本格小説(下) (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (540ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101338149

作品紹介・あらすじ

生涯の恋に破れ、陰惨なまなざしのままアメリカに渡った東太郎。再び日本に現れた時には大富豪となっていた彼の出現で、よう子の、そして三枝家の、絵のように美しく完結した平穏な日々が少しずつひずんで行く。その様を淡々と語る冨美子との邂逅も、祐介にとってはもはや運命だったような…。数十年にわたる想いが帰結する、悲劇の日。静かで深い感動が心を満たす超恋愛小説。

感想・レビュー・書評

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  • 軽井沢に別荘を持つ昭和のお金持ちたちの独特の世界観にどっぷりはまった。

    アメリカに渡り大成功して大富豪になった不幸な生い立ちの男と、優雅な金持ちの家族の対比によって、豊かさとは?幸福とは?と考えさせられた。

  • 成城に屋敷を構え、夏は軽井沢で過ごす上流階級の家庭に生まれた女たちと、身分の違いすぎる男太郎の、半世紀に渡る運命の物語。
    「太郎ちゃんなんかと結婚したら、ミ・ラ・イ・エ・イ・ゴ・ウなんの夢もない。恥ずかしくて死んでしまう。」と言い放ちながら、死ぬまで太郎を愛し続けたよう子。
    生涯他の女性を愛する事なく、アメリカに渡り、億万長者になった太郎。
    でも、ふたりが結ばれる事はなく、あまりにあっけない別れが悔しい。
    周りの雑音が多すぎて、ドラマチックな盛り上がりに欠けるのだけど、人生なんてそんなものかもしれない。
    太郎を子供の頃から支えてきた、女中の冨美子の目線で語られるが、最後に驚きの事実が。

  • 僕が高校生の時に読んだ小説で最も印象に残っているのが、この『本格小説』だ。
    日本から単身渡米し、運転手から自力で億万長者へと成り上がり、アメリカン・ドリームを掴んだ伝説の男のことを、ふとしたきっかけで知ることになった主人公が、富美子という家政婦の物語りを通して彼(と彼が想い続けたある女性)の過去を知る、というものだった。
    日本で働いていた主人公が、アメリカで大学教授をしている水村を訪ね、自分が聞いた話を物語ること(「本格小説が始まる前の長い長い話」)からこの小説は始まる。
    つまり基本的な構成は、富美子の物語りを聞いた主人公の物語りを聞いた水村の物語り、ということになる(もちろん、それさえも虚構かもしれないが)。

    しかし小説の最後、主人公は「伝説の男」と富美子を知る冬絵という女性と出会い、その物語りを聞くことで、富美子が最後まで物語らなかった、彼女と「伝説の男」の秘密の関係について明かされるのである。
    『本格小説』は文庫上下巻で1200ページ近くに渡る大長編であるが、最後に少しだけ登場する冬絵の小さな「物語り」によって小説全体の根幹をなす富美子の「物語り」が覆される(とまでは行かずとも、物語り全体に漂う悲しみの正体が浮き彫りになり、またその真理性に疑問を持つようになる)というのは、当時の僕にとって大変印象的であり、今でも忘れられない読書体験となっている。

    ↑卒論より引用(一人称は変えてあります)。
    日本版『嵐が丘』とか言われているようだけど、ていうか僕は嵐が丘を読んだことはないけど、東太郎とよう子の関係はグレートギャッツビーを連想させた。少し削れば剥がれ落ちてしまいそうな時代のきらめき、人びとの大きな野心と小さな恋心(あこがれ)。

    読んでから5年以上経った今思い出しても、こころがきゅっとなるような、大切な本です。

  • うん、素晴らしかった。深く満足。

    骨子を、身も蓋もないひと言で言ってしまえば、「上流階級に属する人たちのゴシップ話」だと思う。
    しかし、その骨子に肉付けされている装飾がもう本当に見事で、骨子の下品さが完全に隠されている。
    極論を言えば、この世で起こる様々な「ものがたり」は、その殆どが単なるゴシップでしかない。
    個人的な、極めて狭い範囲での出来事であって、当人たち以外にとっては、単なる覗き趣味を満たす対象でしかない。

    けれど当然ながら、それらは単にフィクショナルな「ものがたり」ではない。
    当人たちにとっては、嘘偽りのない純粋な「真実」そのもの。
    その「真実」を、傍観者でしかない読者に、どれだけリアルなものとして感じさせることが出来るか。
    それが、「小説家」としての力量そのものが問われる場面そのものなのではないかと思う。
    そして、その能力が高ければ、「ものがたり」が作り話であったとしても、読者はリアルなものとして感じ、受け止める。
    それは、読者が「もうひとつの現実」を体験するという事に他ならない。

    それを踏まえると、本書は「本格小説」という名に相応しい作品だと思う。
    圧倒的なまでに繊細で美しく、流暢で滑らかなその筆力は、読者を完膚無きまでに幻惑する。
    ぐいぐいと引き込まれて、あたかもその場に身を置いていたかのような錯覚すら感じた。
    語り手が変われば、ここまで強烈な印象を読後に残すことは無かったはず。
    それどころか、ぼくは最後まで読み進めることすら出来なかったと思う。

    本当に切なく、どこまでも悲しいお話。
    けれど、だからこそ、所々で訪れる幸せな瞬間が、本当に大切で素晴らしいものとして輝く。

    とにかく、読んでいる最中の没頭感が半端じゃなかった。
    読後、深い溜息をつきながら、傑作だなあ、と心から思った。

  • かなり長い話でしたが、話の世界にどっぷりと浸ることができました。
    女中の視点で語られる三枝家と重光家、太郎とよう子の関係も面白かったし、舞台になっている軽井沢や小田急沿線も馴染のある場所だけに情景がすんなりと思い浮かんで、ぐいぐいと引き込まれました。
    よう子視点での話も読んでみたかったけど、ここは想像するしかないといったところが残念。
    冨美子視点からだと、よう子が何故そこまで雅之と太郎といった2人の極上の男性に溺愛されるのか、そこまで魅力が伝わらないのだが、そこは冨美子のよう子に対する嫉妬心みたいなものが含まれていて魅力が伝わる描写になっていないのかな、と思った。

  • 正に、巻をおくにあたわず、という感じ。すっごく面白かった。『風と共に去りぬ』を読んだ時のような、大河ドラマの醍醐味を体験した。 (たまに純日本文学を読むと、普段海外ミステリばかり読んでいるせいで、 すっかり頭が悪くなってしまったような気がした。)
    読みやすく古風で美しい言葉に圧倒され、この小説独特の構成の妙に、 憎いくらい天晴な思いがして、ラスト鳥肌が立ち、『あとがき』すら、ひょっとして、 ギミック的な役割を果たしているのでは、等とあざとい考えが湧いてきてしまった程。
    どこまでが事実で、どこまでが虚構なのか…。そんなことはこの際どうでもいいのに。 実際、タイトル『本格小説』の凄味に負けぬ、本格小説たる本格小説といおうか。 読後、すぐにでも上巻を再読したくなった。(構成柄、伏線も多いし。)
    そもそも、戦後の日本とか、三バアサンとか、本の紹介のそんなキイワードに ためらいがあったのに、いつしかすっかりのめり込んでいた。 三バアサンはみな美しく、華やかで、金持ちで、戦後の暗いイメージは微塵も感じず。
    冒頭の『本格小説の始まる前の長い長い話』で完全に心を鷲づかみにされ、 上巻の後半からは、主人公の東(あずま)太郎が気になって気になって仕方がなくなり、 下巻は東太郎とよう子とフミエのその先が気になり、一気読み。 とはいえ、いつもの癖で勿体なくて少しずつしか読めない。
    ラストは東太郎の孤独とトミコの孤独が暫く尾を引いてしまった。
    何か亡霊にとり憑かれてしまったみたいに、私の魂までが追分に浮遊していく。 と同時に、長い長い一時代が終わったという重みをずっしりと感じた。
    そして、NY以外はどこも知っている場所ばかり。
    やはり日本の小説は、翻訳物と比較して圧倒的なリアルさで迫ってくる。
    私の『脳内劇場』では、そのリアルな映像が未だにクルクルまわっていて、 一夜明けた今でも、心がざわついて止まらない。
    毎度のことながら、現実との境目がすっかり怪しくなってしまった…(苦笑)。
    早速、Amazonで彼女の別の作品を注文した。
    『私小説』と『手紙、栞をそえて』の2冊。

    (以下、ネタバレ)
    ラストで冬絵がたまらず吐露したフミコと太郎の関係について。
    私は単に恋愛経験の薄い冬絵のフミエに対する浅からぬ羨望とも妬みともつかない潜在意識から来た思い込みじゃないかと思う。状況証拠もある上、アパートの下世話な隣人の話を鵜呑みにし、春絵の勘繰りもあり、長い歳月をかけて妄想が醸成された結果ではないかと。遂には土地贈与の動揺も手伝い、今それを言葉にしないでいると、どうかなってしまいそうな気持になり、思わずよそ者の祐介に漏らしたのだと思う。

    太郎に対する恋心がフミエにあったかと言えば、あったと思う。でも保護者としての自覚から、切なくも必至に恋心を隠して母のように振る舞っていたけれど。それに、お祖母さまの遺言もあるしで、よう子と成就することは心から願っていたのだろうな。だから、ズバリ、関係はなかったと思う。(願望的憶測でしかないけれど。)

    一方、太郎もフミコには特別な感情はあったと思う。母代り、姉代り、頼みの綱、それ以前に人間としての愛情や恩義ではない心からの感謝の気持ち故、土地を譲ったりせめてもの想いでお金を譲ったり、仕事を与えたりと。
    それしか出来なかった太郎だから、大金を渡された時、フミエは怒ったりせずにそこは理解してほしかった。でもそれもこれもフミエの性格ね。太郎もそう。お互い不器用だなーと思った。

  • 上巻から引き続き、東太郎のこれまでが語られます。
    下巻も一気に読んでしまいました。

    戦後から平成まで、日本がどう変わってきたのか、日本人がどう変わってきたのか、が描かれています。
    『嵐が丘』を日本の戦後を舞台に書いてみた、そこから浮き上がってくる「日本」の姿、というのでしょうか。
    変わってしまった日本を考えて、まだ消化不良です。

    久しぶりに読みごたえのある小説を読みました。

  • よう子ちゃん、雅之さんの情愛の深さ、太郎ちゃんの子供のままの激しく深い愛情に何度も読む手を止めて感慨に浸りました。
    語り手が変わるごとに登場人物の思いの深さがさらに加わり、ページを戻ります。
    最後のフミ子さんの事実に腑に落ちます。
    「日本人が希薄になった」は作者の感でもあるのでしょう。
    作者のあとがきで現代に戻ってきますが、しばらく余韻が抜けませんでした。

  • 上巻の読み始め、すごく時間がかかった。その部分だけは「つまらない」が正直な感想だ。それはなにか機械化されて上がり下がりのない文章の羅列に感じた。だが、それが無いとこの作品はもっとつまらない。それぐらい必要なソースだったと思う。読み終わった後の圧倒的な焦燥感。いつまでも思い出のように本格小説の世界が頭の中で広がっている。子供の頃の世界、青年期の世界、大人になってから、その後今に至るまでなぞった部分を思い返す。そして最後の結末。本当にせつない。いつまでもあの頃の2人が遊んでいる文章が離れない。

  • 2024.04.13

    とても高評価だったので期待していたが、正直良さがわからなかった

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著者プロフィール

水村美苗(みずむら・みなえ)
東京生まれ。12歳で渡米。イェール大学卒、仏文専攻。同大学院修了後、帰国。のち、プリンストン大学などで日本近代文学を教える。1990年『續明暗』を刊行し芸術選奨新人賞、95年に『私小説from left to right』で野間文芸新人賞、2002年『本格小説』で読売文学賞、08年『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』で小林秀雄賞、12年『母の遺産―新聞小説』で大佛次郎賞を受賞。

「2022年 『日本語で書くということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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