- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101010144
感想・レビュー・書評
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夏目漱石が伝えたかったのは 則天去私(私心を忘れて 天に任せる)だと思う。
厄介な親類との陰鬱な心理戦が多いが、寂しさでスタートした物語が 妻と赤ちゃんの幸せのシーンで終わり、主人公の それでも 生きなきゃいけない というメッセージは感じた。タイトルから 考えると 道草をしたが、則天去私の境地で、落ち着くところに 落ち着いた ということだろう
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昨年(2016年)は漱石の没後100年といふことで盛り上がつてゐましたが、今年は生誕150年に当るのでした。二年続けての漱石イヤーなので、わたくしも『道草』を開いた次第であります。
『門』『こころ』などと同様に夫婦の問題が描かれてゐます。しかし『道草』がそれらと違ふのは、ほぼ漱石自身の体験を綴つた「自伝的小説」であるといふところですね。主人公の健三が即ち漱石本人がモデルであります。妻のお住が鏡子夫人、さらに金をたかる島田のモデルは養父の塩原昌之助となつてゐます。
ロンドン留学から帰国した漱石。英国では精神的にまいつたやうで、神経衰弱になつて、いはば志半ばで帰国する訳です。その後漱石は『吾輩は猫である』で世に出て、朝日新聞社の専属小説家となります。本作の冒頭に「健三が遠い所から帰つてきて」とあるのは、漱石がロンドンから帰国した事を指してをります。
本作の後は絶筆となつた『明暗』を残すのみで、漱石としては最後期に属する作品。もうこの時期になると、初期に見られた諧謔調は姿を消し、重苦しい雰囲気で物語が進むのであります。
夫婦関係はきくしやくしてゐます。夫は空疎な理屈を振り回す思ひやりのない変人として描かれ、妻は怠惰で夫の仕事にあまり協力的ではないやうに見えます。現在の目から見ると、お住は特段の悪妻とも思はれませんが、毎日夫よりも遅く起きるなど、明治の世では非難されるべき一面があつたのでせう。
しかし後にお住が出産する際には、何だかんだ言つて夫婦の結び付きを感じさせる場面もあり、ちよつと安心します。
序盤で島田に出遭つてから、後の色々な面倒(金をたかられる)を示唆するところなどは、読者の興味を誘ひぐいぐい引張ります。そして徐々に島田が接近する様子は、まるでサスペンス小説のやうであり、読者はどきどきしながら先を急ぐのであります。漱石はまるでエンタメ作家ですね、好い意味で。
それにしても「島田」がかういふ卑しい人物に描かれて、モデルの塩原昌之助の子孫の方は、この小説をどう感じるのでせうか。
漱石を余裕派と呼び揶揄してきた自然主義派が、『道草』で初めて漱石を認めたとの話もありますが、あくまでも自伝的小説であつて、従来の作風を変へてはゐないと存じます。小説作法の上手であるだけの話です。
「世の中に片付くなんてことは殆どありやしない......ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-704.html -
漱石の自伝的小説と言われる作品。
ここまでを読み続けて来て、このタイミングでこういう話が来るのかーと、ややビックリした。
健三が渋々ながらお金を出す度に、何故だか非常にイライラさせられる(笑)
というのも、健三に金をせびる相手達が悉く、遣るに値しない(と感じてしまう)人物だからだ。
そう見えるのは、健三の目を通しているからでもあるけれど、身内である兄や姉でさえ良く描かれていない。
解説にある養父母に、お父さんお母さんと呼ばされることのダブルバインドはよく分かる。
そうして、自分の価値をお金に換算する以外の方法で問い続ける健三が、哀しい。
妻や子に対しても、そうして問うことの答えがない以上、自ら打開出来ない、硬まった関係性しか作り上げられないのか。
終わりまで、何かが劇的に変化するわけではなく、事態は苦しいお金を動かすことで、清算されたように見えるだけだ。
そして、その何の解決にもならなかったことを、健三だけが分かっていて、次の訪問客の予感に暗澹としている。
うーん。なかなか。苦しい小説だった。 -
漱石は全作品そろえていた。けれどどうやら読んでいなかったようだ。新聞連載の「猫」を読みながらで、どうも話が混ざりそうになりながら、読み終えた。どうしてそんな思いをしてまで結婚生活を続けているのか。離婚するという選択肢はないのだろうか、と思ってしまう。そんな中でも新たに子どもが誕生しているから、そこがまた不思議だ。話はほとんど動かない。ほとんどが居間のなかでの話。養父母にお金をせびられる話と、あとはほとんどが夫妻の会話。いまでもこんな夫はいるのだろうな。だから、妻が夫に「早く死んでほしい」なんていう思いを抱くこともあるのだろう。いまなら、すぐにでも離婚ということもあろうが、しかし経済的に厳しい場合はガマンして、早く死ぬのを待つという状態の妻もいるのだろう。ところどころに心に引っかかる考えが述べられている。最後のページから。「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
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そんなに裕福でもない主人公、健三のもとに絶縁した養父島田が現れ金をせびる。さらに姉、養母など次から次へと金をせびりにくる人達が現れてくるお話。
人生って面倒くさいことが非常に多いなぁと改めて思う。
めんどくせぇ… -
誠実に書き記した事が救いになってれば、そしてそれが何年経っても読み続けられてて、「読んでよかった」って思う読者がいる事など諸々を、漱石に送信出来たらいいのにな、などと、くそたわける。
狂気の赤色が滲んで、薄桃色になればいい。赤色は滲んでも、桃色にはならんか。
深いところで、心が震えた。その余韻は半端ない。 -
どこにも行けないこの感じ、私小説ってものなんでしょうか。
これは大人になってからじゃないと伝わらないかなーとしみじみ。今の歳だからこそ読み終えれたような気がします。きっと学生の頃じゃ途中で止めるか、妙な共感に陶酔してたかも。
途中、姉との会話だったか
「情で寂しいんじゃなく欲で寂しい」的な台詞があって、なんだかはっとさせられました。
生活って中々に寂しい。 -
本作は、けっしてつまらないわけではないのだが、ビッグ・イヴェントなどもなく、ただ淡淡と日記のように物語が進行してゆく。それもそのはずで、解説などによれば、本作は漱石の自伝的小説であり、登場人物も周辺の人物と同定されるモデル小説でもあるそうだ。しかし、だとすれば、漱石の人間性には軽蔑を禁じ得ない。本作の主人公・健三は、漱石を投影したと思われる人物であるが、コレがまたどうしようもない人間なのである。妊娠中の妻に対しては、あまりにも無神経な発言を幾度となく繰り返し、いっぽうでしばしば金を無心に訪れる島田という男に対しても、強い態度で追い返すことはできず、けっきょくいつも言いなりになって金を渡してしまう。思いやりもなければ威厳もなく、ダメな男の見本のような感じで、漱石がじっさいにこのような男であったと思うとおもしろい。文豪に奇人・変人が多いということは昔からよくいわれているが、やはり漱石もこの例に漏れなかったわけである。むろん、小説じたいへの評価と、著者の人物像は別に考える必要があるのであるが、しかしこの小説は、著者あってこその小説であろう。おもしろいと断言するポイントがあるとすれば、まさにこの部分でしかないのであるから。
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漱石らしい内容でした。