- Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101235097
作品紹介・あらすじ
アンカラでは一人のトルコ人女性を訪ね、東京から預かってきたものを渡すことができた。イスタンブールの街角では熊をけしかけられ、ギリシャの田舎町では路上ですれ違った男にパーティーに誘われて。ふと気がつくと、あまたの出会いと別れを繰り返した旅もいつのまにか〔壮年期〕にさしかかり、は、旅をいつ、どのように終えればよいのか、考えるようになっていた。
感想・レビュー・書評
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前巻から間に6年を置いて書かれていて、26歳の時の経験を43歳になって書いた巻とのこと。
巻末の対談によると、旅が終わって、間を置いて書かれた旅行記、という意味では、松尾芭蕉の「奥の細道」と似ている、とのこと。なるほど。
本巻の移動ルートは、トルコ、ギリシャ、アドリア海。読んでて、スブラキ食べたいなあ、と思った。
旅の終わりを強く意識し始め、前巻迄とは打って変わって、内省的な記述が増えて来た。
途切れ途切れで読み進めて来たが、あと一巻でいよいよ一巻の終わり。名残惜しく、6巻を読み進めるのに躊躇する。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第5弾。いよいよアジアからヨーロッパへ。
トルコではアジアとヨーロッパが渾然一体となった文化を体感し、徐々にヨーロッパが近くなってくると主人公はこれまでの旅の意味を振り返る時間が増えてきます。
香港を皮切りに旅を続けてきてもうすぐ終わるというのはどんな気持ちなのだろうと一緒に旅してる自分がいます。
オススメ! -
アジア人はよくチャイを飲む。つまりトルコまでがアジアだど。お隣のギリシャはチャイを飲まずにコーヒーを飲む。ようは茶を飲む国とコーヒーを飲む国に分かれるんだと。
あれ?じゃ、イギリスは紅茶を飲むじゃないですか?
「『英語でチャイは何という?』『ティー』『フランス語では?』『テ』『ドイツ語では?』『たぶん、テー』『ほら』『何が』『彼らはTで始めるチャイを飲んでいる。でも、僕たちはCのチャイを飲んでいるのさ』」
この件は素敵だった。 -
人生は旅に似ているというが、長い旅もまた人生に似ている。幼年期があって、青年期、壮年期、老年期がある。
実際に旅をしてから十数年経ってからの執筆だと知り、それだけ熟成させたから、これだけ、落ち着いた雰囲気を出せたのかと思う。 -
沢木耕太郎さんの深夜特急の旅はテヘランからイランの国境を越え
隣国・トルコへと入りイスタンブールへと向います。
沢木さんはこの当時26歳位だったかしらと記憶していますが
少々無謀で無鉄砲かとも思える沢木さんの旅道中での行動や
出会っていくものの一つ一つは、かなり危険なところをすれすれで
切り抜けていっているようにも見えて、私には到底なしえない事を
やってのけている沢木さんにはとにかくいつもハラハラドキドキ
そしてわくわくさせられてもいます。
とはいえ....沢木さんには不安だとか、恐怖心だとか心細いとか
そういうことを感じることは少しも何もないのだろうか...。
これは怖いもの知らずだからこそできる、若さがゆえんの
若気のいたりなのかもしれないけれど...などと思った矢先
"自分はどのような状況でも生き抜いていけるだろうという自信と
それとは裏腹の危険に対する鈍感さの二つを旅が与えてくれた気がする"
という沢木さんの気持ちが目に飛び込んできて、なんか通じた...?という
驚きととともに(笑) あぁ..やっぱりそうよね...人間だもの....と安堵して
肩の力が抜けてほっとした気持ちになりました。
窮地に立たされた時に振り絞った勇気が自信へと繋がっていく一方で
それも度重なると自信はマヒして過剰(鈍感)になってしまう....。
これはほんの紙一重のことなんでしょうね...。
沢木さんの旅はほんとその紙一重そのもののようでした。 -
再読。トルコ、ギリシャの旅。トルコでボスポラス海峡を越えると、そこはアジアとは異なる欧州を感じさせる場所になるといいます。物価も上がり、食べ物も変わる。ギリシャにいけば、茶がコーヒーになります。そして旅も東南アジアやインドのような混沌さを感じられるものではなくなっていきます。同時に彼は満ち足りなさ、喪失感のようなものを感じ始めます。旅が終わりに近づいていることを実感しながら。
旅の終わりを感じ始める章。さあ、次が最終巻です。 -
この「トルコ・ギリシャ・地中海」の旅では旅に対する思いの人生に対するそれとの重なり方が大きくなり始める。
香港マカオで始まった土地へ、そして人への興味にあふれていた旅が、いつのまにか訪れた地、出会った人々への感激が薄れていく。
そしてそれは土地が変わったのではなく自分自身が変わったのでもなく、この旅そのものが変わったのだと著者は感じる。
旅にも幼年期、青年期、壮年期、老年期があるとすれば何を経験しても新鮮で些細なことにも心を震わせていた青年期は終わっていたのだと。そして今はこの旅をどのように終わらせるかを考えるようになっている。
読者である自分も旅と人生を重ねるというありがちな思いがシックリとしてくる。 -
トルコからギリシアへ
西へ行くにつれ、主人公が少しずつこの旅に興味を失いつつあるように、読者にとっても今までのような興奮が薄れてきた感がする
やはり日本も違いはあろうが西側諸国の文化・暮らしに近いせいだろう
文中におもしろい言い回しがあった
「トルコからギリシアに入ることで、アジアからヨーロッパへ、イスラム教圏からキリスト教圏へ、茶の国からコーヒーの国へ、「C 」の茶の国から「T」の茶の国へと違う種類の国へと来てしまったのだ」
言い得て妙だなと思った
また、さらにこんな文章も
「人の一生に幼年期があり、少年期があり・・・老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない
私の旅はたぶん青年期を終えつつある。何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期は終わったのだ」
主人公は、この旅をどのように終わらせるのか、しおどきをどのように見つけるのか考え出している
それは私たち読者にしても、残念ではあるが興味のあるところだ
さあ、残るは最終巻の第六巻へ
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いよいよラストの前の5巻。旅の終わりが近づいてくるのを感じます。
ヨーロッパ方面へ向かい、アジア編とは違い近代化した街並みが頭に浮かぶ。
トルコの熊と写真を撮って膨大な金額を請求してくる詐欺師とのくだりは頬が緩んだ。
いよいよ次は最終巻。長い期間をかけて少しずつ読み進めたので、なんだか自分の旅が終わるようで寂しい気持ちになる。