風の盆恋歌 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101039114

感想・レビュー・書評

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  • わたしはいま、ある女に恋をしている。いい歳こいていまさら恋をするなどとは思ってもみなかった。

    いままでずっと仕事で頑張って、家庭のことで頑張って、脇目もふらずここまでやってきた。あともう少し頑張れば安泰な生活が待っているはずである。でも残りの人生を考えたとき、「自分の人生はこのまま終わってしまうのだろうか」と最近むなしさを感じてしまうようになった。

    だから「幸せって、いいことなの?人間にとって、生きたって実感と、どっちが大事なの?」という、えり子の言葉に愕然とさせられてしまったのだ。そうなのだ大事なのは生きたという実感なのだ。

    残念ながらわたしの想いは女には通じないようである。この歳になってこんな悶々とした日々を過ごすことになるとは思ってもみなかった。現実には、風の盆をともに過ごす都築とえり子のようには、なかなかならない。

    【このひと言】
    〇幸せって、いいことなの?人間にとって、生きたって実感と、どっちが大事なの?

  • 風の盆の音と踊りの描写が秀逸.実際に見たことのない私も自然に深くその世界に入っていく.
    恋の方はあまり共感はないが,男女ともこの本の主人公たちくらいの歳になると,先は見えてくるし,人生の最後の選択肢をいろいろ迷いながら探してしまうんだろうな.

  • 15〜20年ほど前に読んで以来の再読。以前は自分よりうんと年上の男女の不倫ものということで、あまりどこにも同調できず、若干の気持ち悪さを感じながら読んでいたかもしれない。しかし主人公の2人と同世代になった今、つまり人生の「秋」のようなところにいる今、不倫の是非はともかくとして、しみじみと沁みてくるものがあった。同世代といえども、時代も違い、この2人のようなしっとりとしたものはまったくない自分だが、風の盆には憑かれるように4回も行っている。あまりにも潔く散っていった2人には、この風の盆の哀しさと美しさがよく似合うと思った。

  • TVでは毎年放映するように有名になった
    その八尾町「風の盆」のにぎわい話題に引かれて
    (CMのロボットまでおわら節を踊ってすごいね)
    「あっ、そうだ」と買ってあった古本を思い出して読んだ。

    『マジソン群の橋』のように、もどかしいような小説。
    先に読んだ中里恒子『時雨の記』の方がピンと来る。
    こちらは作者が男性だからかそうなるのかもしれない。
    しかし、風の盆見物はこれで味わったも同然だ。

  • 「王道」すぎる不倫物語。風の盆の美しい夜流しと水の音、いつまでもその世界に浸っていたいと思いました。老いていく性と、人生の最後の選択。

  • 石川さゆりの1991年(平成元年)のヒット曲「風の盆恋歌」の題材となった昭和62年に刊行された高橋治著の同名の作品「風の盆恋歌」。おわら風の盆は、毎年9月1日から3日にかけて越中八尾(富山県富山市八尾町)で行われる農作物の豊作を祈る伝統行事で、女性達は揃いの浴衣に編笠の間から少し顔を覗かせた姿で連なりながら唄い踊る。種を蒔き、田の中の小石を投げ捨て、明日の雲行きを見、稲穂がゆれ、稲を刈る農作業のありようが踊りで表現される。胡弓の音色、酔芙蓉の色の移り変わり、橙色の灯など日本人の五感にそっと働きかける筆致がこの大人の作品に張り詰めた空気と独特の深みを与えている。

    「それが日常になる。習慣化する。こちらが慣れる。諦める。振り向いたときには長い歴史が出来てしまっている。男と女って、みんなそんなものじゃないのか」

    風の盆恋歌(なかにし礼 作詞、三木たかし 作曲)

    蚊帳の中から花を見る
    咲いて儚い 翠芙蓉
    若い日の美しい
    私を抱いて欲しかった
    忍び会う恋 風の盆

     私あなたの腕の中
     はねてはじけて 鮎になる
     この命欲しいなら
     いつでも死んでみせますわ
     夜に泣いてる三味の音

      生きて添えない二人なら
      旅に出ましょ まぼろしの
      遅すぎた恋だから
      命をかけて覆す
      おわら恋歌 道連れに

  • おわら風の盆に行く前に予習として手に取りました。
    中年の心中もんってゆうてしもたらそれまでやねんけど、
    八尾で、酔芙蓉ってなまえのお菓子を見つけたときは、ちょっと嬉しかった。

  • 別れ別れの長い年月を経て都築とえり子が八尾で結ばれた時は、風の盆の表舞台にまだ二人しか見えていなくて不倫であるがゆえの燃える切なさや抑えきれない恋情に心が揺り動かされた。
    ただ後半はそれ以上に、この先ずっと憎しみに囚われる人生を妻子に残してしまった罪深さがひしひしと胸に迫る。
    魂が呼び合いむせび泣くような恋と命を燃やすおわらの祭りのマッチングは本当に素晴らしい。だが、その美しい夢幻の世界に素直に浸れなかったのは読んだ時期が悪かったのか、自分は読む立場になかったのか…。独身の頃だったらもっと気楽に読めたと思う。

  • 僕の読んだ最高の恋愛小説。おわら盆の祭りの踊りの中に引き込まれる。

  • かつて想い合った二人が、もう「取り戻せない」とわかっていながら、逢瀬のときを待ちわびて、ひととき、温かく想いを分かち合い、高め合い、慰め合う。不倫、といえば、そうかもしれない。
    けれど、美しい富山・八尾の街の情景、人びとの心のありかた、二人の互いを大切に想い合う姿、そして、なによりも、風の盆という、ひそやかに激しい祭りを背景にさまざまな心が織りなす景色に、ただ、ただ見とれ、心ゆさぶられる。

    美しい哀しさに満ちた作品。

  • 再読本。
    30代の頃毎年九月に、風の盆から帰ると読み返していた本。
    気がついたら主人公とたいして違わない年齢になっていた。
    30代の頃は妙子や杏里の目線で読むことに抵抗がなかったのに。
    越中八尾の風の盆に託して、常に死を意識しながら30年の歳月を取り戻すべく、後戻りの出来ないトンネルを駆け抜けた二人の物語。

  • 風の章
    都築が受け取った名もなき手紙、
    したたまれていた和歌

    いくとせを この家に生きむ あてもなく
    辛夷買ひ植え 春を待つ日々

    この辛夷の咲く家を見るのは
    舞の章のラスト…
    なんと長い時間をかけて紡がれてきた
    思いであったのか。
    読後、また初めからパラパラと読み返し、
    気づく。

    時代的、文章から読みにくいところや
    今ではあまり使われない言葉もあり、
    スピードを付けて読めなかった。
    勢い付いて読んだのは
    舞の章あたりから〜一気読み。

    不穏な空気感が終始漂い、
    決してハッピーエンドではないと
    わかっていながら、
    終わりは綺麗過ぎて、
    潔過ぎて、現代を生きる私には
    少し消化不良。

    八尾の家の2階の引き出しにある
    大量の睡眠薬…2人分

    風の盆から白峰村に足を伸ばす。
    2人にとっての初めての4日目、
    幸せの絶頂でありながら、
    どこかお互いに覚悟した結末への準備でも
    あったのかと思わせられる。

    翌年3月、都築は再生不良性貧血と診断され、
    完治は難しいと自身も知る、
    そして、互いに連絡を取らぬままに
    風の盆を迎える。
    とめが不在であったこと、
    部下の死の責を負いながら、
    またその妻と乳飲子の自死を知らせる連絡、
    突然の小絵の来訪、
    えり子は死んだと聞かされる、

    はっきりとは書いてなかったけど、
    そのまま都築は1人分の睡眠薬を飲んだと
    いうことなのよね?

    「都築は諦めるようにゆっくりと二階への階段を上った」

    そしてえり子は八尾の家に到着し、
    全てを理解する。

    「二階から白麻の蚊帳をえり子は持って下りた。そして、蚊帳を吊り終えると、台所に行って、残された薬を飲み下した。」

    衣装も全て用意のままに
    結末をわかっているかのごとく。

    蚊帳の中、2人が並び体を横たえる姿
    作者の描写の鋭さ、光と彩り、音や温度、湿度
    ここまでに描かれてきた風景が流れていく。
    見事だと思う。風の盆の美しさとともに

    えり子の言う、
    「幸せっていいことなの?、
    人間にとって、生きたって実感と
    どっちが大事なの?」
    このセリフがこの小説の全てを
    著しているのではないかと思う。
    「人生には、こうなるにきまっていると、
    まだ自分の眼では見届けていない結果を、
    明瞭に見とおしてしまうことがある」

  • 幻想的な「風の盆」に行ってみたくなる。

  • 2018年の1冊目。風の盆の描写は素敵で、今年は風の盆へ。と思う一方、私とは不倫に対する考えがかけ離れていて理解不能。

  • 2017年10月7日に紹介されました!

  • 「翌日、都築はなん度となく家の外に出て酔芙蓉の花を見た。午前中の白さは凛としたものを感じさせるほど澄み返っている。ほんのりと紅がさしたのが一時頃だった。二時、三時、紅が増した。白さが厳しいものだっただけに、色づいて来る様は、酒に酔うというよりも、女が自分の内側から突き上げて来るものに抗い切れず、崩れて行くありようを連想させた。」

    「“蝶の行く末の低さや今朝の秋”
     “枯芦の日に日に折れて流れけり”
    残り少なくなってしまった芦も、低くしか飛べなくなってしまった超も、まるで、私自身のように思えます。
    そんな、嚥み下しようもない固まりに似たものを抱えこんで、高雄の紅葉を見ていると、実りとは無縁な散る前の一瞬の華やぎであることが身にしみます。
    正直に申し上げて、ただの、一瞬も、華やぎの余韻はまだ私から消え去っていってはいません。
    ですから、草の葉末をすれすれに飛ぶ蝶であっても、私は飛び続けたいと思うのです。」

  • 描写が兎に角美しい。水の音が、耳元で聞こえてくるかのような描写をなさる。多くの不倫を題材に扱った小説がそうであるように、最期には避けがたい死を以って小説は完結する。それでも、死が何と優美で美しいことか。

  • 大学時代にプラトニックで終わった恋人たちが
    初老を迎えて再会するという不倫もの
    「この女は絶対に自分のことを裏切れない」という確信でもって
    妻を昔の男のところに送り出すという
    旧約の神を気取るがごとき亭主の傲慢さに反発を抱えた女と
    互いの自由独立を尊ぶあまり
    キャリアウーマンの妻とのあいだに、わが子を持ちえなかった男が
    富山県富山市八尾に一軒家を買い
    「おわら風の盆」が開催される三日間だけ、若い頃の気持ちで
    かりそめの夫婦生活を送るのだった
    終盤は「ロミオとジュリエット」的な展開を見せる
    八尾の家に、若かりし頃そのままの女が訪ねてくるシーンは圧巻

  • 今年大往生を遂げられた高橋治先生の代表作。今は越中の一大祭りとなった越中八尾の「おわら風の盆」を一躍有名にした作品だそうだが、有名にしたのはこの作品では無く、むしろそれにインスパイアされてヒットした石川さゆりの演歌の方だった?それはさておき、この作品に影響を受けたもう一つの有名な作品は「愛の流刑地」で、あのプロットのイメージがあるのでこの小説もちょっとナナメに見ていたのだが、読んで大分イメージ変わった。何しろ踊りと風景が美しいのである。行間から美しさが滲み出てくる。これはなかなか。高橋治という人は、ご自身もおわら風の盆が大好きで、毎年通っておられたそうである。だから、この祭りの特徴だという、夜の踊りの光から彩りから、読み手の脳裏にハッキリと映し出す文章というのは、最近なかなか見ない。まあ、この作品、相当昔(70年代)のものなのですがね…。男性の手になる女性の美しさ、と言う点では、歌舞伎や文楽に通じるものがあるかも知れません。実際作中にも文楽が出てくる。今の時代じゃこんなことは起きないとは思うが、その美しさは現代にも通じるね。

  • 月影ベイベ、の雰囲気を感じられるだろうか。

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著者プロフィール

1929年千葉県生まれ。小説家・劇作家。1983年『釣師』で直木賞受賞。

「2016年 『松尾芭蕉 おくのほそ道/与謝蕪村/小林一茶/とくとく歌仙』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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