われらの時代 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 59
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101126029

感想・レビュー・書評

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  • 若者特有の迷いや閉塞感がいきいきと描かれていて、これが世界の大江かと突きつけられた気分

  • 初めての大江健三郎。自分にとって大江健三郎は、人の良さそうなおじいちゃんというイメージだったのでびっくり。


    時代の違いなのか、描かれている若者達が持つ焦燥感、閉塞感、性へのこだわりや嫌悪感、その場限りの衝動、くだらないこだわり等自分には理解できない。

    突飛に感じる箇所も幾つかあり、正直言えば、大江健三郎の作品でなければ、途中で止めていたかもしれない。物語終了間際のストーリー展開には否応なしに引き込まれる。

  • 3.5
    らすとの畳み掛けは読みながら死ぬかと思った

    p90
    弟は幸福な人間を見るようにかれを見つめて笑っていた。靖男は弟を殺したかった。肉親にたいしてもちうる感情は殺意か愛かの二つしかない。

  • 英雄的な死を若者が享受していた時代(=戦争の時代)が終わった後に遅れて生まれてきた青年たち。彼らはそれぞれの方法で希望のない状況から脱出しようとする。苦闘の果てに自殺こそが彼らにできる唯一の行為だと気づくが…

    21世紀の若者である自分が読んで共感できるところが多いというのは、本質的に日本は50年代からたいして変わっていないからなのか。
    「おれたちは自殺が唯一の行為だと知っている、そしておれたちを自殺からとどめるものは何ひとつない。しかしおれたちは自殺のために跳びこむ勇気をふるいおこすことができない。そこでおれたちは生きてゆく、愛したり憎んだり性交したり政治運動をしたり、同性愛にふけったり殺したり、名誉をえたりする。そしてふと覚醒しては、自殺の機会が眼のまえにあり決断さえすれば充分なのだと気づく。しかしたいていは自殺する勇気をふるいおこせない、そこで遍在する自殺の機会に見張られながらおれたちは生きてゆくのだ、これがおれたちの時代だ」

    大江自身の解説にもあるが大江は性を飾らない。飾らないことによる生々しさが性への幻想を打ち破り、大江の作品の主題へといざなってくれる。好き嫌いはあれど大江には合っていると思う。

  • 状況からの脱出をはかる兄弟。兄はフランス留学による現状打破を目指すが外人相手の娼婦を職業とする愛人との関係から逃れられない。閉塞した状況の中、暴発寸前の弟とその仲間は一発の手榴弾に希望を見いだそうとするが惨めな失敗の中、最悪の状況に墜ちていく。
    自ら状況を悪化させていくような彼らの生き方は当時の若者からは共感を得られたけど、今の時代には流行らないかもしれませんね。

  • 遅く生まれてしまった世代の苦悩、鬱屈、閉塞感が伝わってくる。
    そこから抜け出したいのに抜け出せず絶望する。
    兄弟二人は抜け出せそうになったのに結局抜け出せず絶望する。
    時代が変わっても同じような苦悩がある気がする。

    読んでて気持ちのいい内容じゃないのに、
    ページをめくる手が止まらなかった。
    特に後半の展開は圧倒的だった。

  • 大江健三郎って下手にノーベル賞取ってしまったから何やかんや言われるけど、初期の作品の衝動というかみずみずしさというのは素晴らしい。これは現在進行形で若者である人間にしか書けないだろうし、個人的な体験に並ぶ傑作だと思う。

  • 再読。解放への糸口をさぐり出発を夢見ながらも壁を乗り越えられず諦念した日本の青年。残されたのは偏在する自殺への機会、それが日常の光景になる。この小説が書かれた時代から半世紀が経つ。現在も息苦しい世の中だ。人びとは脱出よりも狡猾に順応することにもがく。それがわれらの時代。相も変わらず閉塞の時代。

  • グロテスクな、性的なイメージが氾濫し凄まじい閉塞感に彩られた一冊。書きたいことがたくさんあって、それを一気に詰め込んだのかなあという印象。ストーリーテリングというよりも、言いたいことがけっこうそのまま書いてあって、物語としての出来はいまいちかもしれないけれど、政治的でグロテスクで性的で、ふつう避けられるような酸鼻なものが詰め込まれていることも含め、この小説全体を支配しているなにやらとんがっていてぐちゃぐちゃな、月並みな言い方をすれば青臭いとも思われるようなものが、わたしはとてもすきです。顔の見えないなにかに必死に抗う、負けそうになる、それでも抗おうとする。分裂症気味な混乱に対する共感はたとえばティム・オブライエンのニュークリアエイジを読んだときのようなかんじ。50年ほど遠く隔たった「われらの時代」を当時意図されたように重ね合わせるのは難しいけれども、というか僭越だけれども、こちらにはこちらで「われらの時代」がありここから感じ取れるものもあるのだとわたしは信じたい。
    それにしても、大江がこの小説を書いた年齢は今のわたしの年齢とほぼ重なっていて、もう、なんてことだ。圧倒される。

  • 死者の奢りや飼育を読んだ時のような震えるほどの感動とか、これこそが魂の救済かもしれないと思う実感とか、そういうものは全くなかった。長編として均整の取れていて主軸もしっかりしていて日本文壇的な作品。でもデビュー時の何が何でも、というようなみずみずしさとか絶望感とかが感じられない。優れた文学と、性への執着はわたしに古風な日本文壇を思い起こさせて、三島由紀夫のような、そんな。死者の奢りがあまりに心を震わせる素晴らしいものだったので意気込んで読んだところを挫かれた感じ。春樹が周囲は大江健三郎を読んでいたが自分は好んで読むことはなかったみたいなことを言っていたのが、分かる気がする。いき過ぎた執着は気持ちが悪い。結局、何になるんだろう。この優れた、ノーベル賞作家の文学は、何になるんだろう。そんな気持ちがぽっかりと、世代のせいかなあ。

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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