砂の女 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121154

感想・レビュー・書評

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  • 一文一文に惹きつけられる作品でした。
    緊張感の溢れる文章、奇怪な設定、名前はあるはずなのに「男」「女」と呼ばれ続ける二人。
    ありえない話なのに、他人事には感じられず、まるで自分の身に起きている出来事のように感じられました。あっという間に、その世界に入り込んでしまいました。
    今回は先が気になりすぎて駆け足で読んでしまったため、次はもっと一文一文を味わってじっくり読みたいです。
    男の暮らし・人生は、なんだか現代人の生活(・性質)を示唆しているようにも感じられました。

  • 砂。砂砂砂砂砂。流動する、流動そのものとも言える固体。
    この「砂」というものに注目したところにもう惹かれる。

    砂に囲まれた穴の中で暮らす一人の女。男から見ると、それはただ砂を掻くだけのまるで正気ではない生活に見えてしまう。だが、女は外に逃れようとはしない。適応というべきか、麻痺というべきか。いや、そもそもそれが”非日常”だという考え方がおかしいのだ。
    性、労働、報酬、研究。
    ついにその生活は男にとっても日常となる。
    「納得がいかなかったんだ・・・まぁいずれ、人生なんて、納得ずくで行くものはないだろうが・・・しかし、あの生活や、この生活があって、向うのほうが、ちょっぴりましに見えたりする。このまま暮していって、それで何うなるんだと思うのが、一番たまらないんだな・・・どの生活だろうと、そんなこと、分かりっこないに決まっているんだけどね・・・まぁ、少しでも、気をまぎらわせていくれるものの多い方が、なんとなく、いいような気がしてしまうんだ・・・」

    解説にある通り、「寓話的な意味もあろうが、多くの寓話と違い、絶えず隠れている意味を熟考する必要もな」く、意味を考えさせられる部分もあるが、それがややこしさ、難しさに繋がらない。
    一般的に高く評価される”文学作品”というものを心の底から楽しみ、凄いと思えたのは初めてだ。

  • すごい!場所もほとんど動かない、登場人物もほんの数名なのに、どんどん引き込まれて、1日で読んでしまいました!オススメ!

  • 理解できない部分もあったが、文章自体は平たい言葉で書かれている印象で、そこまで読みにくくはなかった。砂や水、生物等に対しての描写が、科学的かつ哲学的にも感じて面白かったです。寓話的でもあり、SFのようなファンタジーのような不思議な世界観が味わえました。

  • 高校生の時、あまりの不条理さにちょっとトラウマになった。
    今回再読してみたら、トラウマにはならないと思うけど、やはりその不条理は恐ろしい。

    砂丘に住んでいるかもしれない、新種の虫を捜しにちょっと立ち寄った海沿いの寒村で、砂に埋もれた一軒家に閉じ込められる男。
    最初は当然憤る。
    仮にも日本は法治国家なのだ、
    当人の意思を無視して監禁したところで、警察が来て見つけてもらえるはずだと希望をつなぐ。

    しかし、主人公の男は、灰色のようなつまらない生活を送っていると思える同僚に、失踪を仄めかす様な言葉を残して旅に出たのだ。
    彼女あての、遺書と思えるような書きぶりの手紙を机の上に残しさえした。
    これでは、本人の意思で姿をくらましたようにとられてしまうかもしれない。

    脱出するために、考えられる限りの方法を試みるが、砂は崩れ、彼は外に出ることができない。
    蟻地獄にハマってしまったかのように。

    そういう状況に陥るのも怖いけれど、元々その家に住んでいる女の、状況をまるごと受け入れる姿も恐ろしい。
    「穴の外に出たいと思わないのか?」と聞く男にも、はっきりとした理由を告げることなく、砂に囲まれた生活に不満を持たない女。
    世界を知ろうと思わなければ、どんな環境でも人は閉塞感を感じることなく生きていけるのか?
    もしかしてそれは、ブラック企業だと思いながらも会社のやり方にならされていく私たちの姿なのかもしれないと思うと、時代を超えて読まれるべき作品だと言わざるを得ない。

  • 何も考えず、ただ漫然と日々を生きている。
    朝早くに起きて仕事に行き、一日の大半を費やして働き、疲れた体で家に帰り、わずかな時間と体力では大した趣味にふけることもできず、体を休ませるのみ。
    ある日ふと気づく。
    自分は生きるために働いているのか、働くために生きているのか……。
    他人から見た自分はさぞみじめに違いない。

    『砂の女』を読んでそんな思いにとらわれたが、この本が書かれたのは1962年。
    戦後の時代で労働が正義だったはずなのに、現代の人間生活の軋みにあてはまってしまうのが不思議だ。
    もちろんこの物語の捉え方は幾通りもあるだろうし、安部公房の意図は正確にはわからないが、彼なりのその時代の息苦しさが見えていたのだろうか。

    学生の頃、それが避けようのないことだとわかっていつつも、社会人になることは牢獄に入ることと同じだと思っていた。
    でも実際に社会に出て働いてみると、それが当たり前になる。
    男のように「希望」なんていうしょうもない趣味に生きがいを感じながら、砂の中での生活に慣れていってしまうのだ。

    そのことに気付かなければ幸せなのだろう。
    読者からすると、砂の中で暮らし続けている女が不憫で可愛そうに思えてくるが、本人はさして気に留めていない。
    それが当たり前だし、それ以外の生活が簡単に手に入るわけでもない。

    案外著者が言いたかったのは現代の苦しみとかではなく、人間の生活なんてそんなものということなのかもしれない。
    男はたとえ砂の穴から出れたとしても、外でも砂をかむような生活をしていたようだ。
    それをみじめな人生だと笑う他人がいたとしても、きっとその人も大して変わらない生活を送っている。

    友人にすすめられて読んでみてよかった。
    実は購入したのは5年以上前で、たしか誰かの書評で「砂の女は近現代文学の最高傑作」というようなことを書かれていたのを見たためだった。
    それから長らく積んだままになっていたが、友人が安部公房のファンで『箱男』と『人間そっくり』が特に好きなのだと語ってくれた。
    それならばまずは本棚に眠っている『砂の女』からと手に取ったが、こんなに読みやすくてかつ濃い小説だとは。

    太宰・芥川・夏目を読んだときくらいの現代の言葉遣いとの違いは感じるかと思ったが、つまずくことがなかった。
    比喩表現が多いのに読みやすくて、比喩表現が多いからこそ読ませられる不思議。

    その比喩表現は文章だけでなく物語の濃さにも強く影響している。
    これでもかというくらい砂・砂・砂の描写が続き、読んでいるだけでも息苦しさと圧迫感を覚えた。
    中盤あたりでこれはホラーなのではないかと疑う瞬間もあり、青酸カリが出てきたときは、女が死んでとても胸糞悪い終わりを迎えるのではないかと読み手でしかない私が追い込まれるほどだった。
    そうして、簡単に予想できる終わりではなく、奇想天外なものでもなく、「ああそこか」というほどの着地点を見せられたときは妙な納得をしてしまった。

    いくら読んだ本の内容を忘れっぽい私でも、この「砂のイメージ」は死ぬまで忘れないと思う。
    それとたぶん、ファムファタールとは違うが妙な色気を持つ女のことも。

  • 砂の女
    (和書)2013年01月31日 00:39
    1981 新潮社 安部 公房


    意外と良かった。女の描写も良かった。

    映画『砂の女』で岸田今日子が演じていて不気味な印象ばかり強く安部公房の作品を読んでみたいとは思わなかった。しかし読んでみると決して女は不気味ではない。逆に魅力を感じるぐらいだ。

    これからも公房作品を幾らか読んでいきたい。

  • 昔から名前だけは知っていた本。知り合いの読書家さんの中でも読んでいる方が多いので、逆に避けていた面もある。有名過ぎて、読んでそれほどでもなかった時の肩透かし感を味わいたくなくて。
    でも今回実際に読んでみて、話の虜になってしまった。先を読むのが待ちきれず、でも絶対に先の情報を視界に入れたくなくて、ページをめくったらまず左半分を手で隠すようにして読んだ。それほど夢中になったという。
    砂に取り囲まれた部落に迷い込み、砂穴の底の家に囚われることになった男性。そこに住み着いていた女性と暮らす中、逃亡を企てるも……。微視的に見ればそういった筋書き。
    それだけでもミステリータッチで面白いのだけど、煎じ詰めれば私たちの普通の人生も似たものかも、といった巨視的な見方もできるよう。
    著者がどこまで意図して書いたのか。
    深い。

  • 壁を学校の教科書で読んで以来に読んだ安部公房。エンタメとして抜群にオモシロかったし社会批評文学としても一級品だった。時代を超えて残っているからこその強度がある。昆虫採集を趣味にしている教師が主人公で、彼がそれを趣味にしている動機は新種を自分で見つけ出して自身の名前を刻もうと考えている。この設定にやるせなさがある。当然自分の好きな仕事につければいいけど、つけていないケースの方が相対的に多い。そんな中で趣味に没頭して少しでも自身のやりがい/尊厳を満たそうとするところに泣けてくる。また先生という職業に対する徹底的な冷めた目線の残酷さが強烈…以下引用。

    じっさい、教師くらい妬みの虫にとりつかれた存在も珍らしい……生徒たちは、年々、川の水のように自分たちを乗りこえ、流れ去って行くのに、その流れの底で、教師だけが、深く埋もれた石のように、いつも取り残されていなければならないのだ。希望は、他人に語るものであって、自分で夢みるものではない。彼等は、自分をぼろ屑のようだと感じ、孤独な自虐趣味におちいるか、さもなければ他人の無軌道を告発しつづける、疑い深い有徳の有徳の士になりはてる。勝手な行動に憧れるあまりに、勝手な行動を憎まずにはいられなくなるのだ。

    自分が辛いからお前が楽しむのは許さないという、よく見かける負のループをここまで言語化しているのがかっこいい。(当然だけど教師に限った話ではない)お話の舞台が砂の穴という世俗から隔離された過酷な環境でそこから放たれる上記のような社会批評がいいスパイスになっている。話の基本は牢獄からの脱走ものなのでKUFUして何とか逃げ出そうとする展開は当然オモシロい。蟻地獄をメタファーなく砂を使いまくって描き切るこの胆力よ。あと話のオチも想像してない角度で驚いた。こんな自己顕示欲をコントロールできない人間が陥る末路として怖すぎる…たくさんのLessonが含まれている優れた文学。

  • 毎日が煩雑で全く同じことの反復でしかない生活なら、この穴の中での、毎日砂を掘っては捨てる単調な反復の生活に置き換えた方がよっぽどマシかもしれない。面白かった。

    • 藤さん
      表現がうますぎて、読んでて口の中ジャリジャリした
      表現がうますぎて、読んでて口の中ジャリジャリした
      2024/03/10
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著者プロフィール

安部公房
大正十三(一九二四)年、東京に生まれる。少年期を旧満州の奉天(現在の藩陽)で過ごす。昭和二十三(一九四八)年、東京大学医学部卒業。同二十六年『壁』で芥川賞受賞。『砂の女』で読売文学賞、戯曲『友達』で谷崎賞受賞。その他の主著に『燃えつきた地図』『内なる辺境』『箱男』『方舟さくら丸』など。平成五(一九九三)年没。

「2019年 『内なる辺境/都市への回路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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