- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101050232
感想・レビュー・書評
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ますます本多が俗人化してゆく作品。ヒロインの心理が一切わからないのは本多と年齢が離れてしまったせいなのか?そもそもこのヒロインは必要だったのだろうか…?と言うのが率直な感想。
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心と意思が罪と業の原因をなすのであるから、われわれは本来無我である。
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2015/10
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三島自身の校了の感想も、これまででもっとも不愉快だったと言っているそうで、この小説を書き終えた半年後に自衛隊での演説をおこなうことになるわけだが、このことを知って読むと一層感慨深い。内容は輪廻転生や人間の生をテーマとしているが、とにもかくにも人の美しさ、醜さ、高潔さ、狡猾さ、悲しみ、エロティシズムが、綺麗で力のある言葉で描かれている。前半後半で時間の流れがまったく違うと感じることも驚き。やはり三島は一度は読むべき。
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文字を追うだけで、行った事も無い国の温度や湿度、匂いまで感じ取れてしまうような描写に圧倒され続けた一冊だった。かつての親友の生まれ変わりだと信じてジン・ジャンを老い続ける老人の愚かさというか人間くささが浮き彫りにされている。
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輪廻転生の「転」にあたる3作目。そこには2つの「転」が存在する。一つは異国の人として生まれ変わった「転」、もう一つは女性として生まれ変わった「転」。それが、老いてく本多の中に、新たな異性への想い、恋、エロティシズムとして溶けていく展開が実に官能的で興奮させる。しかしそれは表向きの顔。「転」の本質は別にある気がしてならない。そもそも戦後復興への胎動期にあり、まだ進駐軍が跋扈していた時代であるにも関わらず、中心人物がみな裕福なのには違和感を覚える。本多の人物像しかり。一瞬にして土地成金になり、孫のような年の少女に恋をし、覗きで興奮する異常性愛の持ち主。一方の少女は狂った幼姫で同じように異常性愛を植え付けられ、あっけない最期を遂げる。その死には清顕や勲のような神秘感は存在しない。これらを総合して考えると、実は登場人物の姿、行動を戦後日本の象徴として表現したのではないか、と想像する。そして三島が伝えたかった「転」とは、復興に向けて歩む日本の指針への警鐘に他ならず、最終章への布石が見えてくる。
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タイの寺院の描写が美しい。
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前作より、さらに十年、二十年を経た本多繁邦。思いがけなく大金を手にし、爛熟、退廃していく。今度は、若き日に交流のあったタイ皇族の娘に、清顕の転生を見る。今回の語り手は、一貫して本多に。ジン・ジャン姫の内面の声は謎めいて一向にあらわれてこない。美しく気まぐれで、まったくこちらの思い通りになどなってくれない存在。約束も信頼も親密も無意味。そのままふつりと居なくなり、また若くして夭折してしまう。本多の屈折した思いも受け入れられることはなく。/「俺の醜さは独特だ」「あんな商人どもとちがって、なにしろ俺には正義の前科があるのだ」/「この世には道徳よりもきびしい掟がある。」「ふさわしくないものは、決して人の夢を誘わず、人の嫌悪をそそるというだけで、すでに罰せられていた」
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『永年の習慣で、散歩というと本屋へ行くのである。夥しい背文字の列が心を慰めた。
すべてが観念に化してここに納められている。人間の愛欲と、政治的騒擾も、すべては活字になって沈静に配列されている。
しかもここにはすべてがあるのだ。編物の手ほどきから国際政治まで。』
難しいなぁ。登場人物のみんなが何考えてるか分からないなぁ〜。
たぶん、肝心なことを誰も何も言ってないからなんだろうな。