やつあたり文化論 (新潮文庫 つ 4-9)

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  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101171098

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  • 筒井流の怒れる文化・文芸論だ。自分は煙草を嗜まないが、カバーのピー缶が良い。団体、新聞、政治家など実名を挙げてバッサリ斬る筆致は、著者の小説以上に刺激的だ。「笑いの理由」で新聞コラムの著者評に対する反論で、評者が新聞編集委員と判明したとき『この人物が職を失うという事態に陥るとはとても考えられないので、今後は安心して攻撃することができる。』という著者の攻撃的な文章が心に残った。

  • 2016.9記。

    標題エッセイを収録した「やつあたり文化論」の出版は昭和50年、ちょうど40年前。おそらく今よりはもうすこしわかりやすく「保守と革新」が色分けされていた時代だったろう。読んだのは大学時代(下手をすると高校時代)だが、ここ最近ずっと「あれどこで読んだっけなー」と気になっていた。

    筒井氏のフロイト理解によれば、若者にとって自分を抑圧する父親という存在はしばしば社会の権力者と重ねられ、だからこそそれとの対決は若者によって担われてきた(つまりはエディプスコンプレックスの文脈での「父親殺し」の謂であろう)。では「父親が自信を失った時代」にあってはどうか。筒井氏は書く。

    「・・・(父権との戦いを経ていないので)上位自我も不完全にしかできあがっていない連中は、はっきりした悪人像を持っていないか、あるいはまったく持っていない。どんな人間とでも対話次第で理解しあうことができると思っているような甘いところがある。普段から『国家権力』だの『国家権力の犬』だのと口走っているくせに、権力にひそむ悪の正体を劇画的にしか認識していず、したがってそういったものの存在を心の底から信じていないところもあり、そういうものを理論武装とかちょいとしたゲバルトで崩壊させ得ると思っている甘さもある。これは一方でたまたま社長なり大臣なりに会って話した連中が『意外と話のわかるおっさんじゃないの』と簡単に思い込んでしまう人の良さにも通じるもので、自分が丸め込まれたのだとは絶対に思わない、話し合いムードへの信頼によるものである」
    「・・・さて、こういった甘い国民大衆は権力者にとってまことに好都合で彼らをおだてて自分たちの思うままに操作できるから、こうなってくると現代は、おいそれとお上に楯つかず心ひそかに権力者を悪人と思いこんでいた時代よりもむしろ危険な状態になってきたといえよう・・・なにしろ話の通じない悪人が存在するなど夢にも思っていず、まして『悪人とは話しあえば話しあうほど危険だ』ということなどまったく知らぬ善良な人間ばかりの世の中なのだからである」
    「今では権力者は、すぐ話しあいムードに持ちこみ、彼らに多すぎるほどの発言の機会をあたえ、それによって反逆者たちに内部分裂を起させ、挫折感さえほとんど抱かせないままで彼らを巧妙に丸め込んでしまう。・・・全学連の連中が一時期よく口にしていた、『変に革新的なことを言って近づいてくる大人よりも、いっそはっきりタカ派を表明してくる大人の方が対決しやすい』ということばも、こういった権力側の態度や、昔と違って悪の存在する場が分散してしまっていることへの苛立ちからでたことばではなかったかと思う。そしてさらに、より権力者的性格を明白にした悪人の出現への期待も含まれていたのではなかっただろうか」(以上引用は文庫版P.110~)

    筒井氏の文章は一級品の文章芸としての極論だから、主張自体に賛成反対とかポリティカリーコレクトかどうかとかは(少なくとも私には)あまり意味があるとは思えないが、なにかしら現在の状況を考える補助線になる、かもしれない。

  • 遠い昔に読んで感心したような記憶がある。

著者プロフィール

小説家

「2017年 『現代作家アーカイヴ2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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