そういう小説じゃない、読者それぞれに捉え方が違う、あるいは、同じ人が読んでも、読んだ時期やタイミングで印象が違ったり、全然別の捉え方が出来る小説があるというのは、子供の頃、小説を読み出していた頃はおぼろげながらに知っていたはずなのに。
    面白い小説、面白い小説と求めている内に、いつの間にか忘れてしまった小説の楽しみ方を思い出させてくれたような気がするかな。
    表紙のフクロウ(みみずくねw)で衝動買いしてしまったこの本だけど、そういう意味では、とっても有意義な衝動買いだったと言える(^^)/


    そんなこの本は、全体については村上春樹についての本であり、部分的には『騎士団長殺し』についての話であり、また、作家同士の裏話だったりもするわけだけど。
    読みようによっては、これからの時代に人は仕事にどう向き合っていったらいいのか?というヒントが書かれている本でもあるように思う。
    働き方改革がどんなに進もうと、IT技術によって仕事がどんなに省力化効率化されようと、それは仕事だ。
    必死こかなきゃ、お金は貰えない。
    なにより、必死こかなきゃ、仕事は絶対面白くならない。
    村上春樹の小説が面白いのは、村上春樹が面白くなるように必死こいて書いているからだと思うんだけど、そういう意味でこの本は、「村上春樹流、仕事で楽しく必死こくヒント集」として読んでも面白いように思う(^^ゞ
    それは、インタビュアーである川上未映子(と出版社の担当者)がこの村上春樹へのインタビューを面白いものにするために、いかに必死こいたか?ということにも通じている。

  • 「村上春樹解体新書」

    純文学という枠には収まり切れない村上春樹の文学。
    彼の思考、発想、文体。
    本著では、その片鱗を拾い集めるような、重厚な読書体験ができます。

    当方、恥ずかしながら川上未映子さんのご著書を拝読しておらず。いち村上春樹ファンの作家さんが当人にインタビューしたものとして読みました。

    数日かけて読了し、
    彼女の鋭い洞察と、村上春樹の淡々とでもどこか文章に対する並々ならぬ情熱を感じることができました。

    日本の私小説への傾倒、テーマありきの作品という業界の動き。

    もっと率直に文章に向き合って読書したい。
    そう思わせてくれる一冊でした。
    現在進行系で村上春樹の著書を読んでいるので、頭の片隅に読むことの面白さを置きつつ読んでいきたい!

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著者プロフィール

大阪府生まれ。2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』で第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。2019年、長編『夏物語』で第73回毎日出版文化賞受賞。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。その作品は世界40カ国以上で刊行されている。

「2021年 『水瓶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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